ももクロ&アイドル blog

ももいろクローバーZとアイドルについてのブログ

MuDA「男祭り」@京都アトリエ劇研

■ダンス
QUICK 合田有紀 辻本佳 松本成弘 渡邉尚 内田和成 竹本泰広 村上渉 他

■音楽/サウンドデザイン 山中透

■舞台美術 井上信太

■ボディペイント 出川晋

■映像 竹内祥訓

☆ゲストDJ
白石哲也 水上和真

■舞台監督/照明プラン 渡川知彦
■音響 genseiichi
■照明 平井康太
■記録映像 松浦莞二
■スチール写真 碧
■チラシ表紙絵 福井伸吾
■宣伝美術 荒木康代
■制作 清水康介/秋山はる

  MuDAはヒップホップダンサーでe-Danceに参加していたQUICK、モノクロームサーカスのダンサーである合田有紀らによるダンスユニットである。公式サイトの活動履歴*1によると2年前の結成となるようだが、劇場での本格的な公演はこれが初めて。私がこの集団を生で見たのも今回が初めてである。活動の一端はYoutubeなどで見たことがあり、その印象は「正直なにがやりたいのかよく分からない」というものだったのだが、今回の公演は面白かった。「なんだかよく分からない」は変わりはしないのだが、今回の舞台では「やりたいこと」の一端は垣間見ることができた気がした。それが3・11を受けて舞台における祝祭空間を志向するポストゼロ年代の演劇・ダンスのなかで「ついに出るべきものがでてきた」との爽快感を感じさせたのだ。
白い褌姿の裸体の男たちが激しく輪舞する。頭を上下に激しく振ってみたり、倒れたかと思うとすぐに立ち上がったり、その様は参加者がトランス状態になっている謎の宗教の儀式にも見えきわめて不可解なものであった。これまでに見たことがないもので、ゼロ年代を彩った身体表現サークル、コンタクトゴンゾに続きついにポストゼロ年代を代表するダンスが登場したのかもと興奮し、ちょうど今京都に来て「再/生」の続編にあたる「RE/PLAY」を本番に向けて稽古しているはずの東京デスロック・多田淳之介にぜひ見てもらっての感想を聞きたいと思った。というのは「男祭り」には「肉体の酷使による生の賞揚」という意味で「再/生」と通底するような問題意識を感じたからだ。ポストゼロ年代と先に書いたのはそういう意味合いで、2000年代後半から2010年以降にかけての東京の若手劇団の舞台において、この「肉体の酷使による生の賞揚」という手法が目立つようになってきている。東京デスロック「再/生」がその典型ではあるが、同様の手法はマームとジプシー「Kと真夜中のほとりで」やままごと「あゆみ」の最新演出版などでも垣間見られる。
 さらに言えばここ数年の矢内原美邦の作品においても演劇、ダンスのいずれの作品においても「肉体の酷使」という手法は出てきているし、黒田育世のダンスなどは「酷使」そのものといってもいいぐらいである。MuDA「男祭り」には明らかに最近のパフォーミングアーツにおけるそうした大きな流れと問題意識を共通にするような部分が感じられた。
 ただ、MuDAには黒田育世矢内原美邦といったコンテンポラリーダンスの分野ですでに一定以上の評価を得ているアーティストと比較するとだ海のものとも山のものとも分からない胡散臭さがあるのも確かなのだ。時代をタイムスリップしたようなこの違和感はなんなのか? 洗練の対極にあるこの猥雑さはこれも京都ならではなのかもしれない。音楽もエレクトロニカなど最新の音楽ではなく、70年代あるいは場合によっては60年代の匂いを感じさせるDJを起用して、どことなくレトロな雰囲気をただよわせている。衣装も白い褌のみの姿は「舞踏」を明らかにシュミレートさせたものだし、ムーブメントそのものも見慣れていない人には「舞踏」と混同させるような部分がなくもないのである。
 しかし、ここで注意したいのは音楽にしても動きにしても60年代、70年代の音楽や舞踏を忠実に模倣しているわけではなくて、例えば動きの場合であればQUICK、合田有紀らの動きは一見舞踏じみて見えてもそれを構築する原理そのものはまったく舞踏とは別物であり、2人のダンサーのこれまでの経歴からしても明らかなようにストリートダンス系の踊りでつかわれる身体技法を基礎としてそれを分解したり、ずらしたりすることで、それまでに新たなムーブメントを生み出している、あるいはまだ粗削りであり完全に生み出したといいきるまでには至らないにしても、少なくとも生み出そうと思ってもがいていることが感じられるのだ。
裸体にふんどし姿といえばコンテンポラリーダンス界隈では身体表現サークルを思い出す人もいるかと思う。男たちの姿は一見色物のようにも見られるかもしれないが、身体表現サークルがどちらかというとゼロ年代的な素人芸的な芸風のゆるい動きに終始していたのに対して、 MuDAはタイトでハードエッジ。どこかよく分からない未開の地の宗教儀式のようなものを連想させさえするのは身体所作の強度の強さにもよる。しかし、それはハードエッジな動きそのものを見せるというよりは裸体のまま動き続けた果てにどうしようもなく疲れて消耗していく人間の身体のぎりぎりの限界を見せていく。
 SPACの宮城聰はク・ナウカ時代のインタビューで舞台における祝祭的な空間の復活を論じて、生命のエッジを感じさせるような宗教的な場が失われてしまった現代社会において、それを示現できる数少ない場所が舞台なのであって、だからこそ現代において舞台芸術を行う意味があるのだという趣旨のことを語ったことがあるのだが、MuDAは現代において珍しい疑似宗教的な場をシュミレートしていくような作品を提示している。それは一見スタイルにおいて古風に見えてもそれはあくまで装いであり、いわばSFにジャンルにおけるスティームパンクのようなことをダンスにより行なおうとしているのではないかと感じた。
 実際この集団には音楽が山中透(元ダムタイプ)、舞台美術が現代美術家で「羊飼いプロジェクト」などで知られる井上信太とそれぞれの分野で手練れと思われるアーティストがスタッフあるいはコラボレーターとして参加している。美術にしても音楽にしても天然に見えてもそうじゃないのは明らかで、一見どうにも天然にみえるダンサーたちの立ち振る舞いはどうなのかとも思うのだが、こちらは「テン年代」特有の振る舞いなのかもしれない。もう一度最後に強調するが特に現代アート系の皆さん、注目です。MuDAはポスト「身体表現サークル→コンタクトゴンゾ」の最有力候補に名乗りを挙げたと思う。