月面クロワッサン「望遠鏡ブルース 秋・冬編」@京都アトリエ劇研
―秋篇―
秋は殺し屋。サスペンス。
僕の彼女はアイドル。でも彼女と撮ったプリクラを、
僕はどこかにやってしまった!
プリクラ流出は、アイドルにとっては命とりらしい!
そしてなぜか僕に拳銃が向けられる。
世間はどうやら、彼女ではなく僕の命を
とることにしたらしい……
逃げまくるか。プリクラを見つけるか。あるいは……?
疾風のごとく駆け抜ける、秋の野山。
新感覚のシチュエーションコメディ。―CAST―
大原渉平(劇団しようよ)清水航平(月面クロワッサン)
立岡千裕(劇団西一風) 西村花織(月面クロワッサン)
丸山交通公園(友達図鑑) 横山清正
―冬篇―
終わり。の季節は、はじまり。の季節。
諦めた夢を、諦めた恋を、諦めたくない夢を、
諦めたくない恋を。あるいは人の生き死にを。
僕らは、どうやって生きてきたんだろう?
僕らは、どうやって生きていくんだろう?
4つの叙事詩の最終章は、一年の一番最後の
日が舞台の、とても小さな奇跡の物語。
―心、温まったら、家に帰ろう。
さあ!明日がやってくる!―CAST―
小川晶弘(フク団ヒデキ) 奥田 覚
のりす(劇団月光斜Team BKC) 橋岡七海 松本大地
森 麻子(月面クロワッサン)
月面クロワッサンは京都大学、京都造形芸術大学の学生らを中心に旗揚げした学生劇団。旗揚げしてまだ1年もたたないという若い劇団だが、今回は11月に上演した「望遠鏡ブルース 春・夏編」と合わせて、望遠鏡のある同じ山の山頂を舞台にそれぞれ作風の異なる4つの短編演劇をオムニバスで連続上演するというきわめて野心的な試みであった。
45分短編演劇の2本立てという公演形態は演劇集団キャラメルボックスが行っており、4本目の「冬編」などは新年が明ける特別な夜に一瞬の奇跡が起こるといういかにも成井豊好みの物語に仕上がっており、こうした作風を続けていくだけでも一定数以上の中高生など若い観客層を着実につかみそうな雰囲気はあるのだが、少し疑問を感じたのはこの集団あるいは作・演出の作道雄は本当にそういう方向性を求めているのだろうかということ。どうもそうだとは思えないのだ。
4つの物語をそれぞれ見ても、軽いタッチのミステリ風シチュエーション劇(春編)、宇宙人が登場するちょっと奇妙なファンタジー(夏編)、少しスラップスティックなコメディ(秋編)、ハートウォーミングな奇跡譚(冬編)。作風にはバラエティーがあり、とにかくいろんなことをやって試してみたかったんだなというのは分かる気がする。しかも単なるオムニバスというだけではなく、最後の作品ではそれまでの3つの作品を最後の物語に登場した主人公が残した未完の小説にするという入れ子構造を用意し、きれいに落ちをつけている。
若干20歳と若いに似合わず器用な人だなと感心するところがある半面、せっかく若い今のうちはいくらでも実験も失敗もできるのだから、こんな風にこじんまりきれいにまとめようとするよりも、壮大に破綻してもいいから、「自分たちはこれで勝負するんだ」というような野心が見える作品が見てみたいと思うのだ。
実験演劇ではなくエンターテインメント志向というのを標榜しているようだが、80年代の劇団☆新感線といい、90年代の惑星ピスタチオ、上海太郎舞踏公司といいいずれも娯楽性を持った劇団であったことは否定する人はいないと思うが、実は並みの前衛劇団とは比較にならないほど旺盛な実験精神もあった。さらに言えば東京の大人計画やナイロン100℃、ゼロ年代に入ってからでもヨーロッパ企画やシベリア少女鉄道もそうだったと考えている。実験精神と娯楽性は両立するのである。
もうひとつ気になったのは最後の奇跡譚が起こったのを大晦日の夜としているのだけれど、これがどうもピンとこない。この年になるとこの手の話にはどうも白々しく感じてどうも共感しにくいところがあるのだが、世の中にはそういう小さな奇跡が起こってもそうはならない伝統の文学形式があるのではないか。そうである。それは西洋では小説の1つのジャンルをなしているぐらいポピュラーなもの、もちろんクリスマスストーリーのことである。さらに言えば上演時期も12月23日までという絶好のタイミングであったのになぜ作者はこの物語をクリスマスストーリーにしなかったのだろうか……。ひょっとしたらMONOの「トナカイを数えたら眠れない」の登場人物たちのようにクリスマスに対しふくむところがある人だったのだろうか。しかも「銀河鉄道の夜」が引用されていたが、あれは夏祭りの夜の話ではなかったか。そんな余計なことを考えていたらクリスマスの夜眠れなくなってしまった(笑)。