快快「SHIBAHAMA」in OSAKA
2010年初めの柴幸男「わが星」の岸田國士戯曲賞受賞以来、「ポストゼロ年代劇団」の台頭が目覚ましい。なかでも国内外での活発な活動ぶりで柴のままごと、中屋敷法仁率いる柿喰う客などと並んで、主導的な役割を果たしているのが「快快(faifai)」である。「演劇における遊び・ケレン的な要素の重視」などポストゼロ年代演劇に共通する特徴を持ちながらも快快のあり方はきわめてユニークだ。ひとつの特徴は活動内容が演劇のみならず、ダンス、映像、パーティ、イベント等の企画・制作などと多岐に渡っていることだ。つまり、単に演劇を上演する集団、すなわち劇団ではなく、雑多と思われるそのほかの活動も彼らにとっては単なる余技ではなくて演劇制作と同等の価値を持っているのだ。
結成されたのが2004年12月ということは同世代の劇団のなかでは古株の方なのだが、その当時の集団名は「小指値」。多摩美術大映像演劇学科に在籍中のメンバーにより学生の集団として結成された。その後、2008年3月末までその活動を継続した後、集団名を快快と改名し現在に至っている。もうひとつの特徴は特定の作・演出者が率いるのではなく、特定のリーダーをおかず、プロジェクトごとに中心の人を決めたうえで集団創作の形をとっていることだ。
演劇作品について最近では北川陽子作、篠田千明演出とクレジットしていることも多いが、これはあくまで便宜上のものであり、実態は少し違っているようだ。そのほかのメンバーも自分の演じる部分の脚本を自分で担当することも多く、天野史朗(デザイナー/俳優)、山崎皓司(俳優)、佐々木文美(舞台美術家)、大道寺梨乃(俳優)、中林舞(俳優)、野上絹代(俳優/振付家)、藤谷香子(スタイリスト/衣装制作)、山本ゆい(制作)などと主たる役割をクレジットされているが、例えば映像で言えば天野が中心ではあるが、舞台美術担当の佐々木をはじめほかのメンバーも一部手掛けるなど集団創作の色彩が強い。映像、美術、音楽などさまざまな分野のアーティストが集団内部にいてそれが集団創作の形式をとること、美術大学の出身であることの共通点から快快は80〜90年代に活躍したパフォーマンスグループ「ダムタイプ(dumbtype)」との比較がしたくなる。
フリースペース「コーポ北加賀屋」(大阪市住之江区北加賀屋)で見た快快の「SHIBAHAMA」は「ポストゼロ年代」における彼らの位置取りとダムタイプのようなアート系の先行集団との差異についてさまざまなことを考えさせるものだった。「SHIBAHAMA」はそれまでの快快の作品がそうであったように客席とアクティングエリアがはっきりと分かれたいわゆる「演劇作品」ではない。客席を四方囲みにしたうえで、周囲の壁にVJのように映像を映したり、観客参加の可能な趣向を多用するなど、この集団がいまだまで手掛けてきたダンス、パーティ、イベントなどの要素も作品の中に取り入れることで、快快ならではを感じさせ、この集団が試行錯誤のすえ、ついにつかんだ新形式のパフォーマンスとなったといえるかもしれない。昨年6月に東京芸術劇場で初演された作品*1の再演ではあるが、今回は大阪での上演を前提に演出の篠田千明ら主要メンバーがほぼ全編を大阪での滞在制作の形で作り直すなど大幅に改定された内容となった。
表題の「SHIBAHAMA」とは夫婦の愛情を暖かく描き古典落語の中でも屈指の人情噺として知られる「芝浜」のことである。あらすじを快快のサイトから簡単に紹介すると次のようになる。
あらすじ
酒ばかり飲んで寝てばかり、ちっとも働かない魚屋の男くまちゃん。ある日、海で大金の入った財布をひろう。喜んで家に帰り、早速どんちゃん騒ぎをしたあげく寝てしまう。しかし次の日に女房のナミちゃんにそ れは夢だといわれる。昨日の借金だけが残ってしまい、一度は心中をしようとするが、女房に諭され、心機一転、酒を絶って真面目に働きだす。3年働いた大晦日、女房が実はあのときの財布がここにあると取り出してくる。3年前、あまりの大金に怖くなった女房は警察に届けたが、持ち主不明で払い下げになったのだという。男は最初は怒りを抱いたものの、最後には女房の行動に感謝し、2人で久しぶりに酒でも飲もうとなる、が、杯に口を付ける寸前、男は言う。「よそう、また夢になるといけねえ。」
もっとも、快快の「SHIBAHAMA」は落語の「芝浜」をそのまま芝居としてなぞっていくことはしない。公演はあたかもクラブイベントのようにいくつかのコーナーによって構成されている。酒のみで仕事をしない熊(くまちゃん)、起こす女房のナミちゃん、サゲとなる「やめとこ、夢になっちゃいけない」を骨格のモチーフにそれぞれのコーナーではそうしたセリフをサンプリング、リミックスした音楽の演奏するDJタイム。プロボクサーのライセンスを最近取得した、快快メンバー、山崎浩司とゲスト出演者によるガチンコバトル。会場の観客全員が参加して100円ジャンケンで書き抜き戦を行い、勝者がすべて持ち帰れるうえに快快キャバクラでの接待も受けられるコーナー、果ては裸体の女性パフォーマーの体に載せた寿司が食べられる宴会芸「女体盛り」など通常の演劇上演というよりも、祝祭的なイベントあるいはお祭りじみた趣向として展開される。
こうした趣向は初演以来のものなのだが、大阪版にはいくつかの大きな相違もあった。実はこの「SHIBAHAMA」inOSAKAを改定版などと書いたが、正確に言うと少し違う。この「SHIBAHAMA」はこの芝居のモチーフである「夢」「一攫千金」「働かないだめ人間」……などについてメンバーそれぞれが実際に体験したこと(彼らはフィールドワークと呼んでいる)を基にそれらの体験を作品のなかに落とし込んでいくことで構築されるのだが、それは初演時に体験したことをそのままなぞるのではなく、大阪公演もにらんで彼らが「いま・ここで」体験したことを作品化している。
体験の内容はといえば山崎が「夢」を追体験するために大阪・なんばの合法ドラッグの店で薬を体験したり、天野がSMクラブに行ったり、篠田が住之江競艇で「一攫千金」を狙ったり、大阪独特の風俗店である「おっぱいパブ」に出かけたりとなんともバカバカしいものなのだが、こうした実体験を作品のなかに入れこむためにそれぞれのメンバーが「役柄」としてではなく、本人自身として舞台に登場する。この作品はこの後、ドイツやハンガリーでも上演される予定だが、そのたびごとに、「芝浜」という大枠は維持しながらも現地での体験を取り込みご当地作品として再制作される。一種のコミュニティーアートとしての性格を持っているのだ。コンセプトとしてこれに近いものは「演劇」の範囲内では稀で、むしろ現代美術の中ハシ克シゲや小沢剛の作品に近しい趣向の作品があるのではないかと思う。
ただ、偶然ながら、しかしある意味で必然的に今回の「SHIBAHAMA」in OSAKAはそれだけではない内容が盛り込まれた特別な作品となった。それは作品の創作の一環としてメンバーのそれぞれがフィールドワークを開始したまさにその最中に彼らにとっても未曾有の体験である「東日本大震災」が発生したからだ。それゆえ、この舞台自体はもともと震災を前提として構想されたものではなかったのにも関わらずそれぞれの個人的な震災体験を作品中に取り込んでしまった。
震災についての話題は「恋の大震災」などと観客の乗った台座を揺らして「今の震度は?」と聞いたり、天野が実際に震災の被災地に行った体験を「震災すげーって思った」などと軽薄な口調で語ったり、篠田が「地震の後の東京の雰囲気がいたたまれなくて大阪に逃げてきたようなものだ」などとあえて、いささか不謹慎な筆致で語っていく。「このネタはあまりに不謹慎だから大阪ではぎりぎりセーフでも東京ではアウトだろうな」と思われるようなことをあえてやってみたりする。だが、一見ふざけたようなタッチで震災を取り上げていくのは、実は実際に地震や津波が起きたのは東北で彼らが直接被災、したわけではないのだが、今回の震災が快快のパフォーマーの個人個人に他人事ではない深刻な影を落としているのだということが舞台を最後まで見ると分かってくるのだ。
実はメンバーのひとりである天野が福島に行ったのはなにもふざけて語ったように物見遊山で震災見物に行ったわけではなく、そこに彼女がいて、震災後しばらく連絡がとれなくなったからだということ。あるいはイタリア人の恋人が合流はずだった大阪に来られなかったという大道寺梨乃の嘆きも、彼が来ないのは根拠もなく放射能を怖がる能天気な外国人だからというわけではなく、彼の母親がチェルノブイリの事故をかなり近い場所で体験しており、その母親が反対するからそれを振り切って来てくれというようなことは言えないというようなこと。
江戸時代の能天気なグータラ男を主人公にした落語を原作にした「SHIBAHAMA」は現代のグータラ男女たちの自画像を自らの姿を重ね合わせるように描いていくが、逆に今回起きた震災は未曽有の出来事として、そんな普通の人間さえも巻き込んでしまうということ、そのことが震災を主題としないこの「SHIBAHAMA」が意図せずして「震災劇」となってしまったことでの「リアル」があった。
そして、そのリアルにエイズによるメンバーの死という「出来事」がそのまま作品に封じ込まれたようなダムタイプ「S/N」とどこかで響きあうものを感じたのである。