ももクロ&アイドル blog (by中西理)

ももいろクローバーZとアイドルを考えるブログ

『坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第77夜「OVER DRIVE」@フジテレビNEXT

坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT』 第77夜「OVER DRIVE」@フジテレビNEXT

 日本武道館でのソロコンを終えて、「ココロノセンリツ」終了宣言をした有安杏果がどんな曲を披露するのかが今回の焦点だろう。

  これまでももクロ現場で歌うことを固辞してきたソロ曲を解禁するということがあり得るのか(可能性は低いと考えている)。自分で作詞作曲した歌はやらなくてもせめて提供を受けた曲である「トラベル・ファンタジスタ」か「遠吠え」を歌ってくれないだろうか。あるいはそれが無理ならばソロコンで歌った宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」かEXILEの楽曲をやってくれないだろうか。いずれにせよ今月も楽しみである。

  という風に見る前に書いたが、冷静になって考えてみれば番組準備の進行上、当然杏果のソロコンをきくちPが見る前に今月のセットリストはほぼ固まっていたであろうし、アルフィーの楽曲のカバーが中心で、その他も元ジェディマリのTAKUYAとの共演ブロックなどグループとして全員ないしほぼ全員で歌う曲がほとんどで、ソロ曲(自分の曲というのではなく、メンバーの誰かがひとりで歌う曲)もなかったから、杏果のソロ曲を入れたくても今回のセットリストには入れようがなかった。

 アルフィー楽曲がメイン主題の今回の放送だが、それでもハイライトはTAKUYAの演奏でSMAPの「ススメ!」をSMAP楽曲としては初めてももクロが歌ったことだ。これがとてもよかった。実はこのTAKUYAブロックではこの日の表題でもあり何らかの形でからむとは思われていたJUDY AND MARYの「Over Drive」がまず歌われ、続けて作詞作曲ともがTAKUYAである「イロトリドリノセカイ」が歌われた。TAKUYAはJUDY AND MARYの解散についてはいろんな思いがありすぎるのか、これまでジュディマリ曲はやらないという類の発言を繰り返してきたのが、GARLSFORKTORYでエビ中に提供した「紅の詩」を演奏するために登場した時に続けてジュディマリ曲を演奏。すでに春のライブでの共演経験があった夏菜子がここですかさず「今度はぜひ私たちと一緒に」と一声掛けた。

ももクロの醍醐味は点と点を結んで線にしていくことだから、この時点で遅かれ早かれフォーク村かライブにTAKUYAが再び登場して今度はももクロジュディマリ曲を歌うことになるんだなと思ったはずだ。そして、そうであれば今回の「OVER DRIVE」という表題を見て皆がまでとは言わないが多くのモノノフがこうした展開を予想したはず。ところがこの日番組は何とTHE ALFEEの「Over Drive~夢よ急げ」から始まり、ここから連続で立て続けにTHE ALFEEの曲を弾きまくるという怒濤の展開(ここではモノノフ大好物だが、アルフィー大好きで知られる東京03飯塚悟志のサプライズ登場、「My Truth」熱唱という本当の意味でのサプライズもあった)。
 ところが先ほども一度書いたが私にとっての本当の驚きはこの微妙な時期にTAKUYAの提供曲だということもあってももクロ全員でSMAPの「ススメ!」を歌ったことである。しかもそれに続けて同じTAKUYAの演奏で自分たちの持ち歌の「未来へススメ!」を歌ったのだ。
先ほどもももクロは点と点を結び線を作っていくと書いたが、都合の悪い人に聞かれたら「たまたまです」と答えられる余地を残しながら、これは明確に解散したSMAPに対するエールとも取れるしなかんずく退所して「新しい地図」を作った3人に対するエールだというのは間違いなかろう。

M01:Over Drive~夢よ急げ (Z ALFEETHE ALFEE)
M02:
恋人になりたい (Z ALFEE&坂崎村長/THE ALFEE)
M03:メリーアン
 (Z ALFEE&杏果&あーりん/THE ALFEE)
M04:
シンデレラは眠れない (Z ALFEE&あーりん/THE ALFEE)
M05:
SWEAT&TEARS (Z ALFEE&杏果/THE ALFEE)
M06:
My Truth (東京03飯塚悟志THE ALFEE)
M07:
Theme From The KanLeKeeZ (還暦ーZThe KanLeKeeZ)
M08:
花の首飾り (あーりんTHE TIGERS)
M09:エメラルドの伝説
 (杏果ザ・テンプターズ)
M10:
好きさ好きさ好きさ (杏果&あーりん&坂崎村長ザ・カーナビーツ)
M11:
G.S. I Love You -あの日の君へ (杏果&あーりん&坂崎村長THE ALFEE)
M12:
誰よりもLady Jane (ももクロ&坂崎村長BEAT BOY)
M13:あの空に向かって (ももクロももクロ)

M14:
YELLOW YELLOW HAPPY (千秋&しおりん/ポケットビスケッツ)
M15:
Over Drive (ももクロ&TAKUYAJUDY AND MARY)
M16:
イロトリドリノセカイ (ももクロ&TAKUYAJUDY AND MARY)
M17:
ススメ! (ももクロ&TAKUYASMAP)
M18:
未来へススメ! (ももクロ&TAKUYAももクロ)
M19:明日なき暴走の果てに (ももクロ&坂崎村長/THE ALFEE)
M20:Musician (坂崎村長&ももクロTHE ALFEE)

 


 

ももいろクローバーZ AE限定「over.40祭り」@日本武道館

** ももいろクローバーZ AE限定「over.40祭り」@日本武道館

 

 

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開催日時 2017-10-21 (土) 
時間 開場 18:30 開演 19:30 終演 21:00
 ※終演時間はあくまでも目安になります 
 
出演者
ももいろクローバーZ
 百田夏菜子
 玉井詩織
 高城れに
 佐々木彩夏
 有安杏果

over.40 本日のセトリ

ピンキージョーンズ
猛烈
チャイマ
MC
夢の浮世に咲いてみな
Zの誓い
words of the mind
MC
黒い週末
believe
MC
DNA狂詩曲
走れ
<<
 ライブ途中でゲッタマンが登場しての体操の時間とか、女医の先生による予防医学的な注意事項、まったく意味不明の風景映像に合わせてピアノとギターの生演奏が行われるヒーリングタイム……。AE限定イベントおなじみの茶番的な企画は随所に挿入されるが、セットリスト自体は激しい動きのいわゆる「アゲ曲」が並びきわめて攻撃的。なかなか見所のあるライブであった。
  直前に行われた「学生祭り」では学生たちの年齢ではだれも分からないだろうと思われる「スクールウォーズ」がモチーフになったが、「over.40祭り」は客入れ時の音楽こそ80年代の懐かしめな選曲が目をひいたが、本編に入ると 「over.40」を逆手に取ったように「ピンキージョーンズ」「猛烈」「チャイマ」と最近でこそ以前よりやられる回数が減ってはいるが、ガッツリ系ライブの定番曲を並べた。コールがいつもより野太いのは年齢のせいもあるかもしれないが、男女比率でいうといつものライブよりも圧倒的に男性の比率が高いためだろうか。怒号のようなコールの迫力はいつもにも増して、大音量で会場に響いたが、もうひとつの特徴は最近話題になることの多い他アイドルの現場では普通だが、ももくろスタンダードMIXや「イエッタイガー」などのコールがまったく聞こえてこないことだった。
  おそらく、ももクロの他の女性アイドルと比較した場合の最大の特徴、そして武器は「over.40」のファンの層が分厚いことだろう。しかもこの年齢層はいろんなきっかけでももクロにはまった人がいても、いわゆるアイドルファンというのは少数で、アイドルだからではなくももクロだから応援しているという人たちが多いと思われる。最近は実はももクロだけでなく、他のアイドルの現場にも足を運ぶ機会が増えているのだが、スターダストプロモーション所属のももクロの後輩グループの現場ではこうした年齢層の客は多いとはいえず、この日は単純に計算しても武道館を満員にする観客が公演に来ているわけであり、しかも抽選にはずれている人や来られない人も多いのだから、これこそがももクロが他のアイドルが埋められないスタジアム級の会場を埋められる原動力だといえるかもしれない。逆に言えば10代など学生層への浸透はテレビの露出がほとんどないことからいまひとつであり、ファンクラブイベントということもあり、すべての客席を埋めることはできなかった*1
 この日のライブが画期的であったのは(正式にそうだという確認はとれていないももの)当日の客席を連番は別にして前から順番に年齢順に並べたのではないかと思われること。私は50歳代末なのではあるが、60歳代の知人と連番で登録していたため、左サイドではあるが、前から3列目という絶好のポジションに陣取ることができた。

以上のことを始まる前に書いたが、始まってみるとこの日も予想の上をいく展開。ハイライトは何と言ってもTAKUYAの演奏でSMAPの「ススメ!」を歌ったことだろう。

   

*1:とはいえ、ももクロ運営は観客動員をすべて実数で発表するが、他のグループで満員と発表している観客数よりは若干多いかもしれない。

有安杏果ソロコンサート「ココロノセンリツ~feel a heartbeatvol.1.5~」@日本武道館

** 有安杏果ソロコンサート「ココロノセンリツ~feel a heartbeatvol.1.5~」@日本武道館


有安杏果が2016年7月の横浜アリーナから始まったソロコンサート「ココロノセンリツ」の集大成と位置づけていたのがよく分かるライブコンサートだった。ただ、それだけに終わってから何日か経過した今も最後に杏果が言った「『ココロノセンリツ』はこれで終わります」という言葉が今もどうしても気になって脳裏で反芻し続けている。
そもそも最初の横浜アリーナのソロコンを「ココロノセンリツ~feel a heartbeatvol.0~」としたのは「今後、vol.1、vol.2、vol.3と一生やり続けていくためだ」とあの時言っていたのではないのか。このライブは照明効果にまで最新の注意をはらい計算され尽くしたライブとなっていただけに「終わります」は次のソロコンをやるにしてもいまのところスケジュールは予定されていないので、しばらく先になります、というような軽い意味には取りにくいような周到に準備された言葉に思われた。個人的にはその程度の意味であってくれ、深い意味はないと考えたいという気持ちはあるのだが、杏果のソロコンは彼女あるいはグループ全体の活動にとって負担が大きすぎるので、運営サイド(というかこの場合はほぼ間違いなく川上さん)からストップがかかったのではないかという気がしてならないのだ。
  これは現在のところただの推測にすぎないし、杏果のことであるから発言の真意について何らかの説明を自分でするかもしれないが、杏果が今回のライブを「~feel a heartbeatvol.1.5~」としたのは日本武道館のライブが決定した時点ではこれで終わりにする気はなかったと思う。
 根拠があるというよりは単に論理的な推論にすぎないが、もしその時点で日本武道館を「ココロノセンリツ」最終公演にすることが決まっていたのであればvol.1.3、vol.1.5などと細かく刻むことはなく、切りがいいようにvol.1.5、vol.2.0としていたんじゃないかと思う。そうであるとするとソロコンの表題を決めて以降、この日までに何かの状況の変化があったのではないかと思われるのだ。ただ、私は当日パンフをライブの日には購入できずまだ読めていないので、そこには何らかの裏事情が記されているのかもしれない。このことについてはそれを読んだうえで再び考えてみたい。
いずれにせよソロコンはしばらくはないようなので杏果に個人的な希望がある。それはこれまでももクロの活動とソロ活動を区別するためにフォーク村を含むももクロの活動では少数の例外を除けばソロ曲を披露してこなかった。だが、ソロアルバムも発売となり、ソロコンがしばらくないのなら曲を披露する場がなくなるので、これを機にももクロ現場でもせめてれにちゃん、あーりんのソロ曲程度にはももクロ現場で歌うことを解禁してほしい。そうでないといい曲がいっぱいあるのに楽曲が可哀想なので。

 さてここからは実際のライブの中身について振り返ってみたい。今回のライブは冒頭で「小さな勇気」が歌われた。これはおそらく被災地である仙台で行われたvol.1.3とvol.1.5は若干の相違はあるもののほぼ同じような構成のライブとしてデザインされており、全体を通してのテーマソング的な位置に震災復興応援チャリティーソングでもある「小さな勇気」を置いたからだろう。そして、その後の曲順は発売されたばかりのアルバム「ココロノオト」の収録順に展開していく。そして、実はアルバムは制作順に順録りして楽曲を収録していることから杏果自身が話すようにこれまでの杏果ソロ活動の集大成を思わせるようなものとなっている。 「小さな勇気」「心の旋律」は全体に暗い中でセンターステージの杏果にスポットが当てられた。アカペラの部分も含めアルバムの原アレンジよりはたっぷりと歌うように編曲し直されている。今回も曲ごとに細かくアレンジを変えたり、楽器演奏のために大幅に変えたりと東名阪で試みたことをより徹底的にやっていて、特に今回はバンドにストリングスのアンサンブルを入れたことで、曲のつなぎにインストゥルメントの演奏を入れたりとかなり凝りに凝った構成にもなっており、ただ歌うというだけでなくて、こういう風にアレンジや構成をバンドと一緒に考えていくことが楽しくて仕方ないのではないかと感じさせたが、冒頭の2曲などそのせいで少し似たような曲調になってしまったり、あるいは先ほど凝った構成と書いたがいじりすぎていてもう少しシンプルにそのままやった方が効果的なのではと思うところも散見された。

 それぞれの楽曲については以前このサイトでアルバムレビューのようなことをやったこともあるのでそれを参照してほしいが、この日本武道館公演にとってスペシャルだったのは杏果がEXGP時代にキッズダンサーとしてEXILEのバックを務めたことのある「Choo Choo TRAIN」を歌い踊り、しかも途中からはかつての杏果がそうだったように現在EXGPに在籍しているキッズダンサーをバックに引き連れて踊ったことだ。横浜アリーナで歌ったEXILE「KISS YOU」もそうだったが、杏果にとってEXILEあるいはLDHの楽曲は特別な意味合いや思い入れがあるようで、それはかつて24時間ユーストで他のメンバーが巫山戯てEXILEやEーGIRLの楽曲を歌い出したときに「LDHさんに怒られちゃうから」と慌てて止めに入ったことなどからもうかがえたが、今回は思い出の歌を武道館でしかもかつての自分を彷彿とさせる子供たちと一緒に披露することができたことで相当の感慨があったのではないか。さらに言えばこれまではおそらく杏果側で畏れ多いとNGを出していたのではないかと思われるEXILEメンバーとの歌での競演が近くあるのではないかとの期待を感じさせた*1

 アコースティックギターを演奏しての弾き語りでは宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」と自作曲の「ペダル」を披露した。宇多田ヒカルは彼女のハスキーな声が合うのではないかと思い以前から杏果に歌ってもらいたいと思っていたのでそれが聴けたのは凄く嬉しかったのだが、宇多田はやはりいろんな意味で歌がうますぎるので杏果の歌はそん色ないというところまではいかないと少し残念だったのだが、実はそれは生演奏で相当の負荷がかかっていたせいというのもあったようだ。というのも逆再生リレーでギター演奏なしで歌った「ファースト・ラブ」を聴いてみるとまるでグルーブ感が違っていたからだ。逆再生は一部だけだったので、フォーク村とかで今度は演奏なしでフルコーラスの歌唱を聴いてみたいと思った。

  実は今回のバンド編成のもうひとつの売り物はベースにウッドベースを入れていたことだ。それゆえか中盤の「裸」「愛されたくて」「遠吠え」「TRAVEL FANTASISTA」といった楽曲群はジャズっぽいもともとピアノ演奏などジャズ風味の強い曲想でもあるが、それが1~2割り増しの感もあり、以前何かの番組でいつか将来は「ブルー・ノート」で歌ってみたいと語っていたのを思い出した。その時にはそういうところで歌うにはまだ全然色気が足りないだろうなどと思っていたが、「遠吠え」などでは相当に大人の魅力も発揮している。杏果に一度ジャズのスタンダードを歌わせたいと思った。意外とはまるのではないかと思う。
 最初の「小さな勇気」「心の旋律」では巨大な半透過幕のスクリーンにモニター風に杏果の撮った写真を映写していたのだが、感心させられたのは日大芸術学部の卒業制作が「心の旋律」を主題とした組写真であったように全部で6曲ほどが杏果が自ら撮影、製作した一連の組写真と楽曲を組み合わせて、それでひとつの作品となるようになっていたことだ。つまり、この日に披露された20曲程度の楽曲のうち、6曲は写真・楽曲を組み合わせた作品、そのほかにも杏果がコンセプトを伝えて映像作家によって製作させたアニメーションと組み合わせた楽曲も2曲あるので半分近くがビジュアルと楽曲を組み合わせた作品となっている。そのほかにアコースティックギター、「ありがとうのプレゼント」でのピアノ演奏、「feel a heartbeat」でのエレキギターの演奏、アンコールでは「教育」のドラム演奏と本当にコンサートそのものが杏果の作品と言っていい。
 少し意外だったのは「 Another story」を初出でアンコールの一番最後に持ってきたこと。いろいろ考えられるけれどこの曲がテンポもあって盛り上がれる曲だからだろうか。深読みすれば「最後のあいさつ」とリンクして「本当は叫びたい」以下の歌詞が今の杏果の心情を反映しているというのはやはりうがつすぎだろうか。
 いずれにせよどういう形にせよできるだけ早くソロコンを復活させてほしいと思う。

 


有安杏果「ココロノセンリツ ~feel a heartbeat~ Vol.1.5」2017年10月20日 日本武道館 セットリスト

01. 小さな勇気
02. 心の旋律
03. Catch up
04. ハムスター
05. feel a heartbeat
06. ありがとうのプレゼント
07. First Love
08. ペダル
09. Choo Choo TRAIN
10. Drive Drive
11. 裸
12. 愛されたくて
13. 遠吠え
14. TRAVEL FANTASISTA
15. 色えんぴつ
16. ヒカリの声
<アンコール>
17. 教育
18. メドレー
19. Another story
<ダブルアンコール>
20. feel a heartbeat

 

*1:次のFNS歌謡祭に期待である

ももクロ有安杏果、ソロアルバム「ココロノオト」を聴いてみた

 ももクロ有安杏果、ソロ初アルバム『ココロノオト』を聴いてみた

 有安杏果の待望のソロアルバムがついに発売された。図抜けたトータルでの完成度の高さに舌をまいたが、それでいてどこを切っても有安杏果というのはこのアルバムがセルフプロデュースだからであろう。

   しかも武部聡志本間昭光ら日本を代表するベテランアレンジャーを含めアルバム全体をプロデュースしたとしてもおかしくないキャリアのアレンジャー・プロデューサーらを曲ごとに入れ替えて制作していることだ。 それでいてばらついた印象にならないのはその全体を文字通りに杏果自身が統率していて一緒に作品作りをする相手に対していっさい妥協なく自分の美意識に基づいて練り込んでいることだ。

 そして「ココロノオト」のもうひとつの特徴はこのは曲順が曲が出来た順番に並んでいることである。

 実はももクロ主演映画「幕が上がる」に感じた共通項があり、それはいずれも「順撮り(録り)」だということだ。そしてそうしたことで出来上がった作品は期せずして彼女(たち)の成長の記録ともなっている。そして、結果はアイドルだと先入観を持って見始めた(聞き始めた)人をクオリティの高さで驚かせる。

 映画「幕が上がる」の成功は有安杏果に重要な経験も与えたと思っている。それは夏菜子と一緒に収録した駅のホームでの場面。メイキングを見るとよく分かるのだが、この場面で撮影したカットのうちどれを最終的に使うということについて杏果と夏菜子は本広克行監督に撮影終了後監督の判断に対し異論を唱えて強くつめよっている。この場面は結局、監督が2人の意見を考慮しながら再考しカットのつなぎを駆使してこの映画屈指の名場面となった。こういう場面で経験の浅い俳優が監督が出した結論に異論を唱えられるものなのかということに一般論としては疑問を感じなくもないのだが、杏果も夏菜子もそこで妥協を許さず努力すればそれだけ作品はよくなるということを実体験として学んだ。

 「ペダル」でアレンジャーとしては日本駆使の大御所のひとりである本間昭光に杏果が出来上がってきたアレンジに何度も注文を付けて作り直させたという話を聞いたときにいかにも杏果らしいと思った半面、「それは普通許されるのだろうか」と考えたのだが、これも映画の時の経験が生きているのかもしれない。

 一層この子容赦ないわと思ったのは1.0で「ペダル」のアコースティックギターの生演奏で披露するために本間アレンジを完全にアレンジし直してしまったこと。「ペダル」は横アリの時のミニアルバムにも収録されておらず、原アレンジを聴く機会は限られてしまっていたので、今回のソロアルバムで音源が初披露されたことは個人的には喉にささった骨がやっと取れた感もあるのだ。

 アルバムは順録りとは書いたが大きく分けると3つのブロックに分けられるかもしれない。最初の ブロックは自らの作詞曲を武部聡志本間昭光ら大御所クラスから始まり、

脂の乗り切った三十代半ばの久保孝一、宮崎誠らにアレンジを依頼した曲が並び、特に久保孝一にはギター演奏とギターでの曲作りも師事し作曲のノウハウを学んだ。

 ここのブロックでは「ハムスター」と「ペダル」がいい。特に「ハムスター」は実際には一番最初に作りだした曲ともいうが、自らをハムスターに準えるユーモアと自虐の絶妙なバランスがいかにも杏果らしいと思うし、自らの心情を曲にしたとはいえ、専門の作曲家のアドバイスもあったためかアルバム後半の極私的なイメージを綴った「色えんぴつ」「ヒカリの声」と比べるとキャッチーで聞きやすくもある。この曲もvol.0で披露されて以降、音源化されることもなく幻の名曲的な存在になっていたから、ここでアルバムに収録されたのは嬉しいことだった。杏果のソロ曲はももクロの楽曲とは全体としては雰囲気が違う曲が多いのだが、その中ではこの「ハムスター」はもし仮に5人に歌割りされてももクロのアルバムに収録されていたとしても比較的違和感がなかったのではないかと思う。というのはももクロの曲は彼女らが所属するスターダストプロモーション、そしてかつて所属していたキングレコードスターチャイルドレーベルにちなんで、星や宇宙についてのイメージがちりばめられていることが多いのだが、

街頭の灯りが明るい都会の空 星ひとつ見えない無色の空 だけどそこにひっそりと
月が佇むように 確かな光 
放ち続けてたい

 という冒頭の歌詞ひとつとっても「月」や「星」に自らをなぞらえていることがあってこれは例えばそれがももクロのことであれば夏菜子の「太陽」に対し、自分を「星」や「月」に位置づけているようにも思えるし、あるいはこの世界の輝く存在に対して自分たち(ももクロ)のことをそう感じているようにも解釈できるような要素も含んでいるからだ。

 一方、中盤の「Drive Drive」以降は杏果が個人的に大好きで楽曲をよく聴いているアーティストからの提供曲が並ぶ。ここでも選択のセンスに感心させられたが、よかったと思うのはいずれのアーティストへの依頼もレコード会社のプロデューサーである宮本淳之介を通じて行っていることだ。実はこの辺りの曲を聴いて思ったのは以前にも書いたことがあるが有安杏果ソロの楽曲はももクロの未来図だということだ。

ももクロの楽曲はつんく秋元康ら特定の作家がプロデュースするのではない、作家陣の多様性にあることは確かだ。とはいえ、方向性がまったくないわけではなくて、テイストというのはあってそれを司っているのが、音楽プロデューサーの宮本なのだ。ところが、杏果ソロ楽曲の特徴というのは通常のももクロ楽曲ならば宮本が絶対に楽曲製作を依頼しないであろうようなアーティストの楽曲も含まれている。

 「愛されたくて」「遠吠え」の風味堂渡和久)、「裸」の小谷美沙子といった人たちがそうなのだが、宮本を通じて楽曲依頼をしたことでパイプを増やしたのは将来的に大きいような気がする。もちろん、今回制作された楽曲もよい。「愛されたくて」「裸」はいずれもそれまでの杏果になかった新たな魅力を引き出してくれたという意味で注目していたが、特に「愛されたくて」は小沢健二を彷彿とさせるような小洒落た雰囲気を醸し出し「杏果はこういう歌も歌えるんだ」と感銘を受けた。

  最後の2曲はこのアルバム制作時点における杏果の到達点を示している。ネガティブでダークな部分も含む内面までを吐露した「色えんぴつ」と「ありがとうのプレゼント」に匹敵する杏果の新たなアンセムともいえそうな「ヒカリの声」。両極端ともいえる2曲ではあるが、共通点はどちらも「THE杏果」を思わせる曲である。

 最初に「彼女の成長の記録」とこのアルバムのことを評したが、最初の頃の「心の旋律」「Catch up」「ハムスター」「ペダル」「 feel a heartbeat」といった楽曲群がつれづれの思いを書きとめた日記帳のように本当に個人的な心情をそのまま歌ったものであったのに対し、同じ個人の心情を歌ったといっても比喩として自らを使われないままでケースに入れられた色えんぴつに準えた「色えんぴつ」、ネガティブな心象風景から抜け出して「光あれ」と歌い上げた「ヒカリの声」と曲を聞く側がより心情に同調しやすい普遍性を獲得したものになってきている。

 そして、一見もっとも個人的な思いを吐露した歌に見える「色えんぴつ」だが、この歌は杏果のソロ曲の中では珍しく「色」について歌っていて、とは言え「緑」という言葉は歌詞の中には一度も出てこない。それでも歌詞のなかにどこかももクロの歌と重なるところがある。特に聞いていて何度も思い浮かべたのは「モノクロデッサン」である。

 それぞれのメンバーにメンバーカラーがあるというのはももクロのメンバーにとっての宿命のようなものであって、その中で杏果は緑色を担当している。これはファンなら誰でも知っている事実だが、有安杏果のソロの表現する世界観の中では「ももクロの緑」というのは一切出てこない。それは「色えんぴつ」でも同じだが、この曲は前に挙げた「モノクロデッサン」と同様「色」は重要なモチーフとなっている。

 ならばここではどのように描かれているのか。

色えんぴつ - 有安杏果 - 歌詞&動画視聴 : 歌ネット動画プラス

 

 

ココロノオト【初回限定盤A】

ココロノオト【初回限定盤A】

ココロノオト【初回限定盤B】

ココロノオト【初回限定盤B】

有安杏果
1st ALBUM「ココロノオト」
2017年10月11日(水)発売!!

【初回限定盤A(CD+Blu-ray)】
品番:KICS-93535
価格:,704+税

[CD]
1. 心の旋律
2. Catch up
3. ハムスター
4. ペダル
5. feel a heartbeat
6. Another story
7. Drive Drive
8. 裸
9. 愛されたくて
10. 遠吠え
11. 小さな勇気
12. TRAVEL FANTASISTA
13. 色えんぴつ
14. ヒカリの声

[Blu-ray]
<Music Video>
「ヒカリの声」
「色えんぴつ」
「Catch up」

特典映像
「ヒカリの声」Music Video メイキング映像

 

 

Perfumeとももクロ 多田淳之介インタビュー

Perfumeももクロ

中西理(以下中西) 今回は「ももクロ論壇」という批評誌に「パフォーマンスとしてのももいろクローバーZ」という表題で論考を書くことになりました。ももクロに代表されるような最近のアイドルのパフォーマンスが演劇の演出家の目にどのように映っているのかが知りたくて、今回の論考にもその作品が一部紹介され、アイドルにも造詣が深い演出家として東京デスロックの多田淳之介さんに話をお聞きすることにしました。きょうはどうもよろしくお願いします。
多田淳之介(以下多田) こちらこそよろしくお願い致します。
中西 多田さんはPerfumeのファンだということなんですが、まず簡単にこれまで好きになったアイドル歴からお聞きしたいのですが。
多田 SPEEDとか凄く好きでしたね。アクターズスクール系の女の子がグループになって踊るというのを見るのが好きだった。
中西 では女の子というわけでもないですが、最近でも自分の作品でパフォーマーを集団で踊らせたりすることが好きっていうのはそういうことと関係なくもないんですね。
多田 そうですね。関係なくもないです。ただ、俳優が踊るのとダンサーが踊るのではちょっと違うということはありますが。
中西 Perfumeのことからお聞きするつもりでしたが、もともとはSPEEDでしたか。それではまずSPEEDのことから話を始めたいと思いますが、SPEEDはどんなところが面白かったんでしょうか。
多田 最初はあの人員構成が衝撃的でした。4人いるのに2人しか歌わないという。じゃあ、後の2人はいったい何をやってるんだということになりますが。まあ、踊っていたのですが(笑)。より正確に表現すれば歌える2人と踊っている子と顔のきれいな子という4人だったわけです。それがけっこう好きで、僕はその中で仁絵ちゃん(新垣仁絵)という踊る子が好きだったのですが。
中西 私なんかは年を食っているからアイドルというと山口百恵とかになってしまうんですが。
多田 山口百恵は僕も好きですよ。
中西 SPEEDは確かに衝撃的でした。ダンスにしても歌にしてもトータルでのレベルの高さもそれまでのアイドルの歴史を更新するようなところがあった。昔はそうは思わなかったけれどSPEED以前のアイドルのダンスの振りを今、動画サイトとかの動画で見ると愕然とします。なんとなく、ひらひらしているだけで全然ダンスが踊れていない(笑)。
多田 ただ、そんななかでピンクレディーは振付にしてもレベルが高くて、Perfumeはその系列じゃないかと思います。
中西 Perfumeは何で好きになったのでしょうか。
多田 一番最初は曲を聞いていいなあというのがあって好きになりました。1枚目のオリジナルアルバム「GAME」(2008年4月16日)が出る前ぐらいですから、世間で話題になり始めたころでそんなに初期からというわけじゃありません。
中西 Perfumeはライブにも行かれているみたいですが、それはいつごろからですか。
多田 ライブに実際に行くようになったのはJPNツアー(2012年 1月〜5月)ぐらいからですからもっと最近です。Perfumeの魅力はまず大きな規模のコンサートの場合はそのコンセプトがはっきりしていること、特に震災以降のツアーは演出が効いていて演劇っぽいです。
中西 それはもう少し具体的に言うとどういうことでしょうか。
多田 JPNツアーの時には本当にまだ震災からそれほど時間がたっていなかったので、自分たちが音楽を使って人を集めることでできることというはっきりしたテーマがありました。「MY COLOR」という歌があるんですが、振りも結構特徴的で全員が手のひらを上げたところで曲が始まる。それで全国でそれをやることで「日本を何とかひとつにしたい」ということです。この前のドームツアーは「世の中大変なことばかりあるけれど、ドームの中だけは夢を見よう」。それでセットもドームのなかにドームを作ったりして、そのドームの中からPerfumeが出てきて、最終的にまたそこに帰っていく。お客さんもライブを見るためにドームに入ってきて、最終的にそこから出ていくのだけど、そういう体験とシンクロするように作ってある。
中西 Perfumeの単独ライブは僕は生で見たことはないのですが、映像などで見る限りは完全にトータルな演出がされている。最近は一種のメディアアート的なものまで含めて、映像もそうだし、美術的なものもそうだし、曲はもちろんなんだけれどダンス、衣装、美術や照明効果とかトータルコーディネイトされていて完成度が高い。演出家から見て、あれはどういう感じですか。
多田 Perfumeはチームで動いているなって感じをすごく受けます。チームで動かなきゃああはならないだろうなという。「結構うまいなと思います」といったら、えらそうなんだけれど、ちゃんと演出されている。それも静かな曲をどこに持ってくるとかそういう単純な流れではなくて、歌詞的なこととかを積み重ねてドラマを作っている。それがすごく演劇の作りに似ている。このシーンの前にはこれがあるから、このシーンは成立するみたいな組み立てがある。それは普通のコンサートにはあまりないだろうと思います。コンサートの演出も振付もMIKIKO先生がやっているのだけれど、かなり演劇的に作っていると思います。
中西 MIKIKO先生がインタビューに答えている映像を以前動画サイトで見たことがあるのだけれど、その中でPerfumeの場合は振り付けも音楽もトータルコーディネイトで、全体の調和を壊すような無理な動きはさせないというようなことを話していたのを見た記憶があります。それがPerfumeの方向性を決めているとすればここからが今回の本題に入るわけですがももクロの場合にはもちろん1つの達成形としてはPerfumeのことも意識はしているとは思いますが、あえてライブ性を重視し完成に向かわないようなまったく違う原理でライブが作られていると思います。
多田 ももクロはやはり特殊ですよね(笑)。
中西 それはどんなところをそういう風に感じますか。
多田 いわゆる「全力さ」というか。僕の演劇もそうなんですが、ダンサーと作品を作るとダンサーというのは絶対に自分が疲れているというのを見せてはいけないといわれて踊ってきている。だから、僕が疲れもちゃんと見せてくれというと、疲れを見せるイコール下手くそなダンサーに見えるので、抵抗というかやはりちょっと違和感があるようなんです。疲れをどのくらい計算してみせているのか。ももクロはどの時点でああなったのか。最初からああだったのか。それともやっているうちに誰かがこれはいけると思ったのかというにすごく興味があります。もちろん、本人たちはそういうことは意識しないでただ頑張っているんだと思うんですけど。アイドルが一生懸命やっていて応援したくなるというのはAKB48もそうですし、定番といえば定番。Perfumeでさえそういうことはあるにはありますから、ただ、ももクロはそれを身体的にライブでやるというのが特殊ですね。
中西 ももクロの後のグループはそういうのを意図的に取り入れようというところがないではないようですが、それがうまくいっているかというとやはりももクロは特別でそんなに簡単なものではないようです。たぶん、コンセプトがちがちでああなったわけでないので、やはりかなりメンバーそれぞれの固有の特性にもとづいてああなっていったわけです。極端な話、メンバーにひとりでも踊れない子がいれば成り立たないわけです。どこのグループとはいわないけれど踊れないので結局センターを差し替えたという例もあったようにも聞きますが、そういう人がひとりでもいたらあの方向性は無理だったわけです。それはでももクロがどうかという以前にどのグループもそうで、大勢いるグループは違うかもしれないですが、共通点があるとすれは3人の個性とか5人の個性がまずあって、それぞれを魅力的に見せるためにそれぞれのスタイルが生まれてきた。Perfumeはあの3人だったからああいうパフォーマンスになった、ももクロはあの5人だったからああなったということはある*1と思います。だから、振付もひとりひとり違うんだと思います。Perfumeはどうですか。
多田 違いますね。歌をとるパートとそうじゃないパートがまずあって、3人が完全にユニゾンで動く時もありますが、そんなにないし、今は特に少ないです。
中西 ユニゾンで動いてもあれぐらい個人の個性があるとその人固有の動きとかもあるので、ももクロPerfumeもどこまでが振付でどこまでが個人の動きかは腑分けできない。振付家も固定してて同じ人がやっているので、芝居で言う「あてがき」みたいなこともあるんじゃないかとも思います。
多田 Perfumeの振付はかなり正確に、難しくないように難しいことをやるみたいになっています。ニコニコ動画の踊ってみた系の動画を見るとPerfumeの踊りはできないですよね。うまい人たちもいるけどそれでも、それがPerfumeではないというのは見た目で直ぐ分かる。やっぱり、角度が絶対にそろわないとか。
中西 動きの基礎としてPerfumeの場合にはヒップホップ系ダンスのアニメーションとかと近いように思うのですが、こういう細かい動きをそれこそ微細にニュアンスを込めてやるというのは日本人の得意分野のような気もします。Perfumeのダンスにはそういう微細なダンス表現の洗練の極致のような味わいを感じます。
多田 そういう意味ではPerfumeももクロは振りの方向性が違いますよね。それぞれの世界観を作っている人たちの目指しているところがもともと違う。あとライブだとPerfumeの場合にはオタ芸がないんですね。
中西 正確に言うとももクロもオタ芸はないんですけど(笑)。もちろん、コールや振りコピはどちらも激しいものがありますから、言わんとしていることの意味は分かります。
多田 ももクロのライブはオタ芸はないんですか?
中西 それは何を「オタ芸」と呼ぶかにもよるんです。サイリウムを振るのまでオタ芸と呼ぶのであればそれはもちろんあります。しかもむしろ激しすぎるぐらいにあります(笑)。
多田 コールはありますよね。Perfumeはないんです。
中西 Perfumeはコールはないですよね。音楽性から言っても。
多田 1曲だけ、「ジェニーはご機嫌ななめ」だけあるんですが、ほとんどの場合はない。Kポップとかもコールはありますね。
中西 Kポップとかはグループダンスをやるとユニゾンがすごくそろっていたりしますよね。少女時代とか典型ですが。ただ、どこでもそうだというわけではないかもしれません。人数によるという部分も大きい。少女時代もあれだけの人数がいるとユニゾンで動かざるをえないかもしれない。
多田 それは4人組、5人組だとあそこまでがっちりやらないかもしれません。
中西 基本的にダンスとして考えた時にはバレエに例えるとバレエの場合は中心にソリストと群舞を担当するコールドバレエがいるわけです。それで1対多のような構図を作ります。だから、それを強引にアイドルに当てはめるとセンターポジションの人がソリストでそれ以外の人がコールドバレエみたいなところがありますが、ももクロPerfumeでは曲の最中にも激しく立ち位置が入れ替わるし、全員がソリストのような作り方です。もっともPerfumeでは相当厳密に振付が決まっているので、その時の感覚で即興的に動いていい分というのはほとんどないと思いますが。
多田 そうですね。即興はほぼないと思います。
中西 ももクロの場合はよくも悪くも再現性がない。
多田 はみだしてなんぼみたいなところがありますね。それを許容した振付家は確かに偉いと思います。 
中西 高城れにさんという人がいて、ほかのメンバーの2倍くらい激しく動こうとするのですが(笑)。それは普通は直されますよね。周囲と合わせなさい、そろっていないと怒られて。だけどそれをやると結局その人ならではの魅力が死んでしまう。それを許容しているから、一見下手くそみたいに見えるのだけれど、それも許容しているということはそういうルールのもとに動いているから。
多田 いわゆるそろっているようなアイドルのダンス、EXILEとか少女時代とかはあれを舞台芸術の文脈でダンスかと言われるとけっこう微妙なところがある。皆、ある振付があって踊っているけれど果たしてあれはダンスなのかということはあります。いわゆるコンテンポラリーダンス的なところから見た時にあれはダンスじゃないと思ってしまう。
中西 それもダンスと言えばダンスなんだと思いますよ。ブロードウエーのミュージカルなんかはそちら側じゃないですか。ただ、ミュージカルのダンスといってもその中には例えばフレッド・アステアみたいな人がいて、その人はそういう決められたコードに支配されずに自由に踊ったりしているということもあるわけです。ただ同じダンスといっても前者と後者には大きな違いがあるというのは私もそう思います。多田さんはダンスにせよ、そうじゃないにせよ動きのある作品を作っていて、どのように意識しているのでしょうか。
多田 ダンスと演劇はかなり明確に分けています。俳優でダンス作品のようなものを作ることもありますが、ダンサーと作るダンス作品になると彼らは身体という存在だけであって別にそこにキャラクターだったり、人だったりしなくてもいい。見ている人が彼らを人間だと思わなくてもいい。そして身体がなにかを表象してそれを見る方はそのまま受け取る。逆に演劇の場合、具体的にある人、人間のイメージを持ち続けていないといけなくて、そこが違う。
中西 変な聞き方になりますが、その基準からするとPerfumeというのはどうですか?
多田 Perfumeは基本的にアイドルなので……でも(そう言われると)人じゃないときもあるなあ。彼女たちが表象している動きはアイドルのPerfumeとして見てはいるんですが、ダンスだけをとると演劇よりもけっこうダンスっぽいですね。
中西 自分の作品にPerfumeの音楽を使うことが多いじゃないですか。その辺はどういう狙いで使っているんですか。
多田 Perfumeが好きっていうのもあるんですが、テクノ的なものと身体が持つ人間的なもののバランスがいいというのはあります。Perfumeもブレークしてすぐのころとか、ロボットになろうとしていた時期とかあるんですが、最近はそこからまた人間に戻ってきたようなところがあります。「機械と人」とか「ロボットと人」というような感覚がけっこう好きでした。実はシェイクスピアのセリフを初音ミクみたいなソフトに読ませるとけっこう面白いんですが、Perfumeにも同じような面白さがあります。
中西 ももクロは劇伴音楽としては使いづらいのでしょうか。
多田 そうですね。やっぱりちょっと強いですね。歌詞が具体的すぎるんです。歌謡曲だと漠然とした歌詞が多いので何にでもはまりやすい。恋愛のことを歌っていてもそれってどの恋愛にも当てはまるじゃないと思うことが多くて、舞台に使う時にも当てはまることが多いのですが、ももクロとかでんぱ組.incとかは歌詞が具体的なのでそこで描かれている世界そのものになってしまう。そこがけっこう強いと感じるわけです。だから、「何か日本のカルチャーを代表するアイコンとして使う」とか、そういうことであれば使えなくはないのですが。稽古場で流したことはあるんですけど実際に作品には使ったことはありません。
中西 多田さんに一番聞きたかったのは(どこまで意識的だったのかということは先ほど話したのですが)身体的な負荷をかけていったとき、ももクロであれば歌いながら踊るというのが激しさを増して行った時にコントロールできなくなってくるようなフェーズが身体的に表れてくる。そして、それは何もももクロだけでなくて最近の演劇とかダンスでそれと似たような効果を狙った舞台が目立っている気がして、多田さんも一時期そういう身体の在り方に興味を持っていろいろ実験なさっていたと感じていまして、そういう身体というのは何が魅力的なのかをお聞きしたかったのです。
多田 そうですね。僕も最初疲れていくやつをやった時は何で面白いんだろうということを考えていました。事実そういう身体というのは実際に見ていて圧倒的に面白かった。なぜか感動してしまうということがまずありました。それで、よくお客さんからもスポーツ観戦と比較されるような感想をもらいましたが、やはりスポーツとは違う。
中西 ある種のスポーツだったら似たようなものはあるとは思うのですが。今まで感動の質がももクロのそれと似ているかなと思ったのは羽生弦結の演技です。それも五輪に優勝した時のとかではなくて、まだ体力的にフリー演技におけるスタミナが持たなかったころの演技です。2011-2012シーズンの世界選手権でショートプログラムでは7位にとどまったものの、ここからフリーで挽回して3位入賞するのですが、この時に演じた「ロミオとジュリエット」が圧巻でした。最初は凄いスピードで4回転、3回転半と高難易度のジャンプを連発、好調な滑り出しを見せるのだが、途中何もないところで転倒してしまう。その後、明らかに動きが鈍ってへろへろになっている。体調が万全ではないのが観客にも分かるほどなのだが、店頭直後の3回転半3回転のコンビネーションジャンプほか、次々とジャンプを成功、最後近くのステップシークレンスではなぜだか分からないけれど、思わず涙が出てきてしまう。本人は別にわざとそういう演技をしようとしているわけではなく、必死に演技しているだけだと思いますが。
多田 最近は若手の演出家でも疲れさせるような演出を見ることは多くなっていて、それはいいときもあればだめな時もある。というのは本当にへろへろに疲れてしまうとだめなわけです。動けなくなっちゃった人を見てもあまり面白くはない。動けなくなっているんだけれど頑張り続けている人を見るのは感動するわけです。だから、そのあるひとつの方向をキープしようというか、分かりやすく言うと頑張るみたいなことがだんだん疲れてくると強調されてくる。苦しい逆の負荷がかかっているのが分かりやすく見えている分、頑張ってキープしていこうという力が見えてくる。だからよく俳優を本当に疲れさせるひどい演出家だと言われるんだけれど、僕としては本当には疲れないでくれというのを俳優に言っています。疲れているように見せるというか、疲れているのを利用して本当はすくっと立てるのだけどゆっくり立つとか。それは作品作るときにやっています。ただ、ももクロの場合は実際に本当に疲れているのは疲れているんでしょう。ただ、彼女たちも身動き取れなくなるまではいかない。最低限動けるとか、声を出せるところは自分たちで計算してコントロールできてると思うんです。本当にへばっちゃって動けないし歌も歌えないとなっちゃうとどうなんだろうなと思いますし。
中西 確かにそれはそうです。ただ彼女たちの場合、普通だったらとっくに動けないし歌も歌えないという状態になってるような状況でもなぜだかまだ頑張り続けているというのはあります。そうなるともう甲子園の延長18回みたいなもので、何かが降りてきたようなプレイが連発されるような状況でしょうか。その意味ではあまり簡単にへばっちゃうようでは到底感動できないわけで、そのためにはある程度以上のフィジカルの能力がないと限界の近くまでもいけないわけです。先ほど挙げた羽生弦結の場合は天才的な能力はあるけど、それがスタミナがないという状況によりそれが十分には発揮できないような状況に置かれている。その中で自分の能力の100%どころか120%にも見えるような能力を発揮しようとする闘いの本能のようなものがある。
中西 にわとりか卵かの関係からすればそちらの方が先ではなく、「負荷をかけるような表現がまずあった」ということになりますが、それが今のように目立つようになったのは震災の後だということがあります。順番は間違えたらまずいと思ってはいますが、震災の後の社会、もっと具体的に言えば観客なり、ファンなりが求めているものとももクロの全力パフォーマンスのような表現がたまたま一致してシンクロしたような部分があったんじゃないかと思っているんです。例えば「再生」の震災後の再演の時とか、震災の後に黒田育世さんが上演したものとかは以前とは観客の受け取り方が変わってしまったのではないかと思うんです。
多田 今はだいぶ落ちついてきているのですが、特に関東、東京の近辺のお客さんは何かを探しているという印象がありました。
中西 身体的負荷だけではないと思いますが、何か祝祭的なものを求めているような雰囲気は感じられたのですが、どうですかね。
多田 信じられるものを探しているような感じはあります。
中西 そこで大衆の求めるものが大きく変わってきているところにアイドルとか、方向性は違うけれどもボカロもそのひとつかもしれませんが、先ほど言ったような演劇とかダンスとか音楽ライブなどがひとつの受け皿としての役割を果たした部分はあるんじゃないかと思うんです。
多田 確かにライブパフォーマンスに行くことの重要性は震災以降変わってきているという気はしています。人が集まることの意味といいますか。
中西 そういうなかでより生なものが求められているのではないでしょうか。
多田 そうですね。それはあると思います。後、逆にネットで育った子どもたちがだいぶ今大人になってきて、その反動などももしかしたらあるのかもしれません。
中西 少し強引かもしれませんが初音ミクのライブなんかでもあそこでもともと2次元でパソコン内の存在だったものが、3次元にバーチャルな存在として具現化させることで、体感としてのライブが経験できる。そこに大きな違いがあるような気がします。
多田 実感を持ちたいというような欲求がけっこう強いんじゃないかと思います。
中西 なぜそうなのかが大きな謎なんですが。明らかにこの世間の反応は阪神大震災の時とは違います。今回はただ震災だけではなく、原発事故もあったこともあるとは思いますが。
多田 地震が起きたことよりそれに付随する問題、放射能にまつわる事やメディアへの不信などの方が関東では大きかった。ライブに行く人たちは増えたのは増えたんですかね。なぜだろう。
中西 音楽でいえばCDが売れなくなったのは間違いないんで、ライブが増えたということであれば演劇にとってはいいことだと思うんですが、そうかといって演劇で動員が増えたという景気のいい話はとんと聞かないわけですが(笑)。だから、メディア的なものから生に志向が向かっていると強引に言い切るにはやや根拠が不足しているわけです。
多田 そうですね。増えているのはやはりライブで、演劇、ダンスまではまだ距離がある。
中西 ただ、こと音楽に話を限ればアイドルだけでなくエアバンドなんかもそうなんだろうけれど、ライブ性の高いものやパフォーマンス力のあるものがCDセールスが伸びないなかで人気を集めている。
多田 CDが本当に売れないですからねえ。この前、新木場で『TOKYO METROPOLITAN ROCK FESTIVAL 2014』という野外フェスがあって、Perfumeも出ていたので行ってきたのですが、トリがサカナクションだったんです。普通はロックバンドとかだとステージがあってそれに向って一番高いところが温度が高くて、だんだん温度が下がっていくというような風になるのが、当たり前なんですがサカナクションの場合だけほぼ夜で暗かったのでクラブ化しているような感じで、どんなに離れているところでも盛り上がっているという。これが今の若い人の感覚なのかとも思いました。踊れるということ、クラブ化できるかというのは重要かもしれません。彼らはステージ向いてないで100メートルぐらい離れているんだけれど、自分たちだけで輪になって音は聞こえるから、盛り上がっている。でも、たまにステージの方も見たりはしている」。だいたい、野外フェス、特にフジロックとかは値段が高いから大学生はあまりいけない。「メトロック」は新木場で都内だしなおかつチケット代も1日1万円ぐらいだったから、大学生ぐらいの人がすごいいっぱい来ていた。
中西 Perfumeはどうでした。
多田 Perfumeは僕は最前列にいったのでもみくちゃになってそれどころじゃなかったんですが、ただモッシュとかもほかのバンドの時は当たり前のように起きていたのですが、Perfumeではそれはなかった。
中西 ももクロの単独ライブではモッシュとかをしたら出禁になるので、それはないのだけれどフェスに行ったら滅茶苦茶なんですよ。それで実はももクロのライブを初めて生で体験したのは2年前のSummer Sonic(サマソニ大阪)で一部では伝説を作ったといわれていたライブだったんですが、そこでとんだ目に遭いました。ライブが始まるのを待っているとどんどん後ろから押されて前の方に行ってしまい、それで実はその時は初めて妻も一緒だったのだけれど人ごみに揉まれて死にそうになってしまい、それ以来彼女はももクロのこと自体を毛嫌いするようになって……。冗談じゃなく大変だったんです。実際、あの中に入ってしまうと右に左に揺さぶられて、だから距離的にいえばおそらくあの時が一番近くにいたのだけれど、妻とここではぐれたらどこにいるか分らなくなるやばい雰囲気もあり、ライブを見るどころじゃない状態だった。知らないで巻き込まれた小さな子供が泣いていたりして、あれはむしろドミノ倒しのようになって大きな事故にならなかったのは本当に幸運だったと思いました*2
多田 そうなりますよね。フェスのいいところでもあり、悪いところでもある。頑張れば前に行けるけど、それ相応の覚悟も試される。
中西 女子供みたいなことを言うと怒られるかもしれないけれど、サマソニ大阪の場合は本来そういうところにいるべきではないような人たちがそこにいてしまいモッシュのような押し合いに巻き込まれたことでひどい状態になった。そういえば実はその時はPerfumeも同じサマソニに参加していて、雷雨で会場到着が遅れて本編は見られなかったのだけれど、雷雨が治まった後、中断して歌えなかった2曲を披露。それを遠巻きの位置からながら見ることができた。だけど、その時の観客はすごくゆるい雰囲気だったので、ももクロもそんなものだと甘くみて油断したのがいけなかったかもしれません。
中西 身体の負荷がかかって動けなくなったりした時にかなり昔に今SPACの芸術監督をしている宮城聡さんが言っていたのはその時に生命のエッジのようなものが見えてくるというようなことを言っていて、まあ特権的な身体というのがそういうようなものだというのが宮城さんの説だった。例えば舞踏家の大野一雄さん、当時100歳に近い年齢でほとんど立ち上がるだけでも一種奇跡のようにも見える。逆に生まれてまもない赤ちゃんが必死で立ち上がろうとするとそれだけで目が釘付けになってしまう。先ほど言っていた身体的負荷をかけた時に普通の日常的な身体とは違うものが立ち現れるということがある。
多田 ドラマができるというのはあるかもしれません。
中西 ドラマというのは頑張っているということですか?
多田 生きているということでしょうか。
中西 ただ単位身体的な負荷がかかっているというだけではなくて、無理からのことをさせられたり、結果的にそうなってしまうということがももクロの場合にはあって、2時間ライブの3回回しをやったこととか、「女祭り2011」というライブではっきり理由は分らないのだけれど有安杏果が非常に体調が悪くて、途中で何度も倒れそうになってグラグラっとなったのを何とかぎりぎり持ちこたえて歌い続けていたとか、ついに声も出なくなってきてそれを他のメンバーがコーラスで埋めて、カバーしたとか、くさいといえばくさいんだけれど、ある意味ファンもそういうドラマが好きなようです。
多田 やはり何か物語っぽいものが見えますね。
中西 そういう汗の臭いがするようなドラマというのはPerfumeだとデビュー当時にはなくもないのだけれど、ある時期以降舞台裏のようなものは見せないようになっていると思います。
多田 そうですね。完全に疲れた素振りひとつ見せないですからね。Perfumeの振りは実は難しいけれどそんなに疲れないんじゃないかと読んでいるんですよ。
中西 ももクロのようには疲れないと思いますが。
多田 ハイヒールとか履いているからそれなりには疲れると思いますが……まあそうです。
中西 だけど歳とったらできないか、といえばある程度のところまでは技術があればできる振りですよね。
多田 ももクロは歌わなけりゃならない割には歌いながら踊るには振りがちょっと大変すぎるというのはあります。
中西 奇しくも先ほどSPEEDとEXILEのことを話しましたが、普通は両方できないから分けるんですね。マイケル・ジャクソンでさえ、踊っているところでは歌わないし、歌っているところでは踊らない。
多田 確かにそうです。マイケルでさえ。
中西 逆に僕なんかはアイドルにはうといから、SPEEDを昔見た時には気づかなかったんです。歌う人と踊る人がいるんだということに。もちろん、バックコーラス的な人とソロを取る人がいることには気づいてはいましたが。だけどももクロを見ているうちに両方やるのはすごく難しいんだということが分かってきて、それで逆にSPEEDはなぜできていたんだろうと動画サイトで再確認してみたら、やっていなかったということが分かった。
多田 歌って踊れるのが普通のアイドルなんだけど、ももクロは歌いながら踊れる、という珍しいアイドル。歌いながら踊るというのができているかどうかは別として歌いながら踊ろうとしているアイドル。Perfumeはもう基本口パクですからねえ。最近、歌う曲をかなり増やしてきていますけど。歌わない曲は全然歌わないし、ももクロはもう口パクでやったらなんの価値もないですからねえ。 
     

*1:そういう考え方からすればあの時点での早見あかりの脱退はタイミングとして絶妙の時期だったのかもしれない

*2:もっとも、ももクロのために弁護しておくとそんな風になったのは本当にその時だけで、オールスタンディングのももクノも含めてもそんな状態になったことは2度となかった