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げんこつ団「四半世紀の大失態」@下北沢駅前劇場

2016年11月16日(水)〜20日(日)
東京都 駅前劇場

脚本・映像・音響:一十口裏
演出:一十口裏、植木早苗
振付:植木早苗
出演:植木早苗、春原久子、大場靖子、河野美菜、池田玲子、望月文、川端さくら、久保田琴乃、三明真実、工藤史子、遠藤弘章、中山裕康

 「四半世紀の大失態」は表題通りにげんこつ団の25周年記念公演である。一言で25周年というが、これはある意味驚くべき事だ。「純度の高い笑いだけを追求し続けるのは難しい。関西の雄、ベトナムからの笑い声が活動を休止したいま女性だけの劇団でありながら、なんの意味もなくただ笑いだけを追い求めるげんこつ団の存在は一服の清涼剤といっていい」と書いたのは何年前のことだろうか? ましてやげんこつ団は女性だけをメンバーとしている。作演出以外の旗揚げメンバーはすべて入れ替わり劇団が継続する例はあるがこの劇団は脚本・映像・音響・演出の一十口裏、振付・演出の植木早苗ら中心メンバーが健在であり、こうした形で25年続けてきたというのは稀有な例であろう。
 実はこの舞台は過去の作品の名場面(?)の抜粋を引用して作品のなかに入れ込んでいたらしい。そういういう風に聞けば途中で確かにこの場面は確かいつか見たことがあるんじゃないかという感覚に襲われたことはあった。
ところが、はっきりそうだということが舞台を見ている最中にはあまり分からなかったのはそういう感覚自体がげんこつ団においては通常運転というか今回の舞台に限ったことではなかったからだ。
内容はもちろん公演ごとに変わるが、形式は内容によって変わることはない。冒頭の映像の後で本編がはじまるが、それは大抵会社のオフィスであったり、家族のいる茶の間であったりする。そこでは芝居ごとにそこで起こっている状況に合わせて突然おかしなことが起こり、それが次々と連鎖していくが、その途中でニュースの映像が挿入され、いま何が進行中なのかが解説される。
 笑いとしてはそのシチュエーションのラジカルさやシュールさに真骨頂がある。先ほど挙げた笑いの劇団にはモンティ・パイソンに強い影響を受けたところが多いのだが、全体の構成や映像の使い方といい、ネタが持つ政治的な揶揄といいげんこつ団はもっとも正統的にそれを受け継いだスタイルといっていいだろう。
 ただ、その一方で実際に笑いにつながる部分には女性が背広姿、場合によっては禿げづらを着けてサラリーマンや親父を演じる馬鹿馬鹿しさもあり、それはもっと単純におかしい。女性版のザ・ドリフターズといってもいいかもしれない。
 それはある意味マンネリズムともいえるかもしれず、猫ニャーの極端なラジカリズムと比較すると物足りなく思った時期もあったが、この分かりやすいエンタメ性が長続きした理由なのかもしれない。
 80年代のラジカル・ガジベリビンバ・システムからはじまり、劇団健康、その後継であるナイロン100℃に続き*1、90年代には純度の高い笑いだけを追求する若手劇団が相次いで登場した。ハシノヨウヘイ率いるオハヨウのムスメ、ブルースカイの猫ニャー、黒川麻衣のOJO!がその代表的な劇団。関西には後藤ひろひと時代の遊気舎、故林広志らのガバメント・オブ・ドッグス、少し遅れて先ほど上げたベトナムからの笑い声もあった。そしてそのなかにげんこつ団もいた。
 冒頭にも書いたが笑いを追求する劇団が活動を継続していくのは簡単ではない。それにはいくつかの理由があるが、例えばそれがラジカルなそれまでにないような斬新な笑いであればあるほど継続的に新たなアイデアを生み出していくのは難しいこと。もうひとつは笑いの演劇はそれを体現する優れた演者を必要とするが、優れた演者は優れた俳優であることも多く、普通に役を演じるような俳優として起用されることが増えていくなかで、考えようによっては意味がないような(ナンセンスな)役柄を演じ続けるだけのモチベーションを維持し続けることは難しい、などということもある。
 げんこつ団のもうひとつの特徴は女性だけの劇団であることだ。女性だけの演劇集団が継続的に活動を続けていくことも当然ながら独自の困難さはある。当然、メンバーが結婚や出産の時期も迎えるなかで活動を続けていけるのかという問題は出てくるからだ。
 私は彼女らと個人的に親交があるわけではないので、それをどう克服したのかはよく分からないのだが、この劇団を見にいっていつも思うのはげんこつ団の持ついい意味でのアマチュア性である。