ももクロ&アイドル blog

ももいろクローバーZとアイドルを考えるブログ

ミクニヤナイハラプロジェクト『東京ノート』@吉祥寺シアター

演出:矢内原美邦
作:平田オリザ

出演:石松太一、稲継美保、笠木 泉、門田 寛生、川上友里、川田 希、河村竜也、熊谷祐子、重岡 漠、島田曜蔵、立蔵葉子、永井秀樹、沼田星麻、橋本 和加子、兵藤公美、細谷貴宏、光瀬指絵、
緑川史絵、守 美樹、森山貴邦

■日程:2016/3/24[木]〜28[月]
■会場:吉祥寺シアター
■料金:整理番号付自由席
一般 3,500円、学生 2,800円、当日 3,800円
アルテ友の会会員・武蔵野市民(在勤・在学可) 3,150円(武蔵野文化事業団のみ取扱)
過去に書いたレビューなどのうちに第一回に取り上げる予定のニブロールと関係した文章を集めてみました。レクチャーに参加予定の人、あるいは興味を持った人は読んでみてください。

ニブロール「dry flower」 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20040228

ニブロール「no direction,everday」 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20061029

ニブロール「ロミオORジュリエット」 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20080119 

MIKUNI YANAIHARA PROJECT「3年2組」@愛知県立芸術文化センター http://www.pan-kyoto.com/data/review/58-04.html

MIKUNIYANAIHARA PROJECTvol.2「青ノ鳥」@STスポット http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060702

MIKUNI YANAIHARA PROJECT「青ノ鳥」wonderlandレビュー http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=736&catid=3&subcatid=4


  ニブロールミクニヤナイハラプロジェクトを率いる矢内原美邦平田オリザの戯曲「東京ノート」を上演した。「東京ノート」はいまから22年前の1994年に初演され、翌95年に岸田戯曲賞を受賞した平田の代表作である。日本国内だけだはなくフランス、韓国をはじめ世界各国で上演されいまや現代を代表する演劇作品としても知られている。
一方、矢内原美邦は映像や音楽などのクリエーターとのコラボレーションによりコンテンポラリーダンスの新境地を拓いたダンスカンパニー「ニブロール」(1997年設立)の主宰を務める振付家、演出家、劇作家だ。矢内原の「演劇」上演のためのプロデュースユニットがミクニヤナイハラプロジェクト。10年前にこの吉祥寺シアターで旗揚げ作品として「3年2組」*1を上演した。私はその作品に大きな衝撃を受けて2005年に上演された演劇のベスト1*2に選んだが、演劇ファンの評価は「セリフが聞き取れない」「演劇というものが何なのか理解していないのではないか」など厳しい批判もあり賛否両論だった*3
「3年2組」で矢内原は会話体を温存しながら、その台詞を速射砲のように俳優が発話できる限界に近い速さ、あるいは場合によっては限界を超えた速さでしゃべらせることによって、言語テキストにまるでダンスのようなドライブ感を持たせることに成功し、それが流れ続ける音楽や映像とシンクロしていくことで、ダンス的な高揚感が持続する舞台を作りあげた。
 「3年2組」についてその当時のレビューで上記のように書いたのだが、それは今から振り返ってみればチェルフィッチュの「三月の5日間」など並んで、平田オリザの登場以来現代演劇のメインストリームとなっていた現代口語演劇、群像会話劇の潮流に一石を投じ2010年以降のポストゼロ年代演劇の台頭につながる重要な出来事だったのかもしれない。
 小津安二郎の名作映画「東京物語」を下敷きに現代口語に群像会話劇のスタイルで現代の家族の解体を描き出したのが「東京ノート」である。これが岸田戯曲賞を受賞したことが、その後のいわゆる「静かな演劇」ブームのきっかけとなった。さらに「東京ノート」は1998年のサッカーW杯フランス大会の際に仏政府が企画した文化交流事業の一環として仏訳され、それをきっかけにフレデリック・フィスバック・平田オリザ共同演出版がフランス各地で上演され、好評を得たことが、その後のフランスを中心とした欧州地域での平田の高い評価にもつながっていった。その意味でもきわめて重要な作品なのだ。
 実は矢内原と「東京ノート」には奇妙な縁があった。ダンス要素の強いインターメディアパフォーマンスを手がけてきた矢内原が初めて手がけた「演劇」作品が2003年のガーディアンガーデン演劇フェスティバルにニブロールが参加することをきっかけに制作された「ノート(裏)」だった。この作品はその後何度かの改定で表題も微妙に変えながら連続上演されたが神戸アートビレッジセンターKAVC)の「NOTES」のアフタートークで観客からの質問をきっかけに矢内原は「東京ノート」について触れ、最初に「ノート(裏)」を構想した時には「東京ノート」のことは全然意識していなかったし作品も見てなかったと語った。つまり偶然の一致だったわけだが、後で「東京ノート」のことが気になり、作品も実際に見て、作者の考えていることが非常によく分かったという。しかしそこで描かれている世界については「そこで描かれているものは私たちが感じている今のリアルとは違うとも感じた」と語った。「東京ノート」の公演後本人に確かめてみたところ
本人は全然覚えていないようだが、私はその場に立ち会い、その時の答えがきわめて印象的だったこともありはっきりと記憶していた。
 その時からは十数年の年月が経過しているが今回矢内原版の「東京ノート」を見て思ったのは平田のテキストを用いながらも矢内原独自の演出的な手法を盛り込めるだけ盛り込んだような今回の「東京ノート」は静謐といってもいい平田の世界とは対極にあり、喧噪とわい雑に満ちた空間であり、あの当時から月日は過ぎ去ったがここで提示されたのが「私たちが感じている今のリアル」なのだなと今回ははっきりと分かった。
 平田オリザの「東京ノート」は美術館のロビーという静謐な空間を舞台に毎年年に一度長姉の上京を機に兄弟姉妹とその妻らが顔を合わせるというある家族の物語を主軸に画家であった父が亡くなり、残された絵画作品を美術館に寄託するために弁護士や友人と一緒に美術館にやってきた男、反戦運動を以前やっていて今は故郷で農業をしているカップルらさまざまな人々が交錯しあう瞬間を描いた。「東京物語」が下敷きになっていることから分かる通りに中心軸は美術好きの長姉を迎える家族らにあり、しかも淡々とした描写のなかで舞台の進行とともに長姉ともっとも仲がよく実の姉妹のごとき関係であった義妹が夫と夫婦関係の破局を迎えており、そのためにおそらくこの家族の集まりに彼女が参加することは最後になるだろうことが明らかになり、そのことに対する2人の言葉にならない思いのようなものが観客に伝わってくる。
 「東京ノート」ではそうしたメインの物語と平行して、欧州で起こっている戦争とその戦地から美術品が疎開してフェルメールの絵がこの美術館に集まってきていることなどここで描かれた美術館の外側の世界で起こっている出来事もここにやってきている人々の会話の形で語られる。さらにカメラオブスキュラという当時出てきた新技術によって絵画のフレームの中に世界を切り取るというフェルメールの方法論になぞらえて、美術館のロビーというコップの嵐を描くことで世界そのものがいかにあるのかを描き出そうという平田自身の方法論のこともこの「東京ノート」の中では提示される。
 今回の「東京ノート」で興味深かったのはメインモチーフである家族の会話を3人1役で9人で演じたことだ。一人のセリフは3人で次々とリレーのように受け渡され、しかも重要なセリフを認識しやすくするためにそこだけループして何度も繰り返すような演出も施された。平田演出の「東京ノート」では美術館のロビーが舞台で、その中央辺りには上手、下手2対のソファが置かれている。時折、その背後を人が通り過ぎていくことはあっても会話のほとんどはソファに座って交わされる。それに対し、矢内原版の舞台は何も装置がないフラットな空間でそこに20人もの俳優が登場する。俳優たちは上手から下手、舞台奥から手前、そして時にはその逆に舞台上をある時は隊列を組んで、時にはバラバラに縦横無尽に駆け巡る。あるいは急に動いたと思うとピタリと止まるなどの激しい身体的負荷を受けた状態で、セリフは発せられ、そのセリフも時には速射砲のように素早いセリフ回しで、ある時は断片的なセリフを動きながら破片のようにばらまく。そんな風にばらまかれるセリフの多くは平田演出では背景として描かれていた欧州での戦争など「美術館のロビー」の外側の世界が、雑踏で発せられたかのように断片的に発せられることでより「いまここにある危機」として感じられた。ここでは前景と背景が図と地が逆転するように入れ替わり、初演の1994年にはあくまで近未来の出来事として語られた欧州での戦争が拡大し、そこに日本人の若者があるいは自衛隊員としてあるいはボランティア団体の職員として巻き込まれていく。バルカン紛争などをイメージした局地戦の拡大と現在のテロによる危機とはもちろん異なるものではあるが、ここでの世界の危機に巻き込まれていくという予感は94年より現在の方がよりリアルに感じられるかもしれない。そういう切実さがミクニヤナイハラプロジェクト「東京ノート」にはあった。
 昨年執筆した「『ももクロ×平田オリザ』論 『幕が上がる』をめぐって」で平田オリザと人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の映画・演劇での共同作業を「関係性と身体性 対極の邂逅」と表現した。実はその前年(14年)に出した長編論考「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」でももクロの登場を祝祭性の復権と捉え、ポストゼロ年代演劇(ダンス)の代表である矢内原美邦黒田育世、多田淳之介らの台頭と関係づけて論じた。実はももクロもこの3者も身体にたえず負荷をかけ続けることで、制御不能(アンコントロール)な身体を見せていくという方法論において共通項があり、そうすることで「生きていくことの切実さ」を見せていくのだということだった。
 その意味では今回の平田オリザ×矢内原美邦の「東京ノート」での出会いはももクロ×平田オリザに続くもうひとつの「対極の邂逅」といえる。
 しかも、ももクロ×平田のそれは本広克行と中間項が間に入ることで結果的に「対極の衝突」とはならず、ソフトランディングに成功したが、今回は「ガチの衝突」だといっていい。

 面白かったのはそ

*1:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10010929

*2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000001

*3:賛否両論と書いたが実際にはかなり激しい拒否反応もあり、否が多かったかもしれない