ももクロ&アイドル blog (by中西理)

ももいろクローバーZとアイドルを考えるブログ

「関係性の演劇」とそれを継ぐ者たち

 日本現代演劇に1990年代に起きた最大の出来事は青年団平田オリザに代表される「静かな演劇」の台頭だった。「静か」という言葉が独り歩きしている感があるが、いわゆる「静かな演劇」というのは「人間関係の細密な描写を通じ、作者の世界観を提示する」演劇であり、私自身はこうした種類の演劇を「関係性の演劇」と呼ぶことにしてきた。「静かな演劇」という呼称が実態を捉えておらず批評言語としては不適当だと考えていたからだ。「関係性の演劇」はその多くが群像会話劇の形態を取る。多くの場合、ワンシチュエーション(1場)で、時空の転換は限られ、一見日常的な静かな場面が続くことが、こうした群像会話劇が「静かな演劇」と呼ばれる要因なのだが、舞台上の俳優が叫びだそうが、暴力をふるおうが、提示されるものが、登場人物間の関係に主眼を置いたものは全て、この「関係性の演劇」の範疇に入れられる。
90年代を席巻した「関係性の演劇」
 「関係性の演劇」についてもう少し説明したい。それは作品で、主に登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法の演劇だ。ここで「関係性」という言葉が含有する思想的な背景にも触れなければならないだろう。「関係」という概念は現代思想における重要なタームで「実体」の対立概念だ。近代の思想が主体や自意識をある種の実体と考え、重きを置くのに対して構造主義現象学といった現代思想は関係に重点を置いて物事を考える。関係がすべてであり、他者との関係なくして孤立した実体などありえないという考え方なのだ。この世の中のことはすべて、他のこととの関係において我々の前の立ち現れるというのが、関係性の演劇の認識論的前提である。「静かな演劇」はよくリアリズム演劇あるいは新劇への回帰などとも捉えられたが、「関係性の演劇」と名づけることで、この種の演劇が、「内面を持つ個人」を前提にした新劇的な演劇観とは全く異なるものであることが、はっきりするだろう。19世紀のロシアに生まれたスタニスラフスキーのシステムは当然ながら、この「内面を持つ個人」という人間観を前提にしたものとならざるをえなかった。日本の新劇がいかに遠い末裔であろうと、「内面を持つ個人」を描くという前提は動かせない。そこには決定的な差異があるのだ。
 平田オリザの名前をまず出たが、「関係性の演劇」が大きなムーブメントとなったのはそれが平田ひとりにとどまらず、愛憎を含んだ男女の複雑な関係を描き出した群像会話劇の名手、岩松了、ラジカル・ガジベリビンバシステムなど笑いの世界から一転して会話劇に入り、台詞の背後の微妙な関係を浮かび上がらせた宮沢章夫、現代口語における地域語(方言)の重要性をクリーズアップさせ現代口語演劇に新たな地平を開いた松田正隆(時空劇場=当時)、長谷川孝治弘前劇場)、さらにはせひろいち(ジャブジャブサーキット)、深津篤史(桃園会)らそれぞれ作風は違うが、広い意味で「関係性の演劇」と考えられる劇作家が相次ぎ現れた。流れは2000年代にも続き、岸田戯曲賞受賞作家にも三浦大輔ポツドール)、前田司郎(五反田団)ら同じ系譜に入る作家たちが輩出した。
 実は以上の流れの中では「関係性の演劇」はその多くが「現代口語演劇」「群像会話劇」という特徴も合わせ持っていた。ところが2010年以降の現代演劇(ポストゼロ年代演劇)では一見「関係性の演劇」の影響力は退潮したかに見える。「群像会話劇」から逸脱する作品が増え、しだいに会話劇系の作品に取って代わりつつあるからである。岸田國士戯曲賞受賞作を見ても柴幸男「わが星」(2010年=以下カッコ内は受賞年)を皮切りに松井周「自慢の息子」(2011年)、ノゾエ征爾「◯◯トアル風景」(2012年)、藤田貴大「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」(同)、矢内原美邦「前向き!タイモン」(同)と群像会話劇の範疇には入らない作家の受賞が続いてきた。岸田戯曲賞では2013年には岩井秀人「ある女」、赤堀雅秋「一丁目ぞめき」と群像会話劇の枠組みに入る劇作家が受賞し、群像会話劇離れに若干の歯止めがかかったかに見えるが、これ以外の候補作家たちにまで広げて顔ぶれを眺めてみるとこうした傾向はむしろ強まっていることがうかがえる。こうした状況を考えると90年代以降の現代演劇のメインストリームを形成した「静かな演劇」は衰退して先細りしているように思えなくもない。さらに不思議なのは「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こっているのが、本来は「群像会話劇」「現代口語演劇」の牙城となるべき平田オリザ青年団と関係する作家だったことだ。
 「シアターアーツ」編集部から「静かな演劇とその現代的継承」という主題で原稿を依頼された。それに対してそこで言う「静かな演劇」というのは「群像会話劇という形式」をいうのか、それとも「もう少し大きな枠組みでの演劇に対する構え方」のことをいうのかと問い返した。というのは私自身は「関係性の演劇」は消滅、衰退したわけではなく、新たな形態に変貌して現代に継承されていると考えているからだ。そして、その現代的継承こそが先述した「ポストゼロ年代演劇」だとも考えている。この論考ではその仮説を具体的に作品、作家を取り上げながら検証していきたい。
多田淳之介:ポストゼロ年代演劇に先駆けて
 まず多田淳之介(東京デスロック)を最初に取り上げる。東京デスロックが今年7月「シンポジウム SYMPOSIUM」(構成・演出多田淳之介、7月18日ソワレ観劇)に横浜STスポットで上演した。ギリシアの古典であるプラトンの「饗宴」を原案とした作品だが、それは普通に我々が「演劇」と考えるようなものではない。「シンポジウム」では劇場であるフリースペースに観客はひとりづつ入場する。入ってみると劇場の空間には舞台美術のようなものはいっさいなく、そのなかで自由な位置に座ることができるように設定されている。床に観客は自由に座らされ観客に混じっていた俳優たちがそれぞれ自分の言葉(つまり現代口語)で議論を交わすのを目撃することになる。つまり、すべてを見終わった後も私たちはそれが演じられた芝居であるのか、本当にそこで俳優が議論したのかが区別できない。そういうものを見せられる(というか体験させられる)ことになるのだ。演劇とはいえセリフは毎回決まっているわけではない。議論の司会役が参加していて、ある程度そこで行われている議論をさばくなど役割はある程度決められているものの、実際の議論はほぼフリートーク。その日その日の流れに任せられた即興になる。行われているのは「あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催される」シンポジウムのようにも見える議論なのだが、私たち観客はこういう形で舞台空間に召喚されることでそれを議論として受容しながら「演劇として観劇する」という2重の役割を担わされる。
 プラトンの「饗宴」という著作の主題は「愛とは何か」ということで、「饗宴」ではソクラテスとの問答(つまり対話編)という形式を通じてこの主題がさまざまに論じられていく。東京デスロックの多田の作劇の特徴は原戯曲あるいは原作の構造分析からはじまり、作品ごとにそれに合致した方法論を立ち上げ作品を構成していくことだ。この「シンポジウム」も「饗宴」の対話編の構造を換骨奪胎してそれを「饗宴」の現代版である公開討論などのシンポジウムの形式に置き換えている。
 議論は参加している韓国人の俳優による「愛についてどう考えるか」についての非常に長い韓国語の台詞の後、またそれ以上に長い(というか長く感じる)台詞なしの静寂をへて終わるのだが、興味深いのは形式自体はまったく異なるものでありながら、平田オリザの演劇を見た後に感じる感覚と少し似たものを感じた。
 東京デスロックの旗揚げは2001年。今年で10年を超える活動歴を持つ中堅劇団だ。多田は2003年からは青年団の演出部に所属、東京デスロックも青年団の傘下劇団だった時期もあったが、現在は完全に独立。ただ、多田個人としては東京デスロック以外にも「青年団リンク 二騎の会」の演出を手掛けているので、演出部の所属し続けている。
 私が初めて多田作品を見たのは神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリーで上演された「3人いる!」(2007年)だった。ある部屋で休んでいる男の下にひとりの男が現れて、その男の名前を名乗る。顔も体型も全然異なるのにその男が語る境遇は自分とまったく同じ。どうやらその男は男自身のようなのだ。自分がこの部屋の主だからお前は出て行ってくれと主張します。果たしてこの男はだれなのか。自分を名乗る赤の他人なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか……。この芝居が面白いのは普段私たちが無意識に受け入れている演劇上の約束というか、虚構を駆使することで不可思議な状況を現前させてみせる。作品に使われたアイデアは一見通常の群像会話劇のように見える演技の移ろいのなかで「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されて、移動していくというものだ。 最初の印象は奇抜なアイデアを見つけてそれを生かした作品に見えた。面白いけれど「劇団のスタイルというよりは1回だけ使える手ではないのか」という疑問が頭をよぎった。これは同じ劇場でチェルフィッチュ「三月の5日間」(2004年)を最初に見た時と印象の差が大きく、チェルフィッチュの場合はそれまでの演劇の形式を一変するような新しい形式が出てきたインパクトを感じたが、「3人いる」にはそういうのはなかった。むしろ演技のスタイル自体は通常の現代口語演劇に近いので、当時は」そういうものに思いついた1アイデアを付け加えたという風に見えた。ところが実は1アイデアと考えた「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されすという発想には後から考えるとポストゼロ年代演劇の先駆的な特徴が色濃く出ていた。
「3人いる!」の初演は2006年。明らかに前述のチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」を切り離したことが影響を与えたのではないかと思われる。この延長線上にままごと「あゆみ」、柿喰う客「恋人としては無理」、小指値(快快)「霊感少女ヒドミ」などが出てくる。
 ポストゼロ年代演劇とは柴幸男(ままごと)、三浦直之(ロロ)、篠田千明(快快)といった作家たちを考えているが、彼らの作品には以下の様な共通項がある。それは(1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる、(2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する、(3)感動させることを厭わない――などだ。 多田淳之介は1976年生まれ、現在37歳で、先に挙げた柴、篠田らよりはかなり年上なのだが もともと現代口語演劇から出発しながら世代的には少し下であるこれらの若手の作家たちと同じような特徴の作品にいち早く取り組んでいた。ポストゼロ年代演劇の作家らにとっては先駆者ということができるかもしれない。
 東京デスロックは旗揚げ当初から、演劇の枠組みを揶揄するかのような作風で知られていたが、2006年からスタートした「演劇を見直す演劇シリーズ」で役柄を全く固定しない作品(「3人いる!」)、全編造語による作品(「別」)、全く同じストーリーを繰り返し続ける作品(「再生」)を立て続けに発表し、実験演劇の様相を強め、同世代の作家のなかでいち早く平田オリザの現代口語演劇のくびきから脱出した。その意味で「3人いる!」が日本現代演劇に1990年代に起きた最大の出来事は青年団平田オリザに代表される「静かな演劇」の台頭だった。「静か」という言葉が独り歩きしている感があるが、いわゆる「静かな演劇」というのは「人間関係の細密な描写を通じ、作者の世界観を提示する」演劇であり、私自身はこうした種類の演劇を「関係性の演劇」と呼ぶことにしてきた。「静かな演劇」という呼称が実態を捉えておらず批評言語としては不適当だと考えていたからだ。「関係性の演劇」はその多くが群像会話劇の形態を取る。多くの場合、ワンシチュエーション(1場)で、時空の転換は限られ、一見日常的な静かな場面が続くことが、こうした群像会話劇が「静かな演劇」と呼ばれる要因なのだが、舞台上の俳優が叫びだそうが、暴力をふるおうが、提示されるものが、登場人物間の関係に主眼を置いたものは全て、この「関係性の演劇」の範疇に入れられる。

90年代を席巻した「関係性の演劇」

 「関係性の演劇」についてもう少し説明したい。それは作品で、主に登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法の演劇だ。ここで「関係性」という言葉が含有する思想的な背景にも触れなければならないだろう。「関係」という概念は現代思想における重要なタームで「実体」の対立概念だ。近代の思想が主体や自意識をある種の実体と考え、重きを置くのに対して構造主義現象学といった現代思想は関係に重点を置いて物事を考える。関係がすべてであり、他者との関係なくして孤立した実体などありえないという考え方なのだ。この世の中のことはすべて、他のこととの関係において我々の前の立ち現れるというのが、関係性の演劇の認識論的前提である。「静かな演劇」はよくリアリズム演劇あるいは新劇への回帰などとも捉えられたが、「関係性の演劇」と名づけることで、この種の演劇が、「内面を持つ個人」を前提にした新劇的な演劇観とは全く異なるものであることが、はっきりするだろう。19世紀のロシアに生まれたスタニスラフスキーのシステムは当然ながら、この「内面を持つ個人」という人間観を前提にしたものとならざるをえなかった。日本の新劇がいかに遠い末裔であろうと、「内面を持つ個人」を描くという前提は動かせない。そこには決定的な差異があるのだ。

 平田オリザの名前をまず出たが、「関係性の演劇」が大きなムーブメントとなったのはそれが平田ひとりにとどまらず、愛憎を含んだ男女の複雑な関係を描き出した群像会話劇の名手、岩松了、ラジカル・ガジベリビンバシステムなど笑いの世界から一転して会話劇に入り、台詞の背後の微妙な関係を浮かび上がらせた宮沢章夫、現代口語における地域語(方言)の重要性をクリーズアップさせ現代口語演劇に新たな地平を開いた松田正隆(時空劇場=当時)、長谷川孝治弘前劇場)、さらにはせひろいち(ジャブジャブサーキット)、深津篤史(桃園会)らそれぞれ作風は違うが、広い意味で「関係性の演劇」と考えられる劇作家が相次ぎ現れた。流れは2000年代にも続き、岸田戯曲賞受賞作家にも三浦大輔ポツドール)、前田司郎(五反田団)ら同じ系譜に入る作家たちが輩出した。

 実は以上の流れの中では「関係性の演劇」はその多くが「現代口語演劇」「群像会話劇」という特徴も合わせ持っていた。ところが2010年以降の現代演劇(ポストゼロ年代演劇)では一見「関係性の演劇」の影響力は退潮したかに見える。「群像会話劇」から逸脱する作品が増え、しだいに会話劇系の作品に取って代わりつつあるからである。岸田國士戯曲賞受賞作を見ても柴幸男「わが星」(2010年=以下カッコ内は受賞年)を皮切りに松井周「自慢の息子」(2011年)、ノゾエ征爾「◯◯トアル風景」(2012年)、藤田貴大「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」(同)、矢内原美邦「前向き!タイモン」(同)と群像会話劇の範疇には入らない作家の受賞が続いてきた。岸田戯曲賞では2013年には岩井秀人「ある女」、赤堀雅秋「一丁目ぞめき」と群像会話劇の枠組みに入る劇作家が受賞し、群像会話劇離れに若干の歯止めがかかったかに見えるが、これ以外の候補作家たちにまで広げて顔ぶれを眺めてみるとこうした傾向はむしろ強まっていることがうかがえる。こうした状況を考えると90年代以降の現代演劇のメインストリームを形成した「静かな演劇」は衰退して先細りしているように思えなくもない。さらに不思議なのは「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こっているのが、本来は「群像会話劇」「現代口語演劇」の牙城となるべき平田オリザ青年団と関係する作家だったことだ。

 「シアターアーツ」編集部から「静かな演劇とその現代的継承」という主題で原稿を依頼された。それに対してそこで言う「静かな演劇」というのは「群像会話劇という形式」をいうのか、それとも「もう少し大きな枠組みでの演劇に対する構え方」のことをいうのかと問い返した。というのは私自身は「関係性の演劇」は消滅、衰退したわけではなく、新たな形態に変貌して現代に継承されていると考えているからだ。そして、その現代的継承こそが先述した「ポストゼロ年代演劇」だとも考えている。この論考ではその仮説を具体的に作品、作家を取り上げながら検証していきたい。

多田淳之介:ポストゼロ年代演劇に先駆けて

 多田淳之介(東京デスロック)を最初に取り上げたい。東京デスロックが今年7月「シンポジウム SYMPOSIUM」(構成・演出多田淳之介、7月18日ソワレ観劇)に横浜STスポットで上演した。ギリシアの古典であるプラトンの「饗宴」を原案とした作品だが、それは普通に我々が「演劇」と考えるようなものではない。「シンポジウム」では劇場であるフリースペースに観客はひとりづつ入場する。入ってみると劇場の空間には舞台美術のようなものはいっさいなく、そのなかで自由な位置に座ることができるように設定されている。床に観客は自由に座らされ観客に混じっていた俳優たちがそれぞれ自分の言葉(つまり現代口語)で議論を交わすのを目撃することになる。つまり、すべてを見終わった後も私たちはそれが演じられた芝居であるのか、本当にそこで俳優が議論したのかが区別できない。そういうものを見せられる(というか体験させられる)ことになるのだ。演劇とはいえセリフは毎回決まっているわけではない。議論の司会役が参加していて、ある程度そこで行われている議論をさばくなど役割はある程度決められているものの、実際の議論はほぼフリートーク。その日その日の流れに任せられた即興になる。行われているのは「あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催される」シンポジウムのようにも見える議論なのだが、私たち観客はこういう形で舞台空間に召喚されることでそれを議論として受容しながら「演劇として観劇する」という2重の役割を担わされる。

 プラトンの「饗宴」という著作の主題は「愛とは何か」ということで、「饗宴」ではソクラテスとの問答(つまり対話編)という形式を通じてこの主題がさまざまに論じられていく。東京デスロックの多田の作劇の特徴は原戯曲あるいは原作の構造分析からはじまり、作品ごとにそれに合致した方法論を立ち上げ作品を構成していくことだ。この「シンポジウム」も「饗宴」の対話編の構造を換骨奪胎してそれを「饗宴」の現代版である公開討論などのシンポジウムの形式に置き換えている。

 議論は参加している韓国人の俳優による「愛についてどう考えるか」についての非常に長い韓国語の台詞の後、またそれ以上に長い(というか長く感じる)台詞なしの静寂をへて終わるのだが、興味深いのは形式自体はまったく異なるものでありながら、平田オリザの演劇を見た後に感じる感覚と少し似たものを感じた。

 東京デスロックの旗揚げは2001年。今年で10年を超える活動歴を持つ中堅劇団だ。多田は2003年からは青年団の演出部に所属、東京デスロックも青年団の傘下劇団だった時期もあったが、現在は完全に独立。ただ、多田個人としては東京デスロック以外にも「青年団リンク 二騎の会」の演出を手掛けているので、演出部の所属し続けている。

 私が初めて多田作品を見たのは神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリーで上演された「3人いる!」(2007年)だった。ある部屋で休んでいる男の下にひとりの男が現れて、その男の名前を名乗る。顔も体型も全然異なるのにその男が語る境遇は自分とまったく同じ。どうやらその男は男自身のようなのだ。自分がこの部屋の主だからお前は出て行ってくれと主張します。果たしてこの男はだれなのか。自分を名乗る赤の他人なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか……。この芝居が面白いのは普段私たちが無意識に受け入れている演劇上の約束というか、虚構を駆使することで不可思議な状況を現前させてみせる。作品に使われたアイデアは一見通常の群像会話劇のように見える演技の移ろいのなかで「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されて、移動していくというものだ。 「3人いる!」の初演は2006年。チェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」を切り離したことが影響を与えたのではないかと思われる。この延長線上にままごと「あゆみ」、柿喰う客「恋人としては無理」、小指値(快快)「霊感少女ヒドミ」などが出てくる。
 東京デスロックは旗揚げ当初から、演劇の枠組みを揶揄するかのような作風で知られていたが、2006年よりスタートした「演劇を見直す演劇シリーズ」で役柄を全く固定しない作品(「3人いる!」)、全編造語による作品(「別」)、全く同じストーリーを繰り返し続ける作品(「再生」)を立て続けに発表し、実験演劇の様相を強め、同世代の作家のなかでいち早く平田オリザの現代口語演劇のくびきから脱出した。その意味で「3人いる!」が東京デスロックが現代口語演劇、すなわちゼロ年代演劇的なものから、ポストゼロ年代演劇的なものにシフトしていくきっかけになった。

 次の作品「再生」では多田のスタイルはより大きな変化をとげた。「再生」では表題通りまるでビデオが再生されるように同じストーリーが舞台上で3回繰り返される。当時話題になっていたネットによる集団自殺という物語があって、集まってきた若者たちが鍋を食べて、踊り狂った挙句に次々と倒れていってしまうが、実はこの舞台で重要なのはそういう表面上の筋立てではなく激しい動きをともなう上演が3度繰り返させることで、俳優の身体が疲弊してくる。その「疲弊」を生のものとして見せることで、舞台上での「死」と「疲弊」が二重写しになってくるという仕掛けを試みた。2007年からの「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」に焦点を合わせ、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦した。先に述べた「遊戯的なルール」などというとパソコン上で展開されるコンピューターゲームとはそういうものが連想されて、これはゲーム的リアリズムなどにもつながっていくわけだが、東京デスロックの場合、そういうゲーム的感性と同時にそれを演じるのがあくまで二次元のキャラではなくて、生身の人間なのだということからくる摩擦のようなものを舞台に載せているところが大きな特徴なのだ。「LOVE」もほとんどセリフらしいセリフがないなかで、パフォーマー相互の関係性の提示のなかでこの世界の人間の関係性のありかたを抽象的、すなわち普遍的に提示することで、人間の歴史などの大きな「世界の構造」を比喩するとともに激しい動きと倒れる、また立ち上がるという構造はここでも繰り返され、「人間が生きていくこと」の根源的なあり方が想起される仕掛けとなっている。2010年に上演された「2001年―2010年宇宙の旅」。この作品はスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」とそれを小説化したアーサー・C・クラークの同名のSF作品を原作にしながら、そこで描かれていた人猿=人類の歴史を東京デスロックの旗揚げ(2001年)から現在(2010年)までの歴史(より正確にいえばその間の夏目慎也の個人史)と重ねあわせている。

 2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、本日もその一部を紹介していきたいと思ってますが、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけている。「WALTZ MACBETH」では着物を着た男女が円陣を組んで並べられた椅子の周りをぐるぐると回り、「椅子取りゲーム」を繰り広げます。この「椅子取りゲーム」がそのままシェイクスピアの「マクベス」に出てくるダンカン王の謀殺、ダンカンの暗殺といった権謀術策を凝らしての権力闘争を象徴しているわけですが、シェイクスピアの戯曲に書かれたセリフは変えないでそのまま語りながら、俳優たちはこの「椅子取りゲーム」を繰り返すことで多田はビジュアル的に現代の人間にも分かりやすい形で、「マクベス」を舞台化した。

 多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をはるかに精緻に展開してみせ2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。 

 柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。

 これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公である「あゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。

 柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇「ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム(2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場小ホールw上演したが代表作である「あゆみ」「わが星」を超えるような新趣向は出てこず模索の時期にあるようだ。

 3人目として紹介したいのがサンプルの松井周である。松井の場合は2004年に劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「通過」で作演出をスタートさせるが、青年団の中心俳優として活動していたこともあり、劇団として「サンプル」を旗揚げしたのは2007年であった。「通過」など初期作品ではスタイルは典型的な群像会話劇かつ現代口語演劇であった。ところが近作では次第にそのスタイルを変貌しつつあり、フェスティバル/トーキョー2013に参加、今年11月ににしすがも創造館で上演された「永い遠足」(11月17日・21日ソワレ観劇)はギリシア悲劇の「オイディプス王」を下敷きにし、テキスト的にも会話劇的な部分に加えて、モノローグや寓話あるいは遊戯的なシークエンスも混交させたかなり複雑な構造を持つ舞台に仕上がっていた。

 現代口語演劇、すなわちゼロ年代演劇的なものから、ポストゼロ年代演劇的なものにシフトしていくきっかけになった。
 次の作品「再生」ではそこからスタイルは大きな変化をとげる。「再生」では表題の通りに同じストーリーが舞台上で3回繰り返されます。この「再生」ではかろうじて物語の設定として、当時話題になっていたネットによる集団自殺という主題があって、おそらくいろんなところから集まってきた若者たちが鍋を食べて、踊り狂った挙句に次々と倒れていってしまう。そういうことはあるのですが、実はこの舞台で重要なのはそういう表面上の筋立てだけではなくて、かなり激しい動きをともなうそれが3度繰り返させることで、それが繰り返されるうちに俳優の身体そのものが疲弊してきて、それを舞台上で生のものとして見せることで、舞台上での「死」と「疲弊」が二重写しになってくるという仕掛けがある。
 これを受けて2007年よりスタートした「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」に焦点を合わせ、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦した。先に述べた「遊戯的なルール」などというとパソコン上で展開されるコンピューターゲームとはそういうものが連想されて、これはゲーム的リアリズムなどにもつながっていくわけだが、東京デスロックの場合、そういうゲーム的感性と同時にそれを演じるのがあくまで二次元のキャラではなくて、生身の人間なのだということからくる摩擦のようなものを舞台に載せているところが大きな特徴なのだ。
「再生」の後にこれは日本各地や海外でも上演されて最近の東京デスロックのなかでは代表作ともいえる「LOVE」という作品もほとんどセリフらしいセリフがないなかで、パフォーマー相互の関係性の提示のなかでこの世界の人間の関係性のありかたを抽象的、すなわち普遍的に提示することで、人間の歴史などの大きな「世界の構造」を比喩するとともに激しい動きと倒れる、また立ち上がるという構造はここでも繰り返され、「人間が生きていくこと」の根源的なあり方が想起される仕掛けとなっている。2010年に上演された「2001年―2010年宇宙の旅」。この作品はスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」とそれを小説化したアーサー・C・クラークの同名のSF作品を原作にしながら、そこで描かれていた人猿=人類の歴史を東京デスロックの旗揚げ(2001年)から現在(2010年)までの歴史(より正確にいえばその間の夏目慎也の個人史)と重ねあわせている。
 2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、本日もその一部を紹介していきたいと思ってますが、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけています。「WALTZ MACBETH」では着物を着た男女が円陣を組んで並べられた椅子の周りをぐるぐると回り、「椅子取りゲーム」を繰り広げます。この「椅子取りゲーム」がそのままシェイクスピアの「マクベス」に出てくるダンカン王の謀殺、ダンカンの暗殺といった権謀術策を凝らしての権力闘争を象徴しているわけですが、シェイクスピアの戯曲に書かれたセリフは変えないでそのまま語りながら、俳優たちはこの「椅子取りゲーム」を繰り返すことで多田はビジュアル的に現代の人間にも分かりやすい形で、「マクベス」を舞台化した。
 一方、「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」はおそらく「恋は盲目」という比喩表現のこれままたビジュアル化と思われるが、黒い目隠しをつけられて目が見えなくなった男女(ロミオとジュリエット)が赤いハートの形のクッション状の床のうえを互いに相手を求めて手探りを続けます。そのほか今回は残念ながら映像では紹介できないのですが、渡辺源四郎商店との合同公演となった「月と牛の耳」では格闘家の父子らの相克を描いた作品を象徴する場面として「プロレス」の場面が舞台上で展開されます。このように戯曲の構造や主題の本質を原テクストから読み取り、それをそのまま表象できるようなゲーム(のようなもの)に置き換えていくというのも多田演出の特徴で、これはポストゼロ年代の演劇のひとつの特徴である「ゲーム的感性」と通底するところがある。 
ここしばらくはそれは主として原テキストと演劇作品の構造的類似性(「3人いる!」「2001年―2010年宇宙の旅」「WALTZ MACBETH」「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」「その人を知らず」)などを担って制作されてきたが、観客を俳優と一緒に8時間劇場のスペースに閉じこめるという「モラトリウム」以降は劇場での演劇上演という枠組みそのものの自明性に挑戦するような作風にシフトしはじめたようだ。 
 多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をはるかに精緻に展開してみせ2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。 
 柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。
 これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公である「あゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。
 柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇「ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム(2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場小ホールw上演したが代表作である「あゆみ」「わが星」を超えるような新趣向とは言い難く模索の時期にあるようだ。
 3人目として紹介したいのがサンプルの松井周である。松井の場合は2004年に劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「通過」で作演出をスタートさせるが、青年団の中心俳優として活動していたこともあり、劇団として「サンプル」を旗揚げしたのは2007年であった。「通過」など初期作品ではスタイルは典型的な群像会話劇かつ現代口語演劇であった。ところが近作では次第にそのスタイルを変貌しつつあり、フェスティバル/トーキョー2013に参加、今年11月ににしすがも創造館で上演された「永い遠足」(11月17日・21日ソワレ観劇)はギリシア悲劇の「オイディプス王」を下敷きにし、テキスト的にも会話劇的な部分に加えて、モノローグや寓話あるいは遊戯的なシークエンスも混交させたかなり複雑な構造を持つ舞台に仕上がっていた。
 
  
  


 多田淳之介は現在も青年団の演出部に所属している。これは現在は青年団とは独立した劇団である東京デスロック以外に主として演出を担当している青年団の劇団内ユニット「青年団リンク 二騎の会」というのがあって今年は5月に「雨の街」(作:宮森さつき 演出:多田淳之介)を上演したが、これはSF的設定で不条理劇めいた趣向を打ち出してはいるものの演劇、演出の様式は平田オリザ流の群像会話劇=現代口語演劇であり、様式的に会話劇とは離れてしまった東京デスロックとは異なるもので現在もこの2集団を同時に手掛けているからだ。 
その後はそれは主として原テキストと演劇作品の構造的類似性(「3人いる!」「2001年―2010年宇宙の旅」「WALTZ MACBETH」「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」「その人を知らず」)などを担って制作されてきたが、観客を俳優と一緒に8時間劇場のスペースに閉じこめるという「モラトリウム」以降は劇場での演劇上演という枠組みそのものの自明性に挑戦するような作風にシフトしはじめたようだ。
 身体的な「疲れ」などのアンコントロールなものを舞台上で提示するというのは夢の遊眠社あるいは最近ではニブロールミクニヤナイハラプロジェクト)の前例があります。前回取り上げた宮城聰はこれを「生命の一瞬の燃焼のきらめき」などと呼び、日常性に絡み取られて社会的な存在となっている人間が失ってしまっている生きている人が持つ根源的な力を舞台上で見せることが演劇の一つの使命であると以前語ってくれたことがありますが、そのための方法論として赤ん坊とか、老齢のダンサーであった大野一雄のような特権的身体ではないひとがこれを表現するためにはなんらかの仕掛けが必要だと述べていました。そのひとつの方法として激しい身体的負荷を挙げていたように記憶しているのですがこれは例えば「エロティシズムは、死に至るまでの生の称揚である」というバタイユの蕩尽理論などにも通じるところがあるかもしれない。