ももクロ&アイドル blog (by中西理)

ももいろクローバーZとアイドルを考えるブログ

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** 有安杏果「色えんぴつ」の映像作家は外山光男
有安杏果がソロコン「ココロノセンリツvol.1」で披露した新曲「色えんぴつ」の曲中で流れたアニメーション映像の作家が外山光男という人だと判明。新アルバムのMVとしても採用されると思われる。


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珈琲の晩 [DVD]

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セミネール特別編Web「ももいろクローバーZ(ももクロ)とポストゼロ年代演劇」in東心斎橋(過去レクチャーの記録)

興味ある人がいるようなら同種のレクチャーを東京でも開催したいと考えているのだがどうだろうか。

コーディネーター・中西理(演劇舞踊評論)

 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇とダンスを楽しんでもらおうというレクチャー&映像上映会セミネール。これまでは個別の作家について取り上げて紹介してきましたが今回は特別編として少し趣向を変えて、AKB48の次に来るアイドルとして西武ドーム公演も決定するなど今注目のももいろクローバーZポストゼロ年代演劇の関係についてさまざまな角度から分析をしていくことで、ポストゼロ年代演劇の持つ特質について考えていきたいと思います。
【日時】2012年5月25日(金)7時半〜 【場所】大阪・東心斎橋〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて開催


 今回はなんと今もっとも旬といってもいいアイドル「ももいろクローバーZ」 とポストゼロ年代演劇・ダンスの関係を考えていきたいと思います。といっても、いきなり羊頭狗肉といわれかねないのですが、この両者に直接的な影響関係はおそらくほぼありません。そんなこと言い始めたらそれこそ話が終わってしまいかねないわけですが、最近興味深いと思っているのは実は直接の影響関係はないはずなのにももクロとポストゼロ年代演劇にはいくつかの共通項が散見されて、いわば補助線としてももいろクローバーZを持ち込むことで、これまでも取り上げてきた若手作家たちの作品に新たな光を当てることができないかと考えたからです。
ももいろクローバー

 日本の現代演劇において1990年代半ば以降は平田オリザら現代口語の群像会話劇中心の流れが主流を占めてきました。それが大きく転換したのは2000年代(ゼロ年代)後半に、群像会話劇の形式からはみ出した若手劇作家・演出家の相次ぐ登場にしたことによってでした。ここではひとまずそれを「ポストゼロ年代演劇」と呼ぶことにしたいのですが、その重要度は2010年以降の2年間でままごと(柴幸男)、東京デスロック(多田淳之介)、快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)に加え、バナナ学園純情乙女組(現革命アイドル暴動ちゃん、二階堂瞳子)、ロロ(三浦直之)らより若い世代の台頭でますます顕著となっています。今年初めの岸田國士戯曲賞ニブロール矢内原美邦、マームとジプシーの藤田貴大が同時受賞したのもこうした動きを反映したものといえそうです。これは3・11以降も一層拡大する兆しをみせています。
 それではポストゼロ年代演劇はどのような特徴を持っているのでしょうか。もちらん、いずれも同じような作風というわけではなく、そのスタイルは千変万化であるため、ここで列挙する特徴がすべてのこの世代の演劇にあてはまるというわけではありませんが、大雑把ににではありますが、この世代の演劇に当てはまることが多い特徴は次の3つが挙げられると考えます。

ポストゼロ年代演劇の特徴

1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる
2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する
3)感動させることを厭わない(あるいは「祝祭の演劇」の復権

 さて、きょうは「ももいろクローバーZとポストゼロ年代演劇」を主題としていくわけなんですが、いきなり結論を言ってしまうことになりそうで、若干の躊躇もあるのですが、この3つの特徴をももいろクローバーZというアイドルのあり方、さらにそれを生み出したプロジェクトの戦略が共有しているのではないかというのがひとつの仮説で、そのことをきょう皆さんと一緒に考えていきたいと思うのです。
 特徴1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる
 というのは実はこの世代の演劇にはその人の作品にはその人に特有な独自のスタイルがない、ということでした。すべての作家がそうだというわけではないのですが、この世代の作家の作品を継続的に見続けて困惑したのはどうやら彼らのうちの何人かは作品ごと、あるいは作品の主題ごとに異なった芝居のスタイルを取ることが多く、それ以前の世代の作家がそうであったようには固有のスタイルがないのではないかと考えたことです。実はこれについては東浩紀が「動物化するポストモダン」で指摘しているポストゼロ年代のカルチャーの特徴における「データベース消費」、それに基づく「漫画・アニメ的リアリズム」ではないかと考えています。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 ももいろクローバーZの特徴はアイドルでありながら、純粋にアイドル的な要素以外のオタク的要素が入っていることです。それを言い換えればニコニコ動画こそデータベース消費の典型であるため、それをニコ動的ということもできるのですが、ももクロはアイドルの中でもニコ動との相性がいいといえるでしょう。それは初期からライブで歌っている曲のなかにアニメの楽曲を入れていることにもうかがえます。
 これはももクロの「最強パレパレード」ですが、これは「涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団ラジオ部OP」のカバー曲で、ここではドイツ、ドルトムントで開催された日本文化紹介イベントでのライブですが、ここではなんと初音ミクと共演しています。
ももいろクローバーZ 最強パレパレード

 ポストゼロ年代演劇のなかでもっともニコ動的な要素が強く、ももクロとのシンクロ率が高いのがバナナ学園純情乙女組*1です。こちらもハルヒからなんですが、同じ曲を探したのですが見つからなかったのでこちらは「ハレ晴れユカイ」の路上ライブをまず見ていただきたいと思います。
バナナ学園純情乙女組 ハレ晴れユカイ

 これはyou tubeでの映像ですが、ニコ動でいう「踊ってみた」といえるでしょうね。

 ももいろクローバーZも従来の基準からいえば「アイドルなのかどうかがあやしいアイドル」なわけですが、このバナナ学園純情乙女組も演劇だという風に簡単にいいきるにははばかられるようなところがあり、演劇の要素はかなり強くはあるのです。アイドル歌謡から発生したオタ芸的なもの、アニメのコスプレなどさまざまな要素をごった煮的に盛り込んで、ジャンルボーダレスなカオスとして展開する。2011年ベストアクトでは以下のようにコメントしました。

ポストゼロ年代の新たな世代では京都で初めてそのライブを目の当たりにしたバナナ学園純情乙女組「バナ学バトル★★熱血スポ根秋の大運動会!!!!」も同時多発的でカオス的に展開されていくオタ芸風パフォーマンスは「いま・ここで」ならではの魅力を感じさせ、マームとジプシーとは対極的ながらも決して引けをとらない衝撃力があった。身体表現と映像を駆使して「オタク的」なイメージが奔流のように飛び込んでくるスタイルのインパクトは大きく、近い将来クールジャパンのキラーコンテンツとして海外を含めブレークするだろうとの確信を抱いた。これを1位に置いても構わないのだけれど、「果たして演劇として評価すべきものなのか」、むしろジャンルで言ったらももいろクローバーZとかのが近いんじゃないかという若干の躊躇とそれでもはずすのにしのびないとのジレンマから苦渋の選択でとりあえずこの順位に置いた。逆に言えば演劇ベストアクトとかではなく、現代アートとしての可能性ならこれがダントツ上位かもしれない。

 実はこのバナナ学園純情乙女組は公演中に引き起こされた事件をきっかけに解散を決めてしまったのですが、実はももクロもファンとメンバーの間のパフォーマンス中の接触があり、今夏のツアーで大きな問題となったということがあり、予想外の部分でも両者がシンクロしてしまったことに驚かされたりしました。 
2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する
 2)は同じく東氏が提唱する意味とは若干違うのですが、いわゆる従来のような物語よりもそうしたインタラクティブともいえるゲーム的要素が作品に入り込んでいることから、ゲーム的なリアリズムと関係していると考えています。ここで若干の補足が必要だと思うのですが、実はポストゼロ年代演劇というのは特徴という意味でいうと小説、漫画、アニメなど他分野のゼロ年代と共通の特徴が見られると考えています。こうした複数分野での文化の特徴というのは80年代前後に建築、哲学、美術など複数の分野で「ポストモダン」と当時呼ばれた文化現象が生まれてきましたが、実はその間にはやはり若干のタイムラグがあった。今回演劇だけそこでなぜ10年というタイムラグが生じたことの原因がなにだったかということに関してはさらに詳細な分析が必要でしょうが、そこには平田の提唱した現代口語演劇の影響力というのが、チェルフィッチュなど若干の例外はあったとしても、五反田団の前田司郎、ポツドール三浦大輔をはじめ、群像会話劇というスタイルのくびきがきわめて大きかったということを指摘しておかないといけないかもしれません。
 ももいろクローバーZはいろんな意味でユニークなところがあるのですが、そのひとつであり、アイドルらしくないと言われたりするする要素として、その戦略(といえるかどうかは微妙なところがあると思っているのですが)がアイドルのこれまでのやり方とは違う論理で構築されていることです。それは実はいくつもいあるのですが、目立つもののひとつが「プロレス」「格闘技」です。ももいろクローバーZはメンバーである本人たち以外にファンの人(モノノフと呼ばれている)運営の人たちがいるわけです。そして、運営と呼ばれるスタッフは戦略的にいろんな企画を仕掛けてきたのですが、その大きな軸となっているのがプロレスないし格闘技なのです。もっとも、80年代以降の歴史を振り返ってみても、小劇場演劇(現代演劇)とプロレスとの関係は深く、関西を代表する老舗劇団である南河内万歳一座は座長の内藤敬裕がプロレスの大ファンであり旗揚げメンバーの何人かが学生プロレスのメンバーでもあったことから、舞台にプロレス的な格闘を取り入れたような演出を多用していたし、同じく関西の老舗劇団だったそとばこまちもシェイクスピア劇にタイガーマスクを登場させて格闘場面をプロレス仕立てでやっていたことなどもありました。
 ただ、ポストゼロ年代演劇とプロレスないし格闘技とかかわりはそういうものとは少し異なったところがあるようです。ここで取り上げたいのは多田淳之介と東京デスロックです。多田は「演劇LOVE」というキャッチフレーズを口にしているのですが、これはももクロとの関係の深い武藤敬司の「プロレスLOVE」を下敷きにしたものであり、これも偶然の一致とはいえ、若干のかかわりもあるといえかもしれません。ただ、実は多田淳之介の演劇とももいろクローバーとの間にはもう少し本質的な共通点があるのです。

 それは前述の3)の特徴とも関係があります。問題は3)です。実はこれまでこれを「感動させることを厭わない」としてきたのですが、これが一番論議を生むことなりました。そこで今回はこれを『「祝祭の演劇」の復権』としておくことにしました。これは平田オリザが90年代にその著書で「都市に祝祭はいらない」という著書を出し、演劇における祝祭性を否定したということが前段にあります。SPACの宮城聰はほぼ同時期にク・ナウカ時代のインタビューで、舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が演劇で、だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだと強調した。90年代に平田が現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えたが、「祝祭性への回帰」という性向が「ポストゼロ年代演劇・ダンス」には確かにあり、3・11を契機に生と死という根源的な問題と向かい合った作り手たたちが、祝祭空間を見せる今こそ宮城の夢想した「祝祭としての演劇」が再び輝きはじめる時なのかもしれません。

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

 演劇と異なり、「魅惑するもの」であることをその本質とするアイドルが「祝祭性」を持つのは当たり前のことともいえなくもありませんが、先に挙げた宮城聰の言う「生命のエッジ」のような生きている全力感を前面にうちだし、彼女らがモノノフと呼ぶ観客との相互反応による盛り上がり感はももいろクローバーZの最大の特徴です。それではここでももいろクローバーZのライブ映像を見てもらいたいと思います。
  

 ネット上などでときおりももクロのパフォーマンスつまりダンスなり、歌なりが上手いのか下手なのかが、取沙汰されることがあるのですが、彼女たちのパフォーマンスは「うまい」という方向性を目指さないところにその本質があります。つまり、例えばダンスでいえばバレエなどがその典型なのですが、「うまい」ダンスというのは通常は動きが技術によって完璧に制御されているというところにその本質があります。つまり、うまく制御できなくなった状態のことを「下手」だとするひとつの価値観があるわけですが、これはバレエのみならずジャズにせよヒップホップにせよ西洋起源のダンスでは通常このことが成り立ち、そして歌の場合も同様のことがいえるわけです。
 ところがコンテンポラリーダンスなどに代表される現代表現ではこうした「上手」「下手」はかならずしも自明のこととはいえなくて、その代わりに問われるのはその瞬間の動きが魅力的かどうかということで、そのために身体的な負荷を意図的にかけ続けることで、アンコントロールな状態に追い込み、そこで出てくる「いま・ここで・生きている」というような切実さを身体のありかたにおいて表出させるような表現がでてきており、そこではいわゆる従来のような「上手」「下手」という基準はあまり意味がないことになっています。
 多田淳之介の東京デスロックという劇団はそうした「切実さ」を身体表現として追求している劇団でこれから見せる「再生」という作品は劇中で登場人物が激しく踊りまわるという同じ芝居を3回繰り返すという作品なのですが、3回繰り返すといっても人間の能力には限界があるので3回同じように繰り返すのは無理で、そこから「どうしようもなく疲弊してしまう存在」であり、いつか年をとり、死んでいく人間という存在を逆説的に浮かび上がらせるという狙いがありました。
東京デスロック「再生」

実は身体的な負荷をかけ続けることで立ち現れる「切実さ」こそがももクロの「全力パフォーマンス」の魅力だと考えています。よく「全力パフォーマンス」というけれどもアイドルはももクロだけじゃなくて、どのアイドルも全力だという批判があるわけですが、ほかのアイドルとももクロは「全力」についての質が違う。これは違うからももクロが偉くて、ほかはだめと言おうとしているわけではもちろんありません。
 これから紹介するのはファンの間で「伝説」と言われている「Zepp Tokyo 第3部」の映像です。
Zepp Tokyo 第3部


バナナ学園純情乙女組


革命アイドル暴動ちゃん


SVアーカイブ
再録「特集☆ももいろクローバー
http://studiovoice.jp/?p=25607 
室井尚・横浜国大教授のブログ
http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2012/04/post-c217.html
Lマガジン特集 非オタのための、ももクロ入門。 
http://lmaga.jp/article.php?id=928

*1:バナナ学園純情乙女組 その後、活動休止をへて革命アイドル暴走ちゃんとして活動再開 http://www.missrevodolbbbbbbbberserker.asia/index.html

パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ Webレクチャー

山中透(exダムタイプ)をゲストに東京でセミネールレクチャーを復活させる予定。
大阪では番外編として舞台芸術を参照項にしてももいろクローバーZのパフォーマンスを考察していくレクチャーも開催した。希望者がいれば東京でも開催したが、やるなら参加したいという人いるだろうか。

(2012年大阪で開催したレクチャーの抜粋)
その1 ダンスとしてのももクロ
  ももいろクローバーZももクロ)が私の琴線に触れたのは観客(モノノフ)のコールと一体になった一体感のあるライブパフォーマンスの映像を見たことがきっかけだった。演劇やダンスに関する批評活動を今でも続けているのはかつて本当に奇跡としか思えないような瞬間を劇場で受けたことがあったからだが、それは2011年に開催された「男祭り」「女祭り」のDVDだったのだが、映像を通しながらもその時にももクロから感じた衝撃はかつて演劇やダンスで味わった奇跡の瞬間と比較してもなんら遜色のないものだった。
 そしてそれは単にももクロのパフォーマンスが素晴らしいというだけにとどまらずポスト3・11のこの閉塞した雰囲気の世間にそれは待望してたものが現れたという「この時・ここ」にあたかも運命のように出現したということがあるのではないか。
今回は「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」と題して、ももクロのライブパフォーマンスをさまざまな舞台芸術との比較において分析しその魅力を掘り下げていきたい思う。
 その前にまずひとつ確認しておきたいことがある。それはももクロに限らずアイドルの舞台(ライブ)というのは楽曲(歌)だけにとどまらずにダンス、衣装、特に最近は映像、場合によっては演劇の要素も取り入れた総合芸術であるということだ。総合「芸術」という言葉が引っ掛かるのであれば総合エンターテインメントと言い替えてもいいのだが、だからももクロのライブも当然、総合エンターテインメントである。総合エンターテインメントにはいろんなジャンルがある。演劇の一部もそうである。典型的な事例としてはブロードウエーミュージカルに代表されるアメリカのショービジネスの舞台がある。そして、その中で「しょせんアイドル」などと下に見る風潮がないでもない。それは特に舞台関係者に強いのだが、土俵が違うだけで、日本特有のアイドルというジャンルには端倪すべからざる水準の高さがあるのではないかと考えている。
 それではさっそくだが、ももクロを取り上げて具体例を検証していきたい。最初の検討テーマは「ダンスとしてのももいろクローバーZ」である。
 ももクロのダンスや歌は「下手である」というのが定評になっている。これはある意味では当たっている部分もなくはない。ただ、こういうことはよくももクロは同じくアイドルグループの××と比べてダンスも歌も全然なっていない、などと使われることが多いのだ。ダンスにおいて「うまい」とは何か?西洋における伝統的なダンスの考えからすれば「うまい」とは「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」であるということが一応できる。そして、その基準によればももクロのダンスは世界最高峰とは言い難しのかもしれない。
 それでは世界最高峰水準のダンスとはどんなものなのか。それを今から見てもらいたいと思う。最初に見てもらうのはバレエダンサー、シルヴィ・ギエムである。これは「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」の史上最高の実例である。
シルヴィ・ギエム「In the middle some what eravated」

 バレエしかも現代バレエではジャンルが違いすぎるという人にはアメリカのショービジネスを例に、こちら。もちろん、マイケル・ジャクソンである。
マイケル・ジャクソン

 そんなものを見せられてもピンと来ない。アイドルはどうなんだという人に見てもらいたいのがこちらの映像を。これはSPEEDである。特筆すべきはこのときまだ小学生だったということだ。アイドルにおける歌唱とダンスの総合的なレベルにおいての完成度において、私はいまでもこのSPEEDがピカイチだと思っている。もちろん、それを認めない人もいるだろうし、現にそういう人のひとりと明け方近くまで論争したこともあったのだが、日本のみでなく、特に最近の韓国のグループアイドルなどへの影響力も考える(彼らは認めないかもしれないが)とSPEEDが参照例として重要だというのは間違いないないと思う。

SPEED
1996年8月5日にシングル「Body & Soul」でデビュー。デビュー当時の平均年齢は13.5歳。当時のメンバー全員が小中学生であったことが大きな注目を集めた。



http://www.nicovideo.jp/watch/sm16104186

 とはいえSPEEDでは実例として不満だという人に見てもらいたいのがこちらのperfumeの映像である。冒頭に述べたようにもし「うまい」ダンスの条件が「完璧な技術による完璧な身体のコントロール」であるとするなら、確かにももクロのダンスはこれら2つの先行グループに比べて、まだまだという段階のように見えるかもしれない。
perfume


Perfume - MIKIKO先生の指導シーン

ユメノハシラ 振付師 石川ゆみさん

仲宗根梨乃(少女時代の振付家)
http://matome.naver.jp/odai/2134303897572991701
UZA(仲宗根梨乃振付)

ももいろクローバーZ 人気の秘密を徹底解剖!

 いろんな身体所作を引用(サンプリング)して振付のなかに入れ込んでいく

chaimaxx  

最強パレパレード

 ももクロのダンスはそれぞれがバラバラで、例えば少女時代やEXILEがそうであるようにはユニゾンできちんとそろってはいない*1。動きの再現性もあまりない。ネット上などでももクロのパフォーマンスが上手いのか下手なのかが、取沙汰されることがあるが、たいていの場合は下手だという文脈で語られることが多い。ここまで「うまい」とされるパフォーマンスを取り上げてきたのはもちろんそうした批判に加担するためではない。むしろ、逆だ。彼女たちのパフォーマンスはここまで見てきたような「うまい」という方向性を目指さないところにその本質があるのだ。
 もう一度繰り返す。つまり、バレエなどがその典型なのだが、「うまい」ダンスというのは通常は動きが技術によって完璧に制御されているというところにその本質がある。つまり、うまく制御できなくなった状態のことを「下手」だとするひとつの価値観があるわけですが、これはバレエのみならずジャズにせよヒップホップにせよ西洋起源のダンスでは通常このことが成り立ち、そして歌の場合も同様のことがいえる。
 ところがコンテンポラリーダンスなどに代表される現代表現ではこうした「上手」「下手」はかならずしも自明のこととはいえないのだ。そして、ももいろクローバーZのダンスというのもそういう範疇に入ると考えられる。身体制御の代わりに問われるのはその瞬間の動きがいかに魅力的かということだ。そのための方法論として身体的な負荷を意図的にかけ続けることで、アンコントロールな状態に追い込み、そこで出てくる「いま・ここで・生きている」というような切実さを身体のありかたにおいて表出させるような表現がでてきている。そこではいわゆる従来のような「上手」「下手」という基準はあまり意味がない。
 そうした手法を取る振付家・ダンサーのひとりに黒田育世がいる。黒田はもともとバレエの出身でもあり、カンパニーであるBATIKの所属ダンサーにもバレエ経験者が多いが、映像を見てもらえば分かるように彼女の踊りは激しい回転を続けたり、倒れてまたすぐ立ち上がったり、身体に大きな負荷のかかる動きを持続していくことで、しだいにダンサーを身体能力の限界、制御できない状態に追い込んでいく。そこから生きた肉体の持つ「切実さ」のようなものが浮かび上がってくる、というものだ。

 一方、演劇畑でそういう試みを共有しているのが多田淳之介の率いる東京デスロックという劇団である。ここもそうした「切実さ」を身体表現として追求している劇団でこれから見せる「再生」という作品は劇中で登場人物が激しく踊りまわるという同じ芝居を3回繰り返すという作品なのですが、3回繰り返すといっても人間の能力には限界があるので3回同じように繰り返すのは無理で、そこから「どうしようもなく疲弊してしまう存在」であり、いつか年をとり、死んでいく人間という存在を逆説的に浮かび上がらせるという狙いがあった。
東京デスロック「再生」

実はこの身体的な負荷をかけ続けることで立ち現れる「切実さ」こそがももクロの「全力パフォーマンス」の魅力だと考えている。よく「ももクロは全力だから好き」という言い方に対して「全力パフォーマンス」というけれどもアイドルはももクロだけじゃなくて、「どのアイドルも全力だ。ことさらももクロのことだけを言うな」という批判がほかのアイドルのファンらからあるわけだが、ほかのアイドルとももクロは「全力」は質が違う。ももクロの「全力」はこの「切実さ」つながっているから、そこにももクロの最大の特徴があると思われます。
 これから紹介するのはファンの間で「伝説」と言われている「Zepp Tokyo 第3部」の映像です。ここでは極限に追い込まれたなかで技術による身体の制御を超えたなにものかがたち現れてきているのじゃないかと思います。これはそういう条件に置かれて偶然そういう要素が現れたとみることもできますが、ももクロを育ててきた運営側には初期の楽曲を多数提供したヒャダインにしても、振付の石川ゆみにしても、ギリギリ出るかどうか限界に近い、あるいは限界を超えた音域であえて歌わせること、うまく制御して踊れないような振付で踊らせることなど「負荷をかける」という方法論については随所で語っていて、そこから出て「切実さ」のももクロの魅力のひとつの源泉があるのではないかと思う。

Zepp Tokyo 第3部



男祭り2012


女祭り2011
怪盗少女

走れ!

コノウタ



黒田育世

みてみて☆こっちっちのremixで踊る深夜練(木皮成+喜多真奈美)

  
 『「祝祭の演劇」の復権』としておくことにしました。これは平田オリザが90年代にその著書で「都市に祝祭はいらない」という著書を出し、演劇における祝祭性を否定したということが前段にあります。SPACの宮城聰はほぼ同時期にク・ナウカ時代のインタビューで、舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が演劇で、だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだと強調した。90年代に平田が現代演劇の主流となっていくにしたがい、宮城の主張はリアリティーを失ったかに見えたが、「祝祭性への回帰」という性向が「ポストゼロ年代演劇・ダンス」には確かにあり、3・11を契機に生と死という根源的な問題と向かい合った作り手たたちが、祝祭空間を見せる今こそ宮城の夢想した「祝祭としての演劇」が再び輝きはじめる時なのかもしれません。

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

 演劇と異なり、「魅惑するもの」であることをその本質とするアイドルが「祝祭性」を持つのは当たり前のことともいえなくもありませんが、先に挙げた宮城聰の言う「生命のエッジ」のような生きている全力感を前面にうちだし、彼女らがモノノフと呼ぶ観客との相互反応による盛り上がり感はももいろクローバーZの最大の特徴です。それではここでももいろクローバーZのライブ映像を見てもらいたいと思います。
   
 
  
 

 

*1:もちろん、はなからそろえる気がないので、それは振付家の石川ゆみが高城れにの自由すぎる動きを直そうともしていないことに典型的に表れているだろう

パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ(「アイドル感染拡大」から)


パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ(「アイドル感染拡大」から)

 

 

アイドル評論誌「アイドル感染拡大」に掲載した論考「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」をWeb公開。執筆したのは2015年に日産スタジアムで開催された「桃神祭」の直後でももクロの祝祭的パフォーマンスについて、現代の演劇やコンテンポラリーダンスといった舞台芸術と対比することで論じている。

 

第1部「ダンスとしてのももクロ

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001228

第2部 演劇とももいろクローバーZ
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001230

多田淳之介インタビュー「Perfumeももクロ
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001231

その他のももクロ関連原稿
ももクロ×平田オリザ」論 「幕が上がる」をめぐって――関係性と身体性 対極の邂逅(シノドス
http://synodos.jp/culture/13808
舞台「幕が上がる」レビュー
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20150505/p1
「ももいろクリスマス2015 ~Beautiful Survivors~」参戦記 ももクロの前代未聞 スキー場ライブ (SPICE)
http://spice.eplus.jp/articles/30637
桃神祭2016@日産スタジアム(1DAYS)
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20160813
桃神祭2016@日産スタジアム(2DAYS)
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20160814
モノノフ=サポーター論(「俺のネクストガール2017 ~もちろん藤井~」(1日目)@品川ステラボール
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20170107

『坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第76夜「ももいろフォーク村3周年」@フジテレビNEXT

** 『坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第76夜「ももいろフォーク村3周年」@フジテレビNEXT

  3年でももクロがメンバー全員ここまで歌えるようになっていることを証明してくれた回。こういうのをもっとファンの人以外にも知ってもらいたい。
    5人のアンサンブルでピアノだけの演奏で披露した「サラバ~」、サックスだけの「労働讃歌」、アカペラの「オレンジノート」はすべて素晴らしくて永久保存版的な出来映えだった。
    新曲を立て続けにアコースティックなアンサンブルとともに歌った冒頭部分もこの番組ならではの魅力でダウンタウンももクロバンドの高い技術があればゆえの離れ業だが、それに危なげなく対応できているももクロのメンバーも成長したと思う。現在の音楽番組では関ジャニ∞がメインを務める関ジャムがベストと考えているのだが、今回の放送を見ていると当初のももクロがいろんなことに挑戦させられる番組というのを越え、関ジャムの域に近づいていると思った。
    今回感動させられたのは杏果の「大きな玉ねぎの下」。男性のサンプラザ中野がオリジナルということもあるけれどそれとはだいぶ趣が異なり、杏果ならのオリジナリティに溢れた歌唱だった。自分のアルバムを出して目標を達成した後でいいから、杏果にはぜひカバーアルバムを出してほしい。
   なんとなくそういう気もしていたけど
あーりんも以前のようにパワーで押しまくるだけではなく、繊細な表現も出来るようになったと感心させられた。「浮気なハンバーガーボーイ」も音源ではいまいちピンと来なかったけどいい歌だな。

 

・セットリスト
M01:Yum-Yum! (ももクロももクロ)
M02:BLAST!
 (ももクロももクロ)
M03:何時だって挑戦者
 (ももクロももクロ)
M04:サラバ、愛しき悲しみたちよ
 (ももクロももクロ)
M05:Hanabi
 (ももクロももクロ)
M06:労働讃歌
 (ももクロももクロ)
M07:オレンジノート
 (ももクロももクロ)
M08:My Hamburger Boy(浮気なハンバーガーボーイ) 
(あーりん/佐々木彩夏)
M09:愛は勝つ (夏菜子/KAN)
M10:ファイト
 (しおりん/中島みゆき)
M11:年下の男の子
 (あーりん/キャンディーズ)
M12:君のバンド
 (れにちゃん/コレサワ)
M13:大きな玉ねぎの下で
 (杏果/爆風スランプ)
M14:元気です
 (DMB/吉田 拓郎)
Go!Go! GUITAR GIRLZ
M15:赤とんぼ (GUITAR GIRLZ
三木 露風・山田耕筰)
M16:
AKIRA (村長&GUITAR GIRLZ吉田拓郎)
M17:キミノア
 (へいへい&いづみさん&ももクロももクロ)
M18:青春賦 (村長
ももクロももクロ)
M19:白金の夜明け