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青☆組「人魚の夜」@こまばアゴラ劇場

作・演出:吉田小夏

出演:荒井志郎、藤川修二、大西玲子、(−以上、青☆組)、小瀧万梨子(青年団)、田村元、渋谷はるか文学座)、佐々木美奈、吉田圭佑、井上裕朗

 演劇批評誌「シアターアーツ」の次号に「『関係性の演劇』とそれを継ぐ者たち」*1と題して、青年団出身の劇作家・演出家を取り上げた批評を寄稿した。これは具体的にはこれまでユリイカ、シアターアーツなどに書いてきた平田オリザ論の続編として、個人的に平田チルドレンと私が呼んでいる多田淳之介、柴幸男、松井周が師匠といえる平田オリザからなにを受け継いだかについての論考であり、詳細については近く刊行されるシアターアーツをぜひ読んでほしい。そして、実は今年の目標のひとつと考えているのが、彼らに続く青年団系の劇作家・演出家の全貌を知り、それを基にポストゼロ年代以降の演劇において東京でいま何が起こっているかということについての理解の一助にしたいということで、今回初めて吉田小夏が率いる青☆組の公演を見に行くことにしたのはそうした目的があってのことだった。
 ただ、世代的に言うと青☆組の吉田小夏は元々平田オリザ作演出のプロデュース公演「転校生」に高校生として出演したという世代の一人で「青年団演出部への入部は多田淳之介と同期」(吉田)。青年団所属の作家の中ではおそらく古参に近い存在といえる。作品によってもスタイルの違いがあるようなので、「人魚の夜」の1本だけを見てその作風を判断するのは難しいが、まず感じたのは予想したよりも群像会話劇、現代口語演劇の要素が強いのだなということだった。
 雨が降り続き、時折大きな台風も来て大きな被害を与えていくという架空の地方の家族の物語。劇団サイトの内容紹介では「ある日、父が、女を拾ってきました。浜辺を散歩していたら、うっかり拾ってしまったのだと言います。こんな海辺の田舎町ではあっという間に噂になるからと、たしなめましたが、その女、もう、戻れないと言うのです。ほろ苦いペーソスと繊細さを持ち味に、市井の人々の営みを描き続ける青☆組。最新作は、『キツネの嫁入り』に続く未来の昔話シリーズ。日本古来の伝承を着想のヒントに、架空の海辺の町で繰り広げられる、喪失と再生と恋の物語」などとあるので、寓話的あるいは童話的な趣きの幻想譚を予想して、作品を見始めたのだが、実際の舞台は人魚などが実際に舞台に出てくるということではなく、人魚伝説が伝わる海辺の町での物語ではあるが、描かれるのは日常的に描写された地方都市の家族の物語であって、様式も平田オリザのような完全に舞台が固定された一場劇というわけではなく、ところどころで回想シーンなどを交えながら、時間、空間は行き来するが、群像会話劇、現代口語演劇の要素が強い舞台だった。
 とはいえ、全体の雰囲気は不可思議な幻想味もあって、現代ないし近未来を描く、平田の舞台とは異なる。家族はこの町の教師である父親と長女、次女、長男のいる4人家族だが、芝居の冒頭近くの場面ですでに台風による不慮の事故で2年前に長女が失踪しており、最近その遺品であるサンダル(靴だったかも?)が海で見つかり、死亡認定が役所でなされ、葬儀が営まれるための準備を残された長女の夫、次女、父が進めていることが示される。物語はさらにそこに父と対立してこの町を飛び出した長男が帰還する。この長男もかつて父親同様にこの町で教師を務めていた……。
 この物語にはいくつかの重要と思われる事実のなかにはっきりとは示されない事実があって、それが物語全体を謎めいたものにしている。さらに物語全体の基調低音として、この町に伝わる人魚伝説のエピソードが繰り返し語られる。それは遠い昔この村では海に行って人魚を嫁にとるようになったが、普段は海にいて雨が降る日だけ夫のところに通ってこられる。それで来れない日が哀しくて泣くのでこの町晴れの日は少なく、雨ばかりが降り続くようになった……。
 この人魚伝説のイメージと雨の降り続ける効果音が舞台の最中にずっと小さな音で流れ続ける。これがこの芝居全体の雰囲気というか空気のようなものを決めて、はっきりとは語られない家族の過去の空隙を埋めていく。これがこの芝居全体の構造だった。
 この芝居を見ていて思い出したのが、松田正隆の「月の岬」だった。それははっきりとは語られない家族の過去の空隙をその地方に伝えられた伝説のイメージが埋めていくという構造が「月の岬」とこの「人魚の夜」ではほぼ同じだったからだ。「月の岬」の場合は平田オリザが演出したこともあって、実際に舞台で展開される演劇のスタイルは平田流の群像会話劇そのものであって、それほどの幻想味をそこから感じるということは薄かった。しかし、もし今回の「人魚の夜」に近いような演出で上演されるということがあればこの2つの芝居はより似たものになっていたのではないかとさえ感じた。
 「月の岬」について書いた文章*2で作品のことを分析したことがあるのだが、この「人魚の夜」にも語られないことがいくつもある。ひとつはこの芝居では葬儀のエピソードぐらいしか触れられていない母親のこと。これはどんな風に父親と結婚したのかがまずこの芝居ではいっさい語られないし、死因もよく分からない。
 もうひとつはやはり台風のなか海の方に出かけていって亡くなったという長女のこと。これもなぜ出かけたのは大きな謎のまま残される。さらに加えてもうひとつは飛び出した兄に何が起こり、父親との徹底的な対立を招いたかという詳しい事情。このことも当時の女生徒と兄との関係が少し暗示はされるもののやはりはっきりとは提示されない。
 実は私が観劇した日のアフタートークの席で観客から母親はどんな人で父親とどんな風に結婚したのかという質問がなされ、作者はそれに対して「おそらく、2人が出会ったのは見合いで、亡くなった死因は病死とではないか思う」などと答えていたのだが、私は実は作者が答えたことは必ずも作品にとってはすべてではないと思っている。というのは作品のとっては実際に作者が作る時の裏設定などとしてどのように考えていたのかということよりはそういう事情を考えながらも、作品にはそれを明示して書き込まなかったという事実の方に作品の本質は隠れていると考えているからだ。
 実は「月の岬」の時のようにはこの「人魚の夜」については先ほどの疑問に対してすべてをクリアに説明できるような解釈はまだないのだけれど、なぜか確信があることはいくつかある。それは母親と娘(長女)という2人の女性の死にはやはりどこか共通する要素があってそれでそれが相似形をなしているということ。さらにその死はどこかで人魚伝説と呼応するところがあるはずだということ。
そしてそれは父親と息子の決定的な対立に影を落としているはずだということだ。一度見ただけではまだ記憶がおぼろげなところもあって、この芝居についてはもう一度見にいくべきかも、でも金欠でチケット代が苦しいし、せめて上演台本だけでも手に入れて再読してみないと、などと思い現在思い悩んでいるところだが、いずれにせよもう少し続けてそのことを考えてみたいと思った。

*1:「『関係性の演劇』とそれを継ぐ者たち」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00001123

*2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000023