ももクロ&アイドル blog (by中西理)

ももいろクローバーZとアイドルを考えるブログ

2000年7月下北沢通信日記風雑記帳

 7月31日 パリ・オペラ座のところでまたオオバカな間違いをしていたことに気が付き書き足す。それにしても私のフランス語の能力はこの程度なので、気が付かないところでは他にも山ほど勘違いしている可能性はある。

 

 7月30日 音楽座トリビュートミュージカル「星の王子さま」(2時〜)、ク・ナウカオイディプス王」(7時半〜)を観劇。

 7月29日 にんじんボーン「恋ハ水色」(3時〜)、BQ MAP「レイノトレイル」(7時〜)を観劇。BQ MAP「レイノトレイル」のような作品を評価するのは難しいところがある。というのは作品としては実にきっちりと誠実に作られていて、娯楽性もあって、大きな欠点も見当たらない。よくできた芝居だからである。BQ MAPには2人の座付き作家がいるのだが、今回の脚本を書き下ろした奥村直義は今どき珍しいほどストレートなタッチで骨太な作品を書く劇作家で、その意味では今回の芝居にはこの劇団は奥村作品を中心にしていくべきではないかと思わせるものがあった。

 ただ、冒頭で評価が難しいと書いたのは私の芝居の見方からすれば方法論があまりにオーソドックスなるがゆえに新味に欠ける感じがするからだ。そこを物足りなく感じてしまうのだ。方法論への懐疑になさは例えばこの芝居についていえば幽霊の取り扱い方などに現れてくる。歴史劇を描くに際して、純然たるリアリズム劇との差別化を図るためになんらかの趣向を劇作(ないし物語)に導入するというのは有効な方法ではあるのだが、こういうのを無前提にやられるといかにもお話という感じがしてしまう。私は戦争末期における技術者と戦争の関係をこのように認識する。それを表現するためにはこういうような提示の仕方をするというような意識が希薄な印象なのだ。もっとも、全ての演劇に方法論的な実験精神を求めるべきなのかといえばもちろんそれはそうではない。井上ひさしマキノノゾミのようにキャラクターの設定とストーリーテリングで見せていくのも演劇の王道であって、そういう傾向の作家にもなにも方法論的懐疑を求めるわけではない。

 では「レイノトレイル」の場合何が気になるのか。やはり、気になるのは問題へのアプローチである。この戦争末期の極限状況で零戦の修理を続ける男たちにはもちろんある種の葛藤はあるのだけれど、それが特攻隊の話と組みあわされることで、どうもステレオタイプな「戦争テーマもの」に結果として収束していってしまいよく出来た話以上のものではなくなってしまう。同じく戦争の時代を背景にした話として長谷基弘の「私のエンジン」やマキノノゾミの「東京原子核クラブ」といった作品と比較すると社会と人間の関係という問題群をそこまでは描ききれていない印象を受けてしまうのだ。

 ただ、BQ MAPの上演とした過去に見た奥村作品と比較した場合、この芝居で影の主役ともいえる舞台に据えられた零戦の美術をはじめ「作者のイメージをビジュアルとして展開する」ということに対しては格段の進歩を感じた。奥村の「世界を構築する才能」については以前に見た「出雲贋櫻伝」「月感アンモナイト」といった作品でその片鱗を感じて注目していたものの上演ではそれが舞台上でのビジュアルの表現としては十分な形では提示しきれないでいるとの印象があった。次回の本公演はそのうち「月感アンモナイト」の再演らしいので、あの世界が進化した劇団の総合力でどのように具現化されるのかは注目しなければならないだろう。

 7月28日 アビニョン観劇レポートをとにかくスタートした。本当は凝った作りにしようとか全体の構成をどうしようとか考えていたのだが、時間がかかってこれ以上遅れるのもなんななのでとりあえず走りながら考えることにする。

 今日ではないが映画「ジュビナイル」を見る。子ども向けのSF映画としてはよくできた映画ではないだろうか。ここはこの映画というように過去の同種の映画からの様々な引用で作品が彩られているのも楽しかった。

 7月27日 アビニョン観劇レポートに画像を載せようと考えているのだが、悪戦苦闘の連続である。私にはコンピューターで画像処理する能力はないので、取りあえず友人に頼んでデジタルカメラで撮影してきた画像をコンピューターに取りいれ、送ってもらうように頼んだのだけど、今度はこの画像をページに掲載できるようになるまでがひと苦労。取りあえず表紙に載せてみた(これはオンのダンス公演のあったPENITNT BLANCという建物の正面の公演前の写真)のだけれどどうも異常に重いみたいだ。昨日と比べてアクセスが減っているのはまさかそのためではないと思うのだけれど、表紙が重くて読めないという人がいればなにか手立てを考えるので教えてほしい。

 今週末はひさびさの連休(といっても夏休みはあったわけだけれど)。チケットを取っているので日曜日の昼(2時〜)に「星の王子さま」を見ることだけは決まっているのだが、後はどうしようか。ク・ナウカオイディプス王」は絶対見なければならないのだが、これを土日のどちらで見ようか。残りもにんじんボーン、時々自動、BQMAP、東京タンバリンと重なっているのでどれか断念せざるをえない。本当は東京グローブ座の「リア王」も前に見逃しているので、行きたいところなのだけど……。

 と昨日の朝書いたのだけど、結局、ク・ナウカは日曜日に見て、土曜日の夜はにんじんホーン。土曜日の昼は迷ったのだれど、BQ MAPは私にとってはひさびさの奥村直義の新作ということもあるし、今回は最近の2公演を連続して見たので東京タンバリンは今回はスキップして、BQ MAP「レイノトレイル」の方を見ることに決めた。

 アビニョンの方はなんとか来週始めにはスタートしたいところだが、今日も書けなかったので予告編も兼ねてアビニョン演劇祭オフの劇場マップを掲載する。アビニョンは普段は人口10万程度の地方の小都市で地図にもあるように城壁に囲まれているのだけれど健脚な人ならそれこそ2時間もあれば城壁の周囲を1周できてしまえるほどの小さな街なのに毎年7月の演劇祭の時期になるとここに100を超える劇場が出来て、おそらくオフだけでも500〜600ぐらいの芝居が約1カ月にわたって連日上演され、この間はこの小さな街が100万人の観光客によって賑わうのである。

 100の劇場で500以上の芝居というのを奇異に感じる人もいるとは思うが、つまり、どういうことかというと一つの劇場でも時間ごとに複数の演目が上演されるので、見ようと思えば朝の10時ぐらいから夜中零時過ぎまでかけずり回って7〜8本の芝居を見続けることも可能なわけだ。なんと、芝居好きに取っては魅惑の状況であろうか。もっとも、実際には人間の体力には限界があるので、やっているから見ようと厳しいスケジュールを組んで見てまわろうとするといかに悲惨なことになるのかというのは実体験として、これから書くレポートの中でおいおい明らかにしていくつもりではあるのだが。

 7月26日 やっとパリ・オペラ座観劇のくだりを校了。いよいよアビニョン観劇レポートに取り掛かれる。前日に書いた内容で間違いがあり、それも合わせて加筆したのですでに一度読んだ人ももう一度読んでみてほしい。

 すでに夏休みに入ってしまったのか私の不在が長かったのが響いたのか伝言板の方は開店休業状態である。アビニョン観劇レポートを書く前に下調べのようなことも若干始めているのだが、その中のひとつにCie Tandemというベルギー(ブリュッセル)のカンパニーの「24 Haikus」(Bud Blumunthal振付/出演)というソロ作品があり、これが垂涎もののカッコよさだったのである。この作品は24篇の俳句をもとにイメージされて作られているらしく、そのうちの一部が会場の外の掲示板に書かれた解説のようなもので紹介されていたので写してきたのだが、フランス語なんで門外漢の私にはさっぱり。このページの伝言板の方に書き写しておいたので、元の句あるいは意味が少しでも分かる人は教えてほしい。私のように間違っていてもインタラクティブに訂正していけば恥じゃないです。だれか協力を。

 7月25日 パリ・オペラ座観劇のくだりを追加(日記コーナーの13日のところ).。アビニョンからは別原稿で掲載の予定だけどまだパリにいるからアビニョンにたどり着くまで前途多難である(笑い)。

 7月24日 一晩ぐっすり眠ることができて、熱も微熱に下がったので会社に出社。そういうわけでいまだアビニョンの観劇レポートは書きはじめられない。とりあえず13日のパリの日記だけをこのコーナーに少し書くことにする。(13日のところ) 

 7月23日 ロリータ男爵「花魔王」(1時半〜)、トリのマーク「キッチンタイマー」(6時〜)を観劇。前日夜、38度近い発熱に苦しみ、寝られず朝になって、やや熱が下がったので微熱で身体はだるかったのだけれど、なんとかこの2本を見にいくことにする。芝居は面白かったし、この2劇団の芝居ではそれほど体力を消耗することはないからまあよかったのだが、この日の夜はさすがに冷房がなく猛熱地獄の下宿に帰ると風邪が悪化しそうなのでホテルに泊まって、体力回復に務めることにする。

 7月22日 異常に暑い。おまけに今朝ひどく寝汗をかいたために気が付いたら風邪を引いてしまっている。明日はロリータ男爵とトリのマークを見に行く予定なので、それまでに体調を治したいのだけれど。アビニョンの観劇日記の方はこれが治るまでちょっと遅れそう。とにかくこの暑さでおみやげのつもりで買ってきたチョコレートも自分で食べようと思っていたチーズもしばらく部屋に置いておいた間に原形をとどめないほどどろどろに溶けてしまった。本当になんとかしてよ。

 7月21日 帰国後初の出社。

 7月20日 フランスから帰国。帰りの飛行機では寝られなかったため、芝居に行くのは断念。行く前には今回は優雅な旅にしたいなどと書いたこともあったが、特にアビニョンに入ってしまうと熱にうなされたようになってしまうのはなぜだろうか。内容については別途観劇レポートで書くことにするが、アビニョン入りした14日に3本見た後、15日には6本、16日にも6本、この異常なハイペースに体調を壊し、17日は3本見たところでホテルに帰ったものの寝て慢性的な睡眠不足を解消したことで体調を取り戻し、最終日の18日は7本を観劇。合計では2年前を超える25本の舞台を見るはめになってしまったのである。(笑い)こんなことになってしまったのは2年前と比べると今年はオフでのダンスプログラムが充実していたためである。

 アビニョン演劇祭は演劇祭なためダンス関係のプログラムはけっして充実しているとはいえない(少なくとも数の面で)のだが、今年はオフのプログラムにも THEATREとは別にDANSEの項目があるほどで、そこに掲載されていた27作品のうち16本を見ることができた。その内容はひとことで言えば玉石混交そのものだが、見たかったニブロールが19日からの公演だったということで見られなかったのを除けば2年前に見てなんだこいつらはというバカダンスぶりに驚かさせられたCIE HELENE VISCOPEの健在ぶりも確認できたし、運動性に特化して圧倒的に格好のいいダンスという意味では特筆ものだったCIE TANDEM(振付Bud Blumenthal)というブリュッセルのカンパニーの発見など充実したものであった。

 7月13日 パリ滞在2日目。朝起きて、ホテル近くのパリ・オペラ座ガルニエ宮を見学する。内部は昼の公演のない日は観光客向けの見学ができるようになっているのだ。劇場の内部はさすがに歴史と風格を感じさせるものだが、予想していたのより狭いことに驚く。これなら、後列や天井近い桟敷席でも東京の大ホールに比べるとけっこう舞台は近く感じるのではないだろうか。昼にはリヨン駅に行き明日のアビニョン行きのTGV(フランスの新幹線)の切符を手に入れる。最初、よく分からないまま当日切符売り場の列に並んでいたこともあり結局、切符を買うのに2時間近くかかってしまった。とはいえ、予約のコーナーに行って、整理券を手に入れて、買うのに結局、40分以上かかったので、これにフランスの人はよく我慢しているなと思う。便利な日本に慣れた弊害かも。この後、オペラ座の当日券発売までしばらく時間があるので、メトロでパリのコンテンポラリーダンスの殿堂といわれているテアトル・ラ・ヴィル(パリ市立劇場)を見にいくことにする。今年のシーズンはすでに終了しているため現在は休業中。来シーズンのパンフを手にいれた後、オペラ・バスティーユに向かう。

 この日のパリは1日中雨模様だが、待ちあわせを約束していた6時になるとぴたりと雨脚が止まり青空が見える。6時といえば日本だと夕方だけどまだ日が高いこともあって昼下がりという感じである。当日券も案ずるより安し、せっかくパリまで来たのだから多少は大枚をはたいてもいいと思っていたのだが、D13  28(一階平土間、前から13列目 中央やや右側)という予想以上にいい席が手に入る。420Fとけっこうな値段ともいえるが、6000円というのだから、日本で何度も1万円以上の大枚を払ってバレエを見にいってる身としては驚くほどの安さともいえる。しかも、オペラ・バスティーユではこれが一番高い値段でこれ以上はない。この日は一応、「ライモンダ」公演の楽日だったのだが、当日券でこのチケットがほとんど並ばずに手に入ったのはこの日主役のライモンダを踊るのがエトワールではなくプルミエダンスーズのAgnes Letetsuという人だったというせいもあるかもしれない。あるいはこの時期、パリの観客はもうバカンスをとってパリにいないとか、この日はガルニエ宮の方で「ジゼル」が上演されているということもあるもかもしれないが。もっとも、相手役はジョゼ・マルティネスだし、プリマの存在は大きいとはいえ、キャストが悪いといわけではないのだけれど。

  参考のためにこの日のキャストなどを書いておくと。
 「ライモンダ」 音楽/グラズノフ 構成・演出・振付/ルドルフ・ヌレエフ

日時7月13日 7時半開演 パリ・オペラ・バスティーユ

 ライモンダ/Agnes Letestu ジョアン・ド・ブリエンヌ/Jose Martinez アブラハム/Wilfried Romoli ヘンリエッタ/Delphine Baey クレメンス/Emilie Cozette ベランガー/Yann Saiz ベルナルド/Stephane Phavorin

 「ライモンダ」というバレエを全幕で見るのは今回が初めて。しかも、パリ・オペラ座のはルドルフ・ヌレエフの振付で、今回見ることがなければ「白鳥」や「眠り」と違っておそらく日本で見ることは当分難しい演目であろう。それだけにいろんな意味で楽しませてもらった。ヌレエフの振付(演出)はきわめてエンターテンメント性に富んだもので、いろいろな趣向を次々と出して見てて飽きの来ない構成となっている。

 Lesetsuのライモンダは最初、堅さが見られたのかやや不安定な感じを受け、心配したのだが、1幕途中のマルティネズとのデュエットのシーンあたりからしだいに本来の調子を取り戻したのかよくなってきた、安定感も増してきた。相手役のマルテュネズもいかにもダンスール・ノーブルという気品のある踊りぶりで、悪くはなかった。しかし、この日のハイライトはなんといってもサラセン人アブラハムを演じたWilfried Romoliの存在であろう。婚約者ジョアン・ド・ブリエンヌのいるライモンダに強引に求婚して、迫るアラビア人というアクの強い役柄が似あう非常に存在感のあるダンサーで、クラシック・バレエの世界ではこういうタイプのダンサーは主役を張るのは難しいのだろうなと思わせるものがあるが、とにかくこの日の印象の強さは主役の2人を吹っ飛ばすほどのもので、カーテンコールでも1段と大きな拍手をもらっていた。ヌレエフの振付が男性ダンサーの力強さをよく引きだすものであったことが余計の彼の存在を輝かせることになったのだが、この舞台だけの印象ではよく分からない点もあるのだが、おそらくパリ・オペラ座でも異色のタイプの踊り手なのではないだろうか。Lestestuについていえばパンフには名前はなく、挟み込まれた栞のような紙にプロフィールが記されていた。この日の他、10日の日にも同じ役を踊ったようだがパンフにないことを考えれば主役を予定していた3人のダンサー(アルボ、デュポン、プラテル)のうちだれかの故障かなにかによる代役だったのだろうか。フランス語が分からぬ私には調べるよしもなかったけれどそうでなけれはいいのだけれど。

 無知とは恐ろしいものである。ここまで書いてきて、パンフを読みなおして気が付いたのだけれどライモンダを踊ったAgnes Letetsuはプレミエダンスールでなく、エトワールでした。あー恥をかいた。フランス語が読みにくいってんで、パンフのはさみこみを読み飛ばしたのがよくなかった。パリ・オペラ座ファンの皆さん、読んでてなんだこのバカと思われたでしょうが、どうぞお許しを。この人はオレリー・デュポンとオペラ座バレエ学校の同期入学(83年)で(ここまでは読んでいたのだが)、オレリーよりも1年早く97年にエトワールに昇格しているので、相当評価も高い人みたい。もっとも、それでもこの日踊りが前半ちょっと安定感を欠いていた感じがあったのは撤回する気はないけれど。そもそもパンフに名前がないので勘違いしたのだが、配役変更ってよくあることなのだろうか。

 (さらにこの項7月31日に追加)この文章を書いた後、5日ほど経過して、週末(8月6日)には世界バレエフェスがあるので、そこで上演される演目の下調べをしていた時であった。アニエス・ルティステュ/ジョゼ・マルティネス「白鳥の湖」第2幕よりパ・ド・ドゥ、「アルキヴィア」……。ここで突然とんでもないことに気が付いたのだ。あれ、ひょっとしたらAgnes Letetsuって、知らないダンサーだとばかり思ってたのだけどこれってアニエス・ルティステュって読むのでは。本当にバカみたい。ルティステュならこれまでガラ公演なんかで何度か見たことがあったはずなのに一幕ものを全部見てしかも相手役がマルティネスだったのにも関らず最初にエトワールでないと勘違いした錯覚に引っ張られて気が付かなかったのだった。もっとも、私のパリ・オペラ座の知識ではオペラ座(ならびに出身)の女性ダンサーで私がはっきりと個別認識ができるのはギエム、ピエトラガラ、モニク・ルディエール、オレリー・デュポン、イザベラ・ゲラン、エリザベス・プラテル、若手ではプジョル、ムッサンといったところに限られ、エトワールでもCarole Arbo、Elisabeth Maurinの2人は聞いたことがない程度なので、Agnes Letetsu(アグネス・レテツと読んでいた)という人もそういう人のひとりだと思ってしまったのだが。でも、愚痴をいうようだがフランス人の名前って……。確かにAvignonでアビニョンって発音するようにgは無声音だという知識はあったのだけど普通アニエスとは読めないよなあ、フランス語圏以外の人には。

  さて、ライモンダに戻ろう。頻繁に上演されているバレエではないので、簡単に物語の背景とストーリーを紹介すると舞台となるのは13世紀のプロヴァンスの城。ここでは十字軍に従軍した夫や婚約者の帰りを待ちながら女たちが暮らしている。ライモンダもその一人でもうすぐ騎士ジャン・ド・ブリエンヌと結婚することになっているのである。(早くもあら筋なんてものを書くのが嫌になってきたので、後は我流のはしょることにする。ひょっとするとまた間違いがあるかも)もうすぐ、十字軍に行っていた人たちが戻ってくるぞという知らせがあるのだけれど、その祝いの途中でサラセン人のアブダラムがやってきて、ライモンダに言い寄る。バレエではアブダラムが去った後、一転、白衣のレディーが現れ、ライモンダを導き、そこにジャン・ド・ブリエンヌが来て、パ・ド・ドゥを踊る。ここまでが1幕。次の2幕はアブダラムのテントが舞台で、ライモンダはここに友人たちと招かれている。男性による勇壮なあるいは女性らによるコケティッシュな踊り(アラビアの踊りだ)を楽しんだ後、自らも踊って男らしさをアピール。ライモンダに再度言い寄ろうとするが、そこに突然、ジャン・ド・ブリエンヌが戻ってきて、2人の闘いにあり、憐れアブダラムは騎士の剣の前に倒れてしまう。ああ、憐れ……。

 なんか変だって(笑い)。だって、ヌレエフの構成・振付で見ているとそんな風にしか見えないのだ。もともと、サラセン人を野蛮人としてバカにしてるようなところ、今の目で見ればなんという西欧中心主義と思ってしないような台本なのだけれどこのバレエちょっとというかかなり物語としてみると問題あると思うのである。

 だって、婚約者が帰ってきて、悪者(?)をやっつけてめでたしめでたしというんだけれど、その肝心のジャン・ド・ブリエンヌが初めて実際に登場するのが、2幕も最後の方。1幕で踊ることは踊るのだけれど、これはライモンダの夢の中の出来事で、この間、男の魅力を十二分にふりまきながらアブダラムが大活躍するのだから、観客(少なくとも私)の気持ちはアブダラムに片寄ってしまっている。2幕の途中ではライモンダとのデュエットもあるのだけれど、ここではライモンダもくらっときかけているように見えたのは一概に私の錯覚だけではないと思う。

 もちろん、この日のWilfried Romoliの出来がよく彼の演じるアブダラムが野生的で粗野ではありながら圧倒的なセックスアピールを感じさせたこともこう感じた一因ではあるとは思うのだが、この役ただの悪者というには男性ダンサーの力強さを感じさせる見せ場が多すぎるのである。パンフによれば84年の上演の際にはヌレエフ自身がこの役を踊ったようだからそのせいもあるかもしれない。とはいえ、アブダラムの存在があまりに魅力的なせいで、ジャン・ド・ブルエンヌとの闘いのあっけなく敗れてしまうのが納得がいかなくなってしまうのだ。

 だから、3幕は悪が敗れて平和が戻ったとばかりの結婚祝いの祝祭による踊りが続きストーリーとはあまり関係のないまま大団円を迎えるのだが、これだからバレエはなどと思いながら釈然としなかったのだ。

 もっとも、だからつまらなかったのかといえば実はこれが全く退屈しないどころか、ヌレエフの次から次へと出してくるサービス精神溢れるアイデアの豊富さに本当に楽しませてもらったのだ。全幕ものでのヌレエフの作品を見る機会はそれほどこれまでなかったので、あくまでこの作品に関してという断りつきだが、この人はきわめて難易度の高いパの連続による群舞にしても、1幕の舞台後方に置かれた白い像が早変わりでダンサーと入れ替わる演出にしてもきわめてけれん味豊かで遊び心があり、振付家としては作品の解釈に拘泥する芸術家というよりはショーマンシップ豊かな一流のエンターティナーの才能を持つ人じゃないかと思った。もっとも、2幕のアブダラムとジャンの決闘シーンで鎧甲冑に身を固めた2人が舞台せましと騎乗の闘いをやるところとか(もちろん、馬をダンサーが何人かでやってるので、ちょうど運動会の騎馬戦のような感じで思わず笑ってしまうのである)ちょっとやりすぎじゃないかというところもあったのだけれど。

 1幕の群舞のシーンに日本人と思われるダンサーがでていて、当日パンフ(配役表の方)で調べてみると、Fujii(おそらく藤井)とあったのでまず間違いないと思う。思わずそこの群舞では嬉しくなって、彼女の方ばかりをオペラグラスで追ってしまった。そういえば新聞かダンスマガジンかなにかで、日本人ダンサーが初めてパリ・オペラ座と契約したというような話を読んだことがあったような気がしてきたが、記憶があいまいで思い出せない。パンフのオペラ座のメンバーのところには名前はなかったのだが、メンバーではなく契約ダンサーかないかということがるのだろうか。いずれにせよ実際に舞台に出て踊っているのを見て、日本人として(フランスで見たせいか)頑張ってとエールを贈りたくなった。  

 7月12日 フランス旅行に出発。同日4時半にパリ・ド・ゴール空港着。オペラ座行きのロワッシーバスで市内入り。ホテルはそこから地下鉄で2駅ほどのところにあるCORONA HOTELというところで、チェックインしたのは結局、7時ぐらいになる。東京が暑かっただけにパリの涼しい気候はうれしい。

 パントマイムのワークショップを受けるためにパリに滞在している元上海太郎舞踏公司の沖埜楽子とホテル近くのカフェで会う。会うのはずいぶんひさしぶりなのだが元気そう。今、パリでワークショップを受けているコーポラルマイムのこととか、彼女がひと足早く先週行ってきたアビニョンのこととか話を聞くことができた。せっかく、パリに来たのだから、13日の夜はなにか一緒に見ようかという話になり、オペラ・バスティーユで上演中のバレエ「ライモンダ」をだめもとで取りあえず当日券で並んでみようということになる。 

 7月11日 明日からフランス旅行なので、日記コーナーもしばらく開店休業状態になりそう。その分は帰国後、アビニョンのレポートを詳しく書いて埋めあわせする予定なので許してほしい。メールと伝言板ぐらいはなんとか見られる環境を作れないかと努力はしてみるつもりだが、モバイルも持っていないし、私のコンピューターの能力ではちょっと難しいかも。ホテルにFAXして、FAX番号を教えてもらえば途中報告ぐらいはできるかもしれないのだけど、これも向こうに行ってホテルに入ってみなければなんともいえないといったところである。帰ってきた後はすぐに仕事が待っているのだけれどさ来週の日曜日にはロリータ男爵「花魔王」、トリのマーク「キッチンタイマー」は見にいくつもりである。帰ってくる日の7月20日も物理的にはなにか見られるはずだが、ちなみに2年前に行った時には無謀にもジョビジョバの公演に行って睡魔と闘っていたちょうな気が(笑い)。 

 7月10日 先日、日本バレエフェスにH・アール・カオスの平山素子さんが出演、大島早紀子振付の「死の舞踏」を踊るかもと書いたのだが、どうやらこちらの勇み足だったようで、平山素子さんが踊るのは自らの振付による「レボリューション」という作品だということ。いろいろあって結局、この作品に落ち着いたようですが、主催者側の当初の希望では「死の舞踏」でというのもあったらしいので、それが実現しなかったのは残念。でも、「レボリューション」という作品も今度、見るのが初めてなのでそれはそれで楽しみである。

 フランス行きは2日後なのにまだ準備という準備はなにもしていない。まあ、フランスなんだからいざとなればパスポートと航空チケット、カードさえあればなんとかなるでしょと開き直ってしまっているのだが。  

 7月9日 青年団「カガクするココロ」(3時〜)、拙者ムニエル「新しいペンギンの世界」(7時半〜)を観劇。前日の夜中まで昼にランニングシアターダッシュ「FLAG」(2時〜)を見に行くかどうかで迷っていたのだが、起きてみると2時半なのであった。選択の余地なくアゴラ劇場に走り、「カガクするココロ」を見る。

 「カガクするココロ」は若手公演でも何度も見ているので、青年団の芝居の中ではこれか「北限のサル」が一番、回数を見ているかもしれない。サル学研究室のロビーを舞台にした3部作の最初の作品に当たるわけだけれど、この3部作は「北限のサル」「バルカン動物園」と後になっていくほどシリアスなテーマを内包していくということがあって、この作品はそうしたテーマがそれほど前面に出ていないこともあって、一番肩が凝らずに気楽に楽しめる作品といえるかもしれない。

 今回は中堅・若手の劇団員中心の座組みということで、山内健司志賀廣太郎、平田陽子、松田弘子らこの劇団を支えてきたベテラン俳優陣がいっさいキャストに入っていないが、それでもかつて彼らが演じていた役柄を演じて見劣りがしないのは今や若手の域を超えて青年団における重要な役割を担いつつある秋山健一、太田宏、小河原康二といった中堅俳優の充実ぶりに負うところが大きいであろう。私が最初に青年団を見たのはザ・スズナリでの「ソウル市民」(詳しくは調べないと分からないが7年ほど前だろうか)で、その直後にプサンでの公演を見にいくことになり、この劇団とのけっこう長い付きあいが始まったのだが、その時の「ソウル市民」に出演していたキャストが今回の「カガクするココロ」には1人も出演していない(というより、今回のメンバーはほとんどがそれよりずっと後の入団)ということを考えると青年団が確実に新たなメンバーの参加によって、集団としての総合力をつけていっていることが感じられた。

 なかでも前回公演「ソウル市民1919」で次女幸子役を好演。今回も目立っていたのが辻美奈子である。辻の演じる役柄はこの芝居の中ではそれほどドラマ性といったものに関ってくる役柄でもないし、みせどころもそれほどあるというのではないのについついそちらの方に目がいってしまう。私の記憶違いでなければ辻は以前にも同じ役を演じたことがあるはずだが、その時は今回ほどの存在感を感じるということはなかった。今回のキャストの中ではキャリアの長い方だと思うし、今更こういう言い方をするのは彼女仁失礼かもしれないのだが、舞台における華のようなものが目立ってきているのに「女優誕生」を感じた。今後がますます楽しみである。 

 7月8日 土曜日だが、出社で8時過ぎまで仕事。観劇はできず。フランスへの旅行の日程が完全に固まったので、書いておくことにする。この日程と重なる日程でパリ、アビニョンに偶然にも行くよという人がいたら、滞在先のホテルの電話番号も書いておくので連絡してほしい。絶対いないと思うけど(笑い)。

 7月12日 11時20分成田発JAL405便 
       4時半 パリ・ド・ゴール空港着
 7月12日〜13日 パリ滞在 パリ・オペラ座近くのホテル
        Hotel CORONA OPERA
8Cite Berge75009 PARIS FRANCE
電話 33-1-47705296
FAX 33-1-42468349

  以前2度アビニョンに行った時は本当にパリは次の日にTGVに乗るまで泊まっ
  ただけだったので、今回はもう1日滞在してパリの雰囲気だけでも味わってく
  るつもり。13日の夜にはダンスの公演でもやっていればなにか見てこようと
  思ってはいるのだけれど。オペラ座も近くに泊まるのでバレエは見られなく
  ても建物は見てくるつもり。
 7月14日 アビニョンに移動 今回はTGVのチケットは予約してないのでフラ
      ンス語、全くだめな私としては切符をまともに買えるかが一番の不安
 7月14日〜18日 アビニョン滞在 アビニョン駅近くのホテル
        hotel ibis
   Ibis AVIGNON CENTRE GARE 42 .boulevard Saint-Roch
84000 AVIGNON
電話 33-1-90853838
FAX 33-1-90864481
 

 7月19日 パリに移動 19時パリ発JAL406便
  7月20日 13時40分成田着

 表紙からリンクしているアビニョンカミカゼ観劇ツアーを見てくれれば分かるけど 2年前に行った時にはついいくらでもどこでも芝居がやっているということに興奮してオフのパンフと地図、手帳につけた時間表を睨みながら移動日を除く実質4日間の滞在で、取り付かれたように22本のダンス・演劇を観劇してしまったのであった。(もっともさすがに途中で力尽きたが理論的?にはアビニョンのオフのスケジュールでは1日8本の観劇が可能で、それゆえ物理的には32本の芝居を見ることが可能だということを現地で発見し、狂喜乱舞したのだが、考えてみればこういうことを考え付いた時点でかなり頭がおかしくなっていたとしか思えない)。それこそ次の芝居の開演時間を前に間に合うかどうかという綱渡り的なスケジュールを組みながら走って移動している様(いわばアビニョンオリエンテーリング)には我ながら後から冷静になって振り返ってみると浅ましいという言葉さえおぼえる気持ちで今回こそはもっとゆったりした気持ちで観劇しようと今は考えているのだけれど、果たしてどうなるか。

 まあ、芝居はともかく、ダンスは物理的に見ることが可能なものは全てみてきたいとは思うのだけれど(幸いというか残念ながらというかアビニョンではダンス公演はそれほど多くはない)。

 アビニョン演劇祭にはON(正式参加、招聘公演)とOFF(いわゆるフリンジ公演)があって、公式ホームページでONの公演の演目スケジュールは分かるのだけどオフは向こうに行ってみるまで分からない。(さらに内容は玉石混交で実際に見てみるまで分からない。それこそワールドツアーないしフランスツアーの途中で立ち寄ったONよりレベルが高いかもしれないとらいうものから、ほとんど学芸会並みとしか思えぬものまであるわけだ)。ONの公演はチケットが手に入るかどうかの不安けれどはあるのだけれど一応、チケットが手に入れば見てみたいというのがいくつかあって、そのひとつがカロリーヌ・サポルタの企画によるダンスプログラム、プログラムA(レジス・オバディア振付/ダンサーJean-Claude Pambe 、ミッシェル・アンリ・ド・メイ振付/ダンサーMarion Levy)、プログラムB(ヤン・ファーブル振付/Erna Omansdotir、フランシス・ラフィノー振付/Lisette Malidor)。初めて一緒に仕事をする振付家とダンサーによるコラボレーション的なソロダンスといったことのようなのだが、振付家の方はラファノー(あるいはラファノット)という人は別にして、けっこう知られた人なのだが、残念ながらダンサーの方はよく分からない。しかし、スケジュール的に合わなくて見られないが、この後におこなわれるCプロではダンサーとしてモニク・ルディエールが参加しているのでひょっとしたら他の人も有名なのかもしれない。最初、このプログラムはサポルタの公演なのだと勘違いしていて、サポルタは日本で何度か見ているんだけどそれほど私と波長のあう人とはいえないというのがあってどうかなあと思っていたのだが、ヤン・ファーブルの作品とか見られるとうことで少し希望が湧いてきた。問題はチケットがあるかなのだけれど……。

 後は東京の公演の時のパンフに7月18日〜からとあったのでぎりぎり1ステは見られるかなというニブロール。本当はイデビアン・クルーの時のように複数回見たいところだけれど。これ以外では前に「オイディプス王」を見た場所で上演される「王女メディア」、チェホフの「かもめ」「イワーノフ」「三人姉妹」などが見たい舞台の候補。とはいっても、ギリシア悲劇のようにストーリーが分かったもの以外はこれまでの経験からいってフランス語上演の芝居にはつらいものがあるのだけれど。 

 7月7日 8月19日6時半から新国立劇場で上演される第13回日本バレエフェスティバルのチケットを予約した。財団法人橘秋子記念財団(まあほとんど牧阿佐美バレエ団だと思う)が主催するガラ公演で、牧のダンサーが中心だが酒井はなや宮内真理子、高部尚子といった新国立劇場のダンサーや下村由梨恵とかなり多彩なメンバーが出演するが、牧の上野水香が出演するため、これまで評判は聞いたことはあってもまだ見たことがない彼女がどんな踊りをするのか見たいと気になっていたからであった。

 ゲストとしてはアンヘル・コレーラ、エレーナ・フィリピエワ、ルイジ・ボニーノといった大物も踊るのでそれも注目なのだが、実はチケット買うことを最終的に決めたのはこうしたバレエダンサーに交じって、H・アール・カオスの平山素子の名前を見つけたからだ。しまも、チラシの裏の写真では第3回バレエ&モダンダンスコンクール(モダンダンス部門)金賞受賞とクレジットされている。そうなら、ひょっとしたら名古屋で上演された「死の舞踏」(受賞作品)がここでもう一度見ることができるのかもしれないと思ったからだ。名古屋で大島早紀子振付の「死の舞踏」を平山が踊るのを見た時、このホームページのダンスレビューで「これは世界バレエフェスでそのまま上演されてもおかしくないほどのレベルの高いソロダンスだ」と書いたのだけれど、もしここで平山が「死の舞踏」を踊れば世界バレエフェスじゃなかったけれどそれに近いことが早くも実現してしまういわけだ。

 もっとも、チケットを予約する際に受け付け先になっている牧阿佐美バレエ団に訪ねたところどうも要領を得ない答えで「死の舞踏」という作品じゃなく、「リベレーション?という作品」という答えの後、「分からない」といわれてしまったので、平山が踊るのは全然違う作品という可能性もあるのだけれど。結局、演目は分からなかったのでもしこのことについてなにか情報を持っている人がいたらメールか伝言板への書き込みで教えてほしい。  

 7月6日 7月のお薦め芝居をとりあえず掲載。 

 7月5日 ヒラリー・ウォー「この町の誰かが」を読了。

 7月4日 「熱闘!! 飛龍小学校★パワード」の感想を書く。解散した惑星ピスタチオの代表作を元惑星ピスタチオ西田シャトナーが演出、元ピチタチオメンバーの保村大和、宇田尚純らに加え外部から加わった役者による再演である。やはり、演出コンセプトと脚本は今、見ても面白いのである。傑作だといえよう。ところが残念ながら実際の上演はちょっと厳しい。ないものねだりと言われてしまえばそれまでなのだが。

、97年5月に見た「熱闘!! 飛龍小学校★パワード」の惑星ピスタチオとしての上演は惑星ピスタチオの活動全般を通してもその前の「Believe」などと並んで絶頂期にある時の舞台であった。轟天寺役で忘れ難い印象を残した佐々木蔵之介や今回の舞台で2人に振り分けた役柄を1人で演じ、八面六臂の活躍ぶりだった腹筋膳之介。いまやこの舞台で見ることが出きない俳優らの演技ぶりと比べてしまえば、それがだれであってもその役を後から演じる大抵の俳優は霞んでしまう。今回の芝居でそれをするのはちょっと酷なことかもしれない。だから、そのことはできるだけ考えないで今回の舞台だけを虚心に見ようとは考えたのだが、どうもうまくいかない。佐々木蔵之介の怪物的名演に対してなんとか自分の色を出そうともがいている宇田尚純は例外として、後の役者はどうも以前の配役による役柄のイメージをなぞっている感じがしてしまうからだ。ひょっとするとこの印象は間違っているのかもしれない。しかし、自分だけの色を出しきって以前の役柄のイメージを消し去ってしまうというところまでいってないのは確かなのだ。

 もっとも、これにはやむをえないところもある。身体表現を重視する惑星ピスタチオのようなスタイルの劇団ではその独特の演技スタイルを演じきるまでのハードルが普通の芝居と比べると高すぎるのである。だから、こういうスタイルにおいて公演ごとにそれまでやらなかった新たな表現に挑戦するためにはそのスタイルの演技での豊かな経験を持つ俳優の集団(すなわち劇団)の存在が最低限の条件であった。劇団があってこその実験だったのである。

 その意味で今回の公演は劇団の解散後アンコール上演として、かつての傑作の片鱗が見られるという以上のものでないと言わざるをえない。私が惑星ピスタチオに期待してきたことというのはあくまでエンターテインメント演劇の形態を取りながらもその演劇スタイルにおいて高い実験性を持ち続けていることにあった。しかし、今回の作品を見る限りでは過去の作品の上演はある程度可能でも、新たな表現への挑戦のようなことはこういうプロデュースの形態では難しいと考えざるをえないと思われたのである。  

 7月3日 EURO2000決勝フランスVSイタリアを観戦。こういう試合があるからスポーツ観戦はやめられないのである。世界1位、欧州1位のフランスとモロッコでは引き分けたので日本代表もそれと同等の実力があるとこのところ周囲の人には言ってきた。これは日本が引き分けたのはフランスが本気じゃなかったからだと訳知り顔にいう人が多いのでそれに反発してのことだったんだけど、こんな試合を見せられると日本戦でフランスが本気だったと信じる人はいないだろうなあ(笑い)。 

 7月2日 「熱闘!! 飛龍小学校★パワード」(1時〜)、ラッパ屋「ヒゲとボイン」(6時〜)を観劇。

 新国立劇場バレエ「ラ・シルフィード/テーマとバリエーション」を2日に見にいった。今週はつめきりやシベリア少女鉄道など若手劇団の公演にも気になる公演があり、アガサ・クリスティそして誰もいなくなった」も迷ったのだが、一昨年「ラ・シルフィード」「ドン・キホーテ」を見て以来マイアイドルとなっている酒井はなをこのところスケジュールが合わずに連続して見逃していたので、今回はどうしても見たいとチケットを買ってしまったのであった。
 まずはこの日のプログラムとキャストの一覧を掲載することにする。

 「テーマとバリエーション」音楽/ピョートル・チャイコフスキー
振付/ジョージ・バランシン

 ソリスト/高部尚子/ 逸見智彦
      遠藤睦子、大森結城、豊川美恵子、中村美佳、西川貴子、根岸愛希、 前田新奈、湯川麻美子、市川透、奥田慎也、左右木健一、根岸正信

 「ラ・シルフィード」作曲/ヘルマン・ロヴェンショルド
振付/オーギュスト・ブルノンヴィル
         振付指導/ソレラ・エングルンド
           舞台美術・衣裳ピーター・カザレット
 シルフィード/酒井はな、ジェームス/小嶋直也、グァーン/根岸正信、エフィ/中村美佳、マッジ/ソレア・エングルンド、第1シルフ/前田新奈

 初めてバレエダンサー酒井はなの魅力に気が付いたのが「ドン・キホーテ」のキトリだった。キトリは超絶技巧的なしっかりした技術に加え負けん気の強そうな酒井の個性とも相まっていかにもはまり役という感じだった。それだけに役柄としてはキトリなどとは対極にある「ラ・シルフィード」のシルフィというのはそれほど酒井が得意な役柄とは思えなかったので、それをどのように演じるのかに注目した。

 結局、今回見ることは出来なかったのだけれど今回の新国立劇場では吉田都シルフィードを演じていて、それを見たある吉田都ファンの言葉によれば「それはあたかも妖精そのもののよう」だったという。それに対して、酒井はなのシルフィードはそれとはちょっと違う感じで魅力的なのであった。シルフィードはジェームズにちょっかいを出したいだけであって、そこにはマッジにあるような悪意はない。ここが妖精といっても死霊であるジゼルのウィリなどとは違うところである。だから、ここは妖精はあくまで妖精のようであって悪くはないのだけれど、酒井のシルフィードはどこか小悪魔的なところがあって、妖精というには人間っぽいのであった。特に最後の死を迎えるシーンなど感情表現が豊かすぎるようなところがあって妖精として考えるとあれはちょっとやりすぎじゃないかとも思った。とはいえ、全体としてそうした感情表現の豊かさはシルフィードにおいてすら酒井の踊りの魅力になっていることは間違いない。シルフィードとしての正統的な演技かどうかには疑問があっても酒井はなならではのシルフィードをうまく演じているという意味では意外にうまくはまっていた印象だったからである。

  

 7月1日 新国立劇場バレエ「ラ・シルフィード/テーマとバリエーション」(3時〜)、阿部一徳と(ゆかいな)仲間たち「Knob」(7時半〜)を観劇。

 「Knob」について感想を書く。優れた演出家というのが戯曲にどのように新たな命を吹きこむことができるのかということを目の当たりにした気がさせられた素晴らしい芝居だった。今年のこれまでのベストアクトに入るかもしれない。夏井孝裕の「Knob」は現代人のディスコミュニケーションを描いた戯曲としてきわめて完成度が高い。私は札幌の劇作家協会の新人戯曲賞の公開選考会の前にこの戯曲を読んでこれは面白いと思った。そして、その後、劇作家大会での戯曲賞受賞後のリーディングでその面白さを再確認し、さらに夏井の演出によるreset-Nの再演も予想どおりに面白くはあったのが、いずれも印象は戯曲を初めて読んだ時の印象にきわめて近いもので、ストーリー展開を知ってから芝居を見ているという逆転現象があるため、そうそうそういう話だったよねという風な見方についついなってしまいがちだった。

 夏井の演出はどちらかというとオーソドックスなものであったがゆえにreset-Nの上演はこの戯曲の魅力を過不足なく伝える好舞台ではありながら、最初の戯曲を読んだイメージ以上のものでも以下のものでもなかったということに観劇後にある種のとまどいがなくはなかったのである。もっとも、戯曲の方を先に読んだ後、実際の上演を見る場合、往々にして戯曲から自分で読み取ったイメージが全然上演では生かされていないことの方が多いので、魅力的な戯曲の「魅力」を舞台上できちんと再現していたreset-Nの「Knob」に非難すべき点は全くないのだけれども、あまりにも自分の予想通りであったということにどこか釈然としない不条理な不満を持ってしまったのである。日本の現代演劇においては作演出という形でひとりの人物が本来はベクトルの違う作業である作演出を兼ねることが多いので、演劇のスタイルにおいて作と演出は必ずしも切り離すことのできない密接な関係を持っていることが多い。そして、自分の表現しようとした戯曲が体現しようとする世界については作家自身がもっとも理解が深いのが普通だとすれば作家以外の演出家が作品を演出した場合にはどこかに違和感が残る。これまで遭遇した芝居ではよほど作家に演出家としての能力に問題がある時は別にして、その世界を体現する芝居には作家が演出することが一番ではないかとの考えもあったのだが、今回の芝居を見てそういう風に思ってしまうのはひょっとしたら日本に本当の意味で優れた演出家が稀だからなのかもしれないと思ってしまったのだ。

 というのは私には上演としては宮城聰が演出した今回の「Knob」の方が戯曲に潜在的に含まれていた新たな地平までを垣間見せてくれたという意味では刺激的に感じられたので、戯曲を読んだ印象には夏井孝裕演出の方が近かったから当然そこにはある種の摩擦というか違和感はあるのだけれど、そのことはこの芝居ではマイナス方向には働かずむしろ面白く思われたのである。宮城演出の特色は俳優の台詞がないところでの演技の圧倒的な表現パターンの豊富さである。それと芝居の登場人物は狂気はそれぞれ狂気を孕んではいるものの全体のトーンとしては暴力の予感を含みながらも日常的に淡々と進んでいくのがこの芝居の特徴なのだが、宮城はある種のリアルを志向した戯曲の方向性を切断して、あえて、この芝居におきて明確なアクセントをつけてみせる。照明によって映る影の位置が生み出す効果などに代表されるような構図へのこだわりもこの芝居においてともすれば平板になりがちなところに微細な変化をつけより全体を彫りの深いものとしている。

 ク・ナウカとこの芝居では方向性は全く違う。これまでク・ナウカ以外でも宮城の演出を見たことはあるが、自らが演じるミヤギサトシショーを別にすれば現代の会話劇を演出するのを見たのはこれが初めてであった。これまで見た芝居はク・ナウカ以外でも「マクベス」「ロミオとジュリエット」「忠臣蔵」「シンデレラ」といった現代上演するに関しては演技にある種の様式性を持ち込むことが不可欠なものしか見たことはなかったので、戯曲のスタイルからいえば典型的な現代会話劇ともいえるこの芝居において宮城がどのように演出するのかに密かに注目していた。だが、面白かったのは今回の上演を見てこの芝居は会話劇ではありながら実際に実は過去にあった出来事を他人に一方的に語る「語り」の部分が多いということに気づかされたことだ。さらにこの芝居では登場人物の独白というかひとり言とも取れる部分がテキスト中に散見されるのも特色で、宮城の演出ではこうした構造を逆手に取って、ナチュラルに近い演技体の中に挿入されるような形でミヤギサトシショーないしク・ナウカ風の「語り」の演技を取り入れテキストの重層性をうまく表現していたのではないかと思う。

 スズキ、タロウの2人組とイワモトは不条理劇的な要素をこの戯曲の中に持ち込む存在なのではあるが、これも宮城は「ゴドーを待ちながら」の登場人物を連想させるような演技をさせており、完全に人を喰ったような宮城自身の演技も加え、この芝居をリアルな演劇というよりはむしろある種の象徴性を持った不条理劇のような方向性に引き寄せて解釈したような印象もある。

 もっともこの芝居が宮城の演出に上手くはまったのは一見群像会話劇のように見えながら「Knob」の本質はそうではなくて、いずれも狂気を内に宿した登場人物による集団モノローグ劇であるからかもしれない。ク・ナウカももちろんそうだがミヤギサトシショーにおいても宮城の創造する演劇は自らの狂気に対峙する人間の自己表出という共通項がある。狂気というのは宮城の演劇においてはとても重要な要素であってク・ナウカの場合でも等身大を超えたある種の狂気を孕んだいわば超人的な英雄を現代人が演じるにはそれなりの方法論(語りと動きを分けるというのもその1つ)が必要だということから今の形になってきたというのがある。

 その意味では「Knob」という芝居は登場人物がいずれも絶望的に孤独で自らの中に自分でもコントロールできない狂気のようなものをかかえ込み、会話をしてもそれはいずれも自分自身に語りかけるモノローグに過ぎない。宮城の演出家としての卓越した才能もそうではあるが、こうした特性はいかにも宮城向きともいえたことが希有の好舞台となった理由といえるのかもしれないと思った。、  

 いたのだけれど、唐十郎の路線というところは唐十郎の率いた状況劇場の路線と書くべきところだったかもしれない。

 さて、新宿梁山泊はもともと状況劇場の若手ら独立して旗揚げした劇団だし、南河内万歳一座内藤裕敬がその劇作において唐十郎の影響を強く受けていることは間違いない。そして、これらの劇団はいまだに友好関係になるので、一般的には唐十郎の直系の弟子筋にあたる後継者と考えられている。それと比べると大人計画状況劇場は本当になんのつながりもないし、いわゆるアングラ的という演技を大人計画の俳優らが演じることはないのだけど、井口昇松尾スズキ自身らに代表される怪優を抱え、それ以外の人には演じることが不可能な存在を舞台上に現前させるという意味で、かつての状況劇場による「特権的な肉体による演劇」のエッセンスのようなものをもっとも濃厚に感じさせるのは新宿梁山泊ではなくて大人計画の方だということが言いたかったわけです。