ももクロ&アイドル blog (by中西理)

ももいろクローバーZとアイドルを考えるブログ

関西から

 平田オリザの登場以来、日本の現代演劇において大きな流れを作ってきたのが現代口語の群像会話劇であった。今号ではゼロ年代(2000年代)の総括が特集されるようだが、平田らに続き、ゼロ年代半ば以降に現れたポツドール三浦大輔五反田団の前田司郎らもそうした傾向の延長線上にある作家たちといえる。しかし群像会話劇中心の流れが変わりつつあるのが、「テン年代」とも称されている2010年以降の新傾向である。
 ひとつの特徴は若手作家に演劇とダンスのボーダーのような領域の作品上演が目立つことだ。そうした傾向はここ数年で一層顕著となり、特に東京ではチェルフィッチュ岡田利規らにより「しゃべるダンス? おどる演劇?」の表題でトークショーが行われたほどで、「ダンスのような演劇」「演劇のようなダンス」が流行の兆しをみせている。
 けん引役はチェルフィッチュニブロールだろう。両者ともダンスと演劇の境界線上で活動してきたが、チェルフィッチュは若者言葉をそのまま舞台に乗せたようなハイパーリアルな口語とともに一見無作為に振り回しているようにも見える手足の動きなどコンテンポラリーダンスとの近親性を感じさせる独自の身体所作がダンスの専門家の注目を集めた。逆にニブロール矢内原美邦はすでにいくつかの振付賞を受賞するなどコンテンポラリーダンスの領域では知られる存在であったが、ミクニヤナイハラプロジェクトの名前で演劇も上演。速射砲のような台詞回しとやはりダンスのような身体所作を組み合わせた「演劇」は戯曲が岸田戯曲賞候補となるなどゼロ年代後半において異彩を放つ存在となった。
 東京とは若干様相は違うが、劇作を兼ねる演出家が主宰する劇団が多く、戯曲中心主義が目に付く関西においても、今年の上半期以降、同様のジャンルに対してボーダレスな舞台上演が目立ってきている。「シアターアーツ」のリニューアルに際して、時評として「関西から」と題するコラムがスタートしたのを機に今回はその第1回目として、こうした新たな動きを紹介したいと思う。
 新たな動きの火付け役となったのが地点だ。最近、青年団周辺から次々と有望な若手が登場しているが、その先駆けとなったのが地点(三浦基)で、青年団の劇団内劇団「青年団リンク・地点」として2003年から2004年まで活動していたが、2005年4月、青年団からの独立と同時に京都へその本拠を移転した。当初は外様的な印象が強かったが、5年の歳月をへて、現在では松田正隆のマレビトの会などと並び京都を代表する劇団の地位を確固たるものとしつつある。
 チェーホフの4大戯曲の連続上演など古典の上演が目立っていた地点だが新作「誰も、何も、どんなに巧みな物語も」(構成・翻訳=宇野邦一、演出=三浦基、4月22〜25日、京都芸術センター) ではダンサーの山田せつ子を客演に迎え、看板の安部聡子との共演でジャン・ジュネのテキストを上演した。
 採用されたテキストはジャン・ジュネの戯曲ではなくて、ジャコメッティのアトリエを基点に展開される特異な美術論「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」、ジュネの残した演劇論「……という奇妙な単語」、パレスチナ人の無数の死体。虐殺の現場へ数少ない目撃者として訪れたジュネによる記録「シャティーラの4時間」という3篇のエセー。前作「あたしちゃん、行く先を言って」でも太田省吾の戯曲以外のテキストを使ったという前例はあるものの、古典的な戯曲を素材にした「語りの演劇」とは明確に異なる射程を目指した上演であることが感じられた。
 実はこの舞台を見ながらその少し前に横浜で見たチェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人であるのか?」のことを思い出した。というのは語る俳優と台詞をしゃべらずにただ動いているパフォーマーが同時に舞台上に存在しているという構造が相似形だったからだ。ただ、舞台の印象はまったく違う。それはチェルフィッチュの舞台においては台詞はひとつの参照項として、微細な動きだけを続ける俳優を見続けるための枠組みを構成するもので、語る俳優の方は(少なくとも私には)透明になっていくように感じられたのに対して、地点の「誰も、何も、どんなに巧みな物語も」では「語り」を担当する安部聡子が突出した存在感を持つためか、どうしても彼女の方を主に見てしまう。
 問題はダンサーの山田せつ子は台詞を一切語らず、ただ、ダンサーとして動き回るだけのように見えたことかもしれない。山田が普段の彼女のダンスからどれくらい変容したものを三浦の演出で見せてくれるかにこの舞台の期待はあったが、ここに見えたのはあくまでいつもの山田でそれ以外のものではなかった。
 山田の動きは基本的にダンス的であり、安部の「語り」を付帯音楽としてそこで踊るという風で、それだと印象としては「ダンス」と「語り」が出合って、そこでなにか化学反応のようなものが起こるというのではなくて、それぞれはただ舞台上に同時に存在しているだけに見えた。その結果、次第に安部だけに目がいくようになり、「山田を客演に迎えた意味がどこにあったのだろう」と思ってしまった。ただ、安部に関していえばダンサーである山田の存在に触発されたためか、いつも以上に動きながら語り、語りながら動くというところがあり、そこにダンスでも演劇ない新たな表現の片鱗が可能性として垣間見えはした。
 一方、ダンスの側から言語テキストの導入も含め、演劇/ダンスのボーダレス化に挑戦したのがきたまりである。KIKIKIKIKIKI「生まれてはみたものの」(構成・振付・演出きたまり、3月20、21日、アイホール)にはダンサーの山田せつ子が地点に客演したのとは逆にこのKIKIKIKIKIKIの舞台には地点の俳優である大庭裕介が出演した。
 きたまりの作品はトヨタコレオグラフィーアワードでグランプリこそ逃したが審査員から高い評価を得た「サカリバ」をはじめ、その多くが女性特有のセクシャリティーや生理感覚を捉えた作品だった。出演しているダンサーも踊りの技術や動き以上にそれぞれのダンサーの個性(キャラクター)を重視したもので、そこに明確な物語があるというわけではないけれど、もともと演劇的な要素がないわけでもなかった。さらにいえばこの春、横浜ソロ&デュオでグランプリを受賞したソロダンス「女生徒」も太宰治の同名小説を原作としてこれを「イマドキの女子高生」に読み替えた作品であり、そこでも「女性」が大きな主題となっていることは変わらない。
 だが、この「生まれてはみたものの」はこれまでのきたまり作品とは方向性が異なる公演であった。「生まれてはみたものの」は同名映画を製作した小津安二郎監督の世界をメインモチーフに選んでいる。冒頭からして背広姿のいかにもサラリーマン然とした男たちが登場して、OL姿の女たちと掛け合いのようなダンスを踊るというのがこれまでのきたまり作品にはなかったことだが、それだけではなく「どうです、もうひとつ」「あんたはしあわせだ。私はさみしいよ」「なにがです、なにがさみしんです」「いやあ、さびしいんじゃ。結局人生は一人じゃ、ひとりぼっちですわ」という小津の「秋刀魚の味」(1962)に出てくる台詞が、サンプリングされたように出てきて「台詞」として何度も何度も繰り返される。
 「台詞」だけではなく、BGM音楽も冒頭の「私の青空」をはじめとして、小津がよく使うジャズ音楽なども使われた。こうした要素のコラージュにより「小津らしさ」は醸し出されるのではあるが、気になったのはこれはいくら台詞が舞台上で交わされても「台詞」と「動き」がただ重なるだけではそこから演劇的な要素は生まれない。そういう意味でここで重視されているのは言葉のリズム感や音そのものの与える印象といったもので、この作品がチェルフィッチュミクニヤナイハラプロジェクト、地点と決定的に異なるのは同様に言葉を使っていても、言葉の意味性と離れむしろ音楽と同等の使い方をしていることがうかがえるからだ。
 実はきたまりはこの作品に先立ち、横浜で開催されたダンス企画「We dance」において「ダンスを言葉にする道のり」というデュオ作品(出演:大庭裕介、遠田誠)を発表しているのだが、それは「あ」「い」「う」「え」「お」という五十音をそれぞれ恣意的に決められた特定の動きと1対1対応させていき、それで言葉に対応した一連の動きの連鎖からダンスを作っていくという作品であった。その方法論の一部はこの「生まれてはみたものの」にも取り入れられている。
 これはこれまでダンサー個々への振り移しという形でしてきた振付の作業を言葉を媒介とすることで一部「タスク化」「自動化」しようという試みで、ダンス創生の手段としても興味深いのだけれど、もうひとつ注意を向けたいのがこの作業を通じての「言葉」とのかかわりからは言葉の意味性が決定的に排除されていることだ。
実はこの舞台を見る前の期待としてはこうして提示された形式性が小津映画のある種の人工性・形式性を浮かび上がらせ、そこに小津に対する批評性が提示されるのではないかという期待があったのだが、残念ながらこの作品はそういう風には出来ていなかった。小津的なモチーフに反して、実際の作品にはこれまできたまりの作品の特徴であった性的な意味合いを感じさせるような表出的表現がそこここで散見され、そういう前半部分の印象と表現に形式性を取り入れた後半がどうもうまく呼応してないきらいがあり、そこにミスマッチを引き起こすような感覚があり、当惑させられた。 
 一方、若手ダンスカンパニーではポスト・きたまり世代に当たるウミ下着も「あの娘の部屋に行こう」で台詞を多用する作品作りをした。ウミ下着は近畿大学出身の中西ちさと、福井菜月らによるダンスカンパニー。前回公演「少女は不幸がお好き」@大阪芸術創造館の時に「ウミ下着は『ガロ』の漫画か楳図かずお、要するにアングラっぽさがあるのだけれど、両者のイメージにはそのくらいの大きな違いがあるのだ。ただ、アングラっぽいとは書いたけれど、彼女らの作品にはポップなところもあって、それはKIKIKIKIKIKI(きたまり)やBATIK(黒田育世)のような舞踏をベースにしたような表現の持つ湿度のようなものとは明らかに一線を画しているところがあり、そこが新鮮」と書いたのだけれど、そういう特徴は可愛らしいグッズやイラストを散りばめた「私の部屋」で展開していく「いわば自画像」的な作品である「あの娘の部屋に行こう」ではより分りやすく発揮されたといえよう。

 公演会場の部屋に入ると白い綿のようなもので矩形が作られていて、そのなかには小さな家の形をしたものがあり、そこにはぬいぐるみのようなものがたくさん置かれていたり、壁にはかわいいイラストが張ってあったり、キノコの模様の丸いテーブルのようなものとかが置かれているのだ。いかにも少女らしい部屋の様子でこの部屋を見た時に最初は珍しいキノコ舞踊団のことなども少し思い出したりしたのだが、ここからが全然違うのだ。

 これが珍しいキノコ舞踊団」であればここを少女のようなダンサーの遊び場(プレイグラウンド)として観客との間に親密な空間を形成しながら、世界が展開していくのだが、ウミ下着の展開するのは同じく若い女性は登場しながらも、もっと暴力的であったり、女性たちの息遣いや生理的な感覚が伝わるような生々しい空間なのだ。 
 同じ台詞を使うと言ってもきたまりが言葉の意味性そのものよりもリズムや音質を重視したのに対し、ここではパフォーマーらによって部屋の主(中西ちさ)の過去の日記の抜粋のようなものが語られて、それに合わせて中西が自画像に近いキャラクターを演じるという構造。ダンサーたちによる群舞が何カ所か挿入されるが、ダンスは主人公の心象風景を表現するような関係になっていて、これはもうダンスというよりはダンスが多用されている演劇と考えた方が座りがいい。

 「ダンスのような演劇」「演劇のようなダンス」とは少し違うが今年の上半期の関西の舞台でもっとも注目された公演が精華小劇場プロデュース公演として企画された「イキシマ breath island」(松田正隆作・松本雄吉演出、2月18日〜28日)だったことは間違いない。今回の「イキシマ breath island」はその松田による戯曲を維新派の松本雄吉が演出したものだが、イメージを具象化するのが簡単ではない松田戯曲の提出してきたイメージを戯曲に忠実に拾いながら、松本ならではのビジュアルイメージに定着させていった。
 松田は平田オリザと並び90年代の現代口語演劇を代表する劇作家であった。岸田戯曲賞を受賞した「海と日傘」をはじめ故郷長崎を舞台にした長崎3部作に代表される群像会話劇でその地位を不動にしたが、その最良の舞台成果が「月の岬」「夏の砂の上」をはじめとした松田脚本、平田演出による連作だったことは多くの人が認めるところであろう。
 ところが、平田とのこの黄金コンビは2000年代に入り、松田がその作風を端正な会話劇から、さまざまな文体の言語テキストのコラージュを思わせるような実験的な作風に転換していくにしたがい崩壊していく。松田の作風は「雲母坂」において、端正な会話劇に見えたものが後半一変し、閉ざされた島を舞台にそこで米軍の支配に石つぶてで対抗する人々が描かれるなど非日常性が溢れ出すことで変化の片鱗を見せるが、会話劇の呈をなしていない演出困難な原テキストを平田が会話劇的に書き替えた「天の煙」において2人の立場は決定的に離れていくことになった。
 この後、松田は自らの劇団「マレビトの会」を発足。現代口語演劇時代とはまったく異なる作風の作品を手掛けることになるのだが、自ら演出も手がけることになったのは変化した後の松田戯曲を演出できるような演出家を見つけるのがそれほど簡単なことではないという事実もあった。
 というのは先にも書いたように最近の松田戯曲は通常のように物語や人物を描くというのではなくて、例えばこの「イキシマ」の場合でいえば登場人物は船大工と「息」の妻、2人の海女、2人の天使、島へと戻った映画監督、吃音の男、島にいるという神父たち、密入国してきた兄妹と多数でてくるが度具体的にどんな人物かは判然としない。そこでは多種多様な映画が引用されることなどで絵画的に場面のイメージの連鎖がつづられていく。こうしたイメージの交錯がマレビトの会以降の松田作品の特徴だが、松田演出ではそれは具体的に示されることはなく、観客ひとりひとりの脳内に喚起されるものになっている。これに対し。松本演出は優れた美術家でもある松本の手によって、ある時は映像として、あるときは俳優たちの集団演技によって提出されたイメージが実際に舞台上で具現化されていく。加えて、いくつかのダンスシーンがあるのだが、この部分の振付は出演者でもある山下残が担当しており、その意味では確かにこの舞台自体は「ダンスのような演劇」とまではいえないが、このダンスの醸し出すイメージが作品の要となっていることは確かといえた。