ももクロ&アイドル blog (by中西理)

ももいろクローバーZとアイドルを考えるブログ

「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」

中西理 
     序説
 アガサ・クリスティー、J・D・カー、エラリー・クイーンという本格推理小説の3大巨匠のうち、ほかの2人がその晩年においては、ほとんどめぼしい作品を発表せずに、むしろ大家としての記念碑的な意味合いしかなかったことを考えれば、死の直前までのクリスティーの健筆ぶりは驚くべきことであった。
 クリスティーはその晩年において彼女独特としかいえないような種類のミステリを書いていた。そしてそれは徐々に完成の域に近づきつつあった。それは従来の本格推理小説のワクに入りきらないものであり、まさに「クリスティー流ミステリ」としか言いようがないようなものだった。本論考ではそれがどんなものであり、その後のミステリにどのような影響を与えたのかについて考えてみたい。
 第一章 トリック・メーカー
 3大巨匠のうちクイーンはその本質を「フーダニット」の作家として評価することができる。クリーン名義の代表作である国名シリーズ(エジプト十字架の謎、ギリシア棺の謎……など)、X、Y、Z、最後の4部作に読者への挑戦状が挿入されていたことからも分かるように、その独特の論理を駆使することによって「誰がおこなったのか」を考えさせるのがクイーンのスタイルであった。
 対して、カーははハウダニットの作家である。「赤後家の殺人」「皇帝のかぎ煙草入れ」「三つの棺」という彼の代表作からも分かるように、彼の作品の特徴は、まず不可能状況を提出し、次にそれが「どのように行われたのか」を問うことにあった。
 それではクリスティーはどうだろうか。クリスティーには「ミステリの女王」なる称号はあってもその作品に関しては「論理のクイーン」「密室のカー」というようなキャッチフレーズはなく、他の2人ほどの特徴はないようである。
 ここではまずクリスティーの代表作といわれている作品を具体的に示して、その特徴を抽出してみることにしたい。
 最初に挙げるのはクリスティーのファン倶楽部の会報である「ウィンターブルック・ハウス通信」によるクリスティーファンによるベスト10

1、「そして誰もいなくなった」1939
2、「アクロイド殺し」1926
3、「予告殺人」1950
4、「ABC殺人事件」1936
5、「オリエント急行の殺人」1934
6、「火曜クラブ」1932
7、「ナイルに死す」1937
8、「葬儀を終えて」1953
9、「ゼロ時間へ」1944
10、「スタイルズ荘の怪事件」1920

クリスティー自身によるベスト10

1、「そして誰もいなくなった」1939
2、「アクロイド殺し」1926
3、「予告殺人」1950
4、「オリエント急行の殺人」1934
5、「火曜クラブ」1932
9、「ゼロ時間へ」1944
6、「ABC殺人事件」1936
7、「終わりなき夜に生まれつく」1967
8、「ねじれた家」1949
9、「無実はさいなむ」1958
10、「動く指」1943


蒼鴉城第七号陣木麻也隆「クリスティー問答」より

1、「そして誰もいなくなった」1939
2、「オリエント急行の殺人」1934
3、「ナイルに死す」1937
4、「葬儀を終えて」1953
5、「ポアロのクリスマス」1938
6、「白昼の悪魔」1941
7、「無実はさいなむ」1958
8、「五匹の子豚」1949
9、「ねじれた家」1949
10、「エッジウェア卿の死」1933

 以上の結果から見て明らかなことは、一般にクリスティーの作品で読者に高い評価を受けているのは1930年代から40年代にかけて執筆された作品だということだ。「そして誰もいなくなった」「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」「ABC殺人事件」といった作品への高い評価がそのことを示している。それらは一般にミステリ史上に残るような「大トリック」を使った作品として知られている。_
 その意味ではクリスティーは偉大なトリックメーカーであったといってよい。叙述トリックに先鞭をつけフェア。アンフェア論争を巻き起こした「アクロイド殺し」、意外な犯人のほとんど極限ともいえる「オリエント急行の殺人」、そして後の作品に影響を与えたという意味ではいまやABCパターンの言葉もつかわれるほど幾多のバリエーションが現れ、「見立て殺人」の基本となった「ABC殺人事件」。いずれもクリスティーがミステリにおける新機軸として最初に発表したトリックである。そしてその際、これらのトリックはいずれもサプライズドエンディング(意外な結末)と密接に結びついたものであることは見落としてはならない。
 しかし、優れたトリック、結末の意外性はよく出来た推理小説が共通して持っているものだ。一概にクリスティー独自の特徴ともいえない。その意味でクリスティーの特徴はむしろ騙し方の見事さにあるかもしれない。ロバート・バーナードの「欺しの天才―アガサ・クリスティー創作の秘密―」は、その技術についての精妙な分析であった。
 しかしながら、このことを考えてみるとき私はいつも一つの言葉を思い浮かべずにはいられない。それは外連(けれん)という言葉である。外連とは歌舞伎や浄瑠璃から来た言葉で、辞書には「芸の本道からはずれ、見た目本位の奇抜さをねらった演出という意味で、離れ業(わざ)、早替り、宙乗りなどのこと」とある。
 クリスティーの1920、30年代の傑作群はそういう意味で外連味あふれた作品だ。一方、外連の対極は名人芸である。外連味あふれる作品は、華麗で派手で人目を引くし、誰にも真似できないものに感じられよう。しかし、それでも真のオリジナリティーは名人芸にあるはずだ。クリスティーにおいても本当にオリジナルで、彼女しか書けない作品は晩年の作品における彼女の名人芸にあったということを論証しようというのがこの論考の目的である。

欺しの天才―アガサ・クリスティ創作の秘密

欺しの天才―アガサ・クリスティ創作の秘密

 第二章 クリスティー後期の作品について
 この章では、前章のクリスティーの後期の作品について少々の考察をしてみたいと思う。その前にここで便宜上クリスティーの80以上にもわたる作品を前、中、後期の3つに分類しておく。クリスティーの場合にはクイーンとは違って時期別の分類にはこれといった定説がない。それゆえ、これから述べる分類はあくまで私の個人的なものであることをことわっておく。 それによればデビュー作「スタイルズの怪事件」から「動く指」まで(1920−1943)までを前期、「ゼロ時間へ」から「複数の時計」まで(1944−1963)までを中期、「カリブ海の秘密」から「運命の裏木戸」まで(1964−1973)までの最晩年を後期としておく。ただし、実際の執筆時期から考えて、「カーテン」「スリーピング・マーダー」の2作品は前期あるいは中期に含まれることになる。 
 年代別にクリスティーの後期作品を並べてみよう。
「カリブ(つづく)