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「1997小劇場分類図」雑誌「東京人」原稿


東京人no.122 1997年11月号 特集◎「劇場へようこそ」。下北沢から新国立劇場まで 東京都文化振興会 1997年11月
 これまで演劇ジャーナリズムは、現代演劇を「アングラ演劇」または小劇場空間で作品を上演したという意味で、「小劇場」と名づけ、第一世代(鈴木忠志唐十郎ら)、70年代(つかこうへい、竹内銃一郎ら)、80年代(野田秀樹鴻上尚史ら)とその世代によって分類してきた。だが、90年代に入ってからは「静かな劇」などの新しいタームが登場したものの、こうした場当たり的な分類では複雑化した全体像が見えにくくなっている。ここに「最近の演劇状況は分かりにくい」理由があるのではないかと考える。
 そこで現象学の用語にしたがうならば、それぞれの劇団の出自、世代など従来重視されてきた要素をいったん「カッコ」にくくり、舞台そのものから抽出された要素をもとに分類しなおし、座標化したのが、下に掲げる「1997小劇場分類図」である。

 座標には軸が必要だが、ここでは縦軸に「身体/関係」、横軸に「具象/抽象」と二つの軸により、多様化した現代演劇のなかでそれぞれの劇作家(集団)の位置づけをしてみた。軸の交わる中心が標準または平均であり、外側にずれるほど平均(標準)からの偏差が大きい。それゆえ、大づかみに言えば周縁部ほど実験的な要素が強く、中心部ほど実験的な要素が強く、中心部ほどウェルメイドであり、正統的と思われる演劇の要素を強く持つといっていい。

 では、具体的に中身について説明しよう。図の上半分の点線Aで囲まれた領域を主として身体的な表出を重視する演劇という意味で「身体性の演劇」の領域と名づけた。これはいわゆる「アングラ演劇」と呼ばれた演劇の領域とほぼ重なりあい、唐十郎鈴木忠志佐藤信らアングラの重鎮たちはここに含まれるが、こと身体表現の重視という意味ではつかこうへい、野田秀樹、そして90年代演劇の旗手たちでは松尾スズキ惑星ピスタチオ西田シャトナー)、ロマンチカらこれまで表面的なスタイルの違いで異質だと思われてきた劇作家の作品もここに含まれることに注目してほしい。

 一方、左下Bの点線に囲まれた領域の作家たちは平田オリザ宮沢章夫らいわゆる「静かな演劇」を担う面々だが、ここでは上と同じ理由で「関係性の演劇」*1の領域と名づけた。人物間の関係の細密な描写を通じ作者の世界観を提示するもので、別役実以来の地下水脈が平田らの登場でようやく表舞台に出てきたといえる。
 そして、右下Cの領域は寺山修司が切り開いた領域だ。ダムタイプなどパフォーマンスとも呼ばれ、ダンスなど、他分野とのクロスオーバーも特色である。演劇の持つ制度性自体を脱構築していくという寺山の方法論は、いわゆるアングラ演劇とは似て非なるものであったと考える。
 そして、最後にこうしたいくつかの要素を横断的に取り入れ、コラージュする山の手事情社、上海太郎舞踏公司の冒険的な試みにも注意してほしい。

*1:「関係性の演劇」とは登場人物の関性をそれぞれの会話を通じて提示することで、その設定の背後に隠蔽された構造を浮かび上がらせるという仕掛けを持った演劇のこと。平田の作品をこう呼ぶことにしたのは「静かな演劇」と呼ばれていながら、一部では新劇(リアリズム演劇)への回帰とも当時、解釈されていた平田の演劇は西洋近代劇の理論的支柱と目されていたスタニスラフスキー(そしてその後継であるメソッド演劇論)が前提としてなるような内面を持つ個人としての全人的存在である人間というような前提を否定して、人間というものはいわば複数の関係性を束ねる結節点のようなものとして存在しているにすぎないというまったく前提の異なる人間観をもとに構想されているという違いがあり、だから、一見見掛けとして似ているところがあったとしても、「関係性の演劇」とリアリズム演劇は別物であるということ。こういう演劇観は後に平田自身が著作のなかで明らかにしていることでもあるから、現在の時点でことさら強調するのも間抜けな感じが否めないのだが、要するにそういうことを最初にはっきり感じさせた作品がこの「S高原から」だったわけだ。「S高原から」レビューから