WHAT’S NEWと日記風雑記帳5月―2
WHAT'S NEWと日記風雑記帳5月−2
5月31日 文庫本になった「創元推理21」を購入。ぽつりぽつりと読み始めている。それというのも知人から面白そうな犯人あてが載っているよと教えられたためである。「廃虚の死体」というのがそれで、地震の後の瓦礫の下から見つかった複数の死体の中から「犯人」「被害者」「探偵」を同時に当てさせようというなかなかに凝った作品である。一読したが、まだそれほど真剣に考えたわけじゃないので、もう少し考えて私なりの考えがまとまったら、この日記のページにでも書くことにしたい。
国立リヨンオペラ座「カルメン/ソロ・フォー・トゥ」の感想を加筆。
今週末は土曜日(6月2日)には静岡芸術劇場でのSPAC振付コンクール(2時〜)に京都のMonochrome Circus(坂本公成)が出演するのでそれを見に行く予定。このコンクールには坂本のほかに浅野つかさ(パーフェクトモダン)、山田珠美(ラブハウス)、佐成哲夫(佐成哲夫ダンス)の3組が出演する。ラブハウスっていうのは確か珍しいキノコ舞踊団のメンバーである妹、山田郷美との姉妹ユニットだったような記憶があるのだけれど違っていたかなあ。
この日は現代舞台芸術ユニット'Ort'「ハムレット〜オフィーリア・プログラム〜」(倉迫康史演出、楕円堂)と兵庫県立ピッコロ劇場「マッチ売りの少女」(高橋健二演出、野外劇場「有度」)も見てくる予定。「マッチ売り〜」の開演が20時なんで夜遅くなってしまい静岡タウンホテル魚与(054-251 -3755)に宿泊する予定なのだけれど、浜松@浜田さん、夜あいてないですか(笑い)。と、ここで呼びかけても無駄か。実はその次の週に引き続き行くつもりだった「秘密の花園」「偽眼人」がすでにチケット代を払っているのに仕事の都合で行けなくなり、この日会えれば無料で差し上げられるのですが。もし、それ以外の人でも見たいという人がいればせっかくのチケットを無駄にするのは惜しいので、私までメールを。
今週末は日曜日には大阪にトンボ帰りしてOMSプロデュース、来週初めにはCJ8(月曜日)、北村成美「北村成美のダンス天国」(火曜日)、ローザス「ドラミング」(水曜日)とダンス公演3連チャンである。
5月30日 ダンス公演「Edge2」を下北沢通信ダンスレビューに追加。
観劇オフ会をひさしぶりに募集してはみたのだが、はやくも時期的に早すぎたかと後悔している。1日ちょっとでこういうことを思うのは早計かもしれないが、全然反応がなさそうな感じだからである。関西に引っ越してからこのページも停滞ぎみなのでなんとか突破口を開こうという思いもあったのだが、このページを見てくれている人で関西の人が少なければ一人相撲になってしまうのは仕方ないからなあ。
麻耶雄高「鴉」を読了。だいぶ前にハードカバーの単行本を買っていたのが、引っ越しのための片付けのどさくさに紛れて出てきて、読もうと思って取っておいたのだが、それが引っ越しで段ボール箱の中に入って、どこにいったのか分からなくなった。京大ミステリ研のOB会があった時にこの作品と小野不由美の「黒祠の島」の設定が似ていると後輩の某氏から指摘を受け、再び読んでみようと探すが出てこず書店で、ノベルズを見つけ購入するとその少し後に文庫になっているのを発見したのであった(笑い)。
さて、内容に対する評価であるが、このトリックはなかなか考え抜かれたものではあるがちょっと分かりにくいというのが欠点といえるかもしれない。その分かりにくさには構成上の問題もあるにはあるが、本質的には登場人物の心理描写や回想を含んだ3人称描写において本格ミステリというルールの中であれが許されるかどうかということに分岐点はあって、私はちょっとアンフェアではないかと思ってしまうわけである。ああ、この手のミステリは仕掛け自体のネタバレをしないとやはりどうにも隔靴掻痒のところがあって、感想も書きようがない。
5月29日
下北沢通信観劇オフ会募集
6月15日の上海太郎ひとり舞台「BAD TRIP バッドトリップ(ABSURD改メ)」(大阪市立芸術創造館、8時〜)と16日のいるかHotel「ウィルキンソンのジンジャエール」(扇町ミュージアムスクエア、7時半〜)で関西で初の観劇オフ会を募集することにした。いずれも観劇とその後、劇団からのゲストを迎えての懇親会(宴会)を予定しています。
関西に来てはや3カ月ほどが立ちましたが、週末けっこう東京に行ってしまっていることもあって、なかなか関西でのネット関係の知りあいも増えないので、参加者がいるかどうかは分からないものの、とりあえず東京公演でもかつて観劇オフ会を企画したことのある2劇団の公演を機会に観劇オフ会を開催してみることにしました。
チケットは自力確保の他、劇団に了解を取っての幹事確保(このページでのネット予約)も可能に。参加希望者は皆さんお話しましょう(伝言板BBS)への書き込みか私あてのメールで参加表明お願いします。すでに他の回で観劇済みの方の観劇オフ会の後の宴会のみの参加も歓迎です。
ここでは明らかにできないものの、宴会には特別ゲストとしてそれぞれの劇団の関係者(ひょっとすると主宰者)も顔を見せてくれるかも。あまり数が少ないと困るので一応、どちらも参加者が5人以上でた時点で成立するということにします。参加表明はぎりぎりまで待つつもりではあるが参加者の見込みがたたないと会場の予約など苦しいので参加希望者でできるだけ早く名乗りを挙げてほしい。
上海太郎ひとり舞台は上海太郎舞踏公司を主宰する上海太郎によるひとり芝居。97年に「ABSURD」という題名で上演されたものを練り直して再演するもので、人間がどこかに秘めている、狂気的な面を浮き彫りにした作品。妄想の世界に入り込んでしまった登場人物を台詞を使うことなく演じ分けていく上海太郎の醸し出す狂気が売り物のひとり芝居である。
一方、いるかHotelは遊気舎の俳優でもある演出家、谷省吾が率いる新進気鋭の劇団で、若手の女優たちは美人ぞろいと巷で評判。懐かしくもせつない物語を丁寧な演出で紡いでいくのが谷ワールドの特徴だが、今回はどんな世界が展開されるか。
いずれも詳しい内容については今後も取材して、レポートしていくつもりだが、いずれも6月のお薦め芝居でも★★★★でイチ押しの予定の注目の舞台。まだ、見たことのない人にはこの機会にぜひ一度見てもらいたいのである。
とりあえず、上海太郎ひとり舞台については以前に掲載した公演概要を再掲載しておくことにする。
大阪市立芸術創造館提携公演
上海太郎ひとり舞台
「BAD TRIP バッド トリップ(ABSURD改メ)」
構成・振付・演出・出演/上海太郎
振付/室町瞳
日時/6月15日(金) 20:00
16日(土) 16:00/19:00
17日(日) 14:00/17:00
*開場は開演の30分前
*入場整理券の配付は開演の1時間前に開始
会場/大阪市立芸術創造館
大阪市旭区中宮1-11-14
06-6955-1066
京阪「森小路」下車徒歩10分
地下鉄谷町線「千林大宮」下車徒歩10分
市営バス 幹33・78系統 大阪駅発新森公園行
「旭区役所区民センター前」下車すぐ
料金/前売 2800円
当日 3300円
全席自由席
前売開始/4月28日(土)
前売取扱/チケットぴあ 06-6363-9999
(Pコード:P000-000)
ローソンチケット 06-6387-1772
(Lコード:L58547)
旭区役所 企画総務課広聴企画係
06-6957-9683
ご予約・お問合せ/芸術創造館 06-6955-1066
劇団お問合せ/上海太郎舞踏公司 06-6477-0291
「ぶたぶた」「ぶたぶたの休日」(矢崎存美著)を読了。
5月28日 「ブギーポップは笑わない」「ブギーポップ・リターンズ VSイマジネター Part1」「ブギーポップ・リターンズ VSイマジネター Part2」「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー『パンドラ』」「ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王」「夜明けのブギーポップ」(いずれも電撃文庫、上遠野浩平著)を読了。
「ブギーポップは笑わない」が映画になった時にちょっと気になっていて、先週書店で見つけてから読みはじめたら、けっこう面白いのに加え、すらすらと読めてしまう(笑い)ので、ついついはまってしまい気がついたら一気に6冊を読んでしまった。
昔流にいえば平井和正や眉村卓らが得意としていた超能力テーマのジュビナルSFといっていいジャンルに入るのだと思うが、SFだとして考えるとそれほどざん新なアイデアが盛り込まれているというわけではない。むしろこのシリーズの面白さは巻を重ねるごとに増えていくシリーズキャラクターの魅力にある。さらにひとつの話が何人もの話者によって語られることで重層的な構造を取っているのも魅力で、これは最初の「ブギーポップは笑わない」からしてそうなのだが、次の物語というのが時系列的に次の話というわけではなく、脇筋的に展開していくなかで全体に登場するキャラが新キャラ、旧キャラ入り乱れて増えていくという構成はジャンルは全く異なるものの京極夏彦を思わせるところがあるのだ。
第6作の「夜明けのブキーポップ」にいたって第1作から登場している統和機構や霧間凪についてのそもそもの話が語られるのだが、ついつい次を読みたくなるのは一話完結の形態を取りながらもこのシリーズ全体が長いひとつの物語として構想されているからだろう。
5月27日 ロヲ=タァル=ヴォガ「葉洩れ陽のジギタリス」(7時半〜、京都・吉田神社野外特設舞台)を観劇。
ロヲ=タァル=ヴォガは元・維新派の草壁カゲロヲ、近藤和見らによって設立された劇団である。この芝居は野外劇だが、よくあるテント芝居のように境内に舞台を設営して上演されるというだけではなく、境内の参道部分(石段)をそのまま借景として舞台に取り入れ、その左右に大規模な舞台装置を配してそこでそのまま芝居が上演されるというコンセプトに特徴がある。京都で野外劇といえば京大西部講堂前の広場などが有名だが、ある意味、神域といっていい神社の空間をそのまま舞台に取り入れた大胆さにまず驚かされた。
この日はあいにくの激しい夕立模様の天候。開演直前の6時過ぎにもっとも激しく降った時にはあわや公演中止かとまで思ってしまったが、短い時間で小降りに変わり、客入れにややとまどったためか開演は30分ほど押したものの、なんとか無事に舞台は始まった。雨が降ったせいか会場は冷え込み、役者の吐く息が白く見えるほどで、この湿気が神社内にうっそうと茂る木々の緑とも相まって野外劇ならでは興趣を醸し出してくれた。
芝居自体もなかなか面白いものだった。大宰治の「葉桜と魔笛」を原作に死病にとりつかれた若い女性、和歌子(片桐慎和子)と学生、谷川龍太郎(小崎泰嗣)との書簡でのやりとりが会話劇とモノローグ風の台詞で語られ、その間に夢幻劇風に草壁カゲロヲの演じるタナトスと4人の従者によるシーン、ヤクザである学生の実家、谷川一家の場面が挿入される。和歌子を演じた片桐慎和子という女優がいい。うまくはないと、というよりどちらかというと演技自体は下手なのだが、この薄幸のヒロインを演じての存在感には素材として非凡なものを感じさせられた。小崎もやや線が細い難はあるもののなかなかの2枚目ぶりで、最後の方の手紙(長台詞)などなかなかに凛として筋のよさを感じさせた。
舞台下手は和歌子が暮らしている離れ、舞台上手は谷川一家の自宅、龍太郎が訪れる娼館の内部、墓地と回り舞台となって次々と転換する美術はさすがに維新派の系譜を継ぐ劇団と思わせるものがある素晴らしさであった。
ただ、戯曲の構成については若干の疑問も残る。大宰の原作にはない龍太郎の実家のヤクザの抗争を巡るエピソードがこの芝居では芝居の中でかなりの部分を占めているのだが、これが本来の主題である「葉桜と魔笛」のモチーフとうまく噛みあってないきらいがあって、せっかくのクライマックスシーンが焦点がぼやけてしまった感じがしたからである。
さらにタナトス(草壁カゲロヲ)を中心とする維新派を彷彿とさせる集団演技や語りによるシーンと和歌子中心の会話劇風のシーンとの関係性にも整理されてない感じがあって、これが両者の演劇としてのスタイルの違いとも相まって、全体としての統一感のなさを感じさせる。どうもまだ劇団としてやりたいことの方向性が定まっていないままでいろいろな要素が単に並列されているとの印象が否めないのだ。
同じようなことは途中で突然なんの脈絡もなく登場するオブジェ風の美術とか、冒頭の映像などにも感じられる。全体の流れが悪いために芝居のスピード感が感じられず散漫でまどろっこしいところもある。
個々のシーンを取りだしてみるとなかなかに面白いところがあり、それなりのセンスのよさも感じられるのにそれがどうも芝居全体の中でうまく生かされてないところがいかにも惜しいのだ。
もっとも、ここは維新派とも違い野外劇といっても他のアングラ系の劇団とは違う個性が感じられることも確か。ロケーションを生かす芝居のコンセプトには見るべき点が多く、単純に旗揚げ2、3回目の劇団と考えれば今の時点で多くを要求しすぎるのは酷なことといえるかもしれない。次回公演は一転して扇町ミュージアムスクエアでの公演「数独I〜詩編代数・動態位相〜」(2002年1月19、20日)で、こちらがどんなものになるのかはちょっと今回の芝居からは予想しがたいところがあり、若干の危ぐは抱きながらも注目していきたいところではある。
5月26日 国立リヨンオペラ座「カルメン/ソロ・フォー・トゥ」(2時〜、赤坂アクトシアター)、青年団「上野動物園再々々襲撃」(7時〜、シアタートラム)を観劇。
国立リヨンオペラバレエ団「カルメン/ソロ・フォー・トゥ」を赤坂アクトシアターで見る。公演の概要を簡単にまとめると
『ソロ・フォー・トゥ』振付:マッツ・エック 音楽:アルボ・ペルト
出演/マルケタ・プラズゴヴァ、もう1人(男性)は不明
『カルメン』振付:マッツ・エック 音楽:ジョルジュ・ビゼー出演:カルメン/マイテ・セブリアン=アバッド、ドン・ホセ/ピエール・アドヴォカトフ、M/マルケタ・プラズゴヴァ、エスカミーリョ/ティエリー・ヴェズィエス、ジプシー/ダヴィー・ブラン、隊長/ジェレミー・ペルー
国立リヨンオペラ座バレエ団はこれがパンフレットによればこれが4回目の来日と思われる。88年の初来日はマギー・マラン「サンドリオン」、93年には今回も上演されるプレルジョカージュ版「ロミオとジュリエット」、99年にはキリアンとデュアトの小品を中心にしたプログラムとバレエ団とはいうもののコンテンポラリー系のプログラムを得意としているカンパニーのようである。
「サンドリオン」と「ロミオとジュリエット」は大阪公演もあって、私もどうやらシアタードラマシティーで上演された「ロミオとジュリエット」は生で見た記憶があるのだが、今回は関西での公演がないのが非常に残念。特に今回初めて日本で上演されるマッツ・エック作品は注目していた。以前も「眠りの森の美女」がテレビ放映された時に触れたことがあるのだが、ガラ公演などでのちょっとした小品以上のちゃんとした作品を生で見るの初めて。エックの振付はそのムーブメントの独自性において、フォーサイスと双璧ではないかと思っているほど評価しているのだが、クルベリバレエの来日がここ何年かはないということもあって、私に取っては幻のコリオグラファーだったからである。
しかし、作品に具体的に触れる前に会場に着いてびっくり。会場の中ほど客席の前と後ろを分ける通路があるのだけれど、その通路から後ろはガラガラだったからだ。確かに東京ではバレエ公演がめじろ押しだし、日本ではマッツ・エックの知名度もそれほどないのかもしれないが、いくら大抵のバレエファンはスターダンサーを見に来るのだといってもこれはちょっとひどすぎるのじゃないか。主催がテレビ局であるいうこともあって手持ちのホールでの公演となったのかもしれないが、会場も広すぎて雰囲気は最悪。舞台自体はよかっただけに運営をもう少しなんとかできなかったのかと公演が始まる前にやり場のない怒りが込み上げてきたのだった。しかし、東京がこのありさまでは関西公演が今回はないのも残念ながら致し方ないのかもしれない。
「ソロ・フォー・トゥ」は表題通りに2人のダンサーのよるソロとデュオを構成した小品。途中で2人のダンサーが全裸になって向かいあい衣装を交換するという演出があるのが面白いところ。その際に舞台後方の壁状の装置がガタガタと音を立てて揺れ、これは性行為を暗示しているのだと思われるが、その直接的な隠喩(というのも変な表現だが)によくも悪くもマッツ・エックらしさを感じて、思わず笑ってしまった。
「カルメン」はバレエでは熊川哲也も上演したローラン・プティ版が有名だが、このマッツ・エック版もビゼーのオペラ音楽を使用している。ホセ/カルメン/エスカミーリヨといったおなじみの人物のほかにホセの妻であったミカレラ(Micaella)/死(Mont)/愛人(Matrsse)/母親(Mere)を同時に表すというMという女が登場し、これを「ソロ・フォー・トゥ」にも出演したマルケタ・プラズゴヴァというダンサーが演じている。これがどうやら演出上の新機軸のようなのだが、他の作品でもそうなのだが、「ジゼル」にせよ「白鳥の湖」にせよ作品に対する解釈そのものはちょっと深みにかけるところがあって、それほど面白いとは思わない。「カルメン」も会場に貼られていた新聞記事などを読むとMのことが取り上げられて新解釈などとされているのだが、同じ名前で登場していたベジャール「眠りの森の美女」のMなども思いだされてしまうし(どちらが先かは不明だが)、どちらにしてもこういう象徴的に人物を出すというやり口はそれほど新しいとはいえないことは確かであろう。
もっともプラズゴヴァには存在感があるので彼女が出演していることでこの舞台が締まって見えるのは確かなのだが。それではどこが面白いのかというとエックの本領はそのちょっと壊れたような動きとそれとマッチしたキッチュで安っぽいイメージを意図的に醸し出しているところにあると思う。
キャストも奇を衒っているように思われるのはホセにアジア系の風貌のピエール・アドヴォカトフ(名前からして旧ソ連の中央アジアあたりの出身?)を、エスカミーリョに黒人ダンサーのティエリー・ヴェズィエスを起用していること。特にヴェズィエスは身長はそれほど高くないものの切れのあるジャンプが印象的なダンサーで魅力的であった。キッチュということでいえば多分、心を奪われたというのと性行為を同時に比喩的に表現したのだと思うのだが、カルメンと出会うホセの胸のあたりから、赤いヒモ状の布がずるずると取りだされたり、いくつかどこかずれていておかしな表現があって思わず苦笑してしまうのだが、こうしたおかしなシーンがどこまで意図的にそういう効果を狙ったものなのか、それとも狙いがはずれて思わずそうなってしまったのか分からないバカバカしさが面白かった。
パンフの経歴を読むとドイツ表現主義に影響を受けたとあるが、バレエともドイツのいわゆるノイエタンツ系のダンスの動きとも異なるガニマタの足の形に代表されるようなエック固有のムーブメントがどこから来ているのかはちょっとよく分からないところがある。今年の夏にびわ湖ホールで再演されるイデビアン・クルーの「コッペリア」を見た時にどちらもバレエの古典を新解釈で解体して、バレエの動きを多少とも残しながら脱構築していったやり方に映像で見たマッツ・エックの「白鳥の湖」や「ジゼル」を連想したのだが、井手茂太のキャリアからして直接の影響関係はないとは思うのだが、この2人の作品にはどこか近親性を感じた。
不満を言えば今回のリヨンオペラ座の公演ではクルベリバレエのダンサーや最初にエックの作品を映像で見たシルヴィ・ギエムに感じたような強靱なる身体というものがいまひとつ感じられなかった。その意味ではクルベリバレエの来日公演をぜひ実現してほしいと思ったのだが、最初に戻るがガラガラの会場を見て前途多難なと絶望的な気持ちにもなってしまったのだ。
5月25日 ヴィンセント・セクワティー・マントソー「BARENA/新作」(7 時〜、京都精華大学)を観劇。京都精華大学の中庭にある野外劇場風のテラスでの公演。無料公演だったこともあり、学生以外の観客も多く、客席状になっている階段部分はほぼ満員の観客で埋まり、舞台自体の質の高さともあいまって、海外の演劇祭を彷彿とさせるようないい雰囲気の公演であった。叡電鞍馬線で京都・出町柳から20分程度。京都精華大学は京都市北部の山中にあり、市内からもイメージ的には行きやすいところとはいえないものの、着いてみれば駅前がすぐ大学キャンパスという感じで意外と足の便もよく、野外公演という面では周辺住民との調整など問題も抱えているようだが、もっといろんな企画に利用されてもいいところとの感を強くした。
5月24日 立身出世劇場「市会議員 今井陽平」(7時〜、扇町ミュージアムスクエア)を観劇。
山崎広太rosy.CO「Cholon」の感想を追加。
5月23日 明け方まで具合のよくないパソコンと格闘。ページの更新や伝言板のレスつけをしていたせいで、起きたら午後であった。それでこの日は出社前に書店に立ち寄り、ミステリ関係を中心に何冊か本を購入する。
5月22日 仕事の後、上本町のショットバー、フェネガンズウェイクに行く。この日のように仕事(〜11時)の後行くことが多いので大抵は深夜なのだが、上本町にあるこの店に平均週1ぐらいのペースで通っている。この店けっこうネット関係の常連も多いようなのだが、こういう時間帯では全然会うことがない(笑い)。なぜかやはり常連である某劇団の主宰者の方とはやたら遭遇することが多いのだけれど。
5月21日 トリイホールのダンスボックスセレクション(6時〜、8時〜)でCRUSTACEA「2P(要冷蔵)」を見る。
ダンスボックスセレクションはトリイホールのダンス企画DANCE BOXに参加したアーティストの中から新しい身体表現の可能性を持ったコリオグラファーを選び、新作を発表してもらうための特別プログラムで、この日の公演では若本佳子「ARIA 〜親愛なる女郎花へ」、今貂子+綺羅座「果ての国 明けの国」、CRUSTACEA「2P(要冷蔵)」の3本がこの順番で上演された。
なかでも注目していたのはCRUSTACEAによる新作「2P(要冷蔵)」である。この作品の作・振付・演出を手掛ける濱谷由美子とダンサー、椙本雅子によるデュオ作品だが、これまでのCRUSTACEAの作品がコンセプトを中心に奇を衒った選曲や笑いの要素の挿入など売り物にしてきたのに対し、そうした要素を極力排除して、ダンスに徹した作品に仕上げた。彼女らに取っては冒険的な作品ともいえるが、それでも凡庸な作品になってしまうことはなく、ムーブメントのカッコよさや音楽と同期したドライブ感などエンターテインメントの要素は強く、決して退屈するということはない。笑いなどを期待していった観客はちょっと面食らったであろうが、こういう形でもしっかりとダンス作品として成立するということを証明したという点でCRUSTACEAとしてもエポックメイキングな作品だったと思う。
動きという面ではこれまでの作品にも要素としては入っていたフロアへの激しく倒れこんでの横回転や宙返りをしてのリフトなどだが、これまではこうした動きがいわゆるユーロクラッシュ的などこかで見たような動きの組みあわせに見えることも多々あったのだが、けんけんみたいなステップから弓なりに背中から倒れていくような振付とか、一番最後の方で見せたスローモーションのままリフトで後転を連続していく動きとか、今回はディティールにおいて目を引くムーブが多く、これまで以上にムーブメントそのものに対して自覚的に独自性を探っていった取り組みが感じられた。
さらにただ激しく動くという運動性に特化することなく、2人の関係性において悩む女性の内面を感じさせる演技の面でもこれまでにない深みを感じさせられた。この作品だけでなく、これまでの作品でもCRUSTACEAが「女性」ということに拘って作品作りをしてきたことには変わりはないのだが、これまでは「女性であること」を記号としてカッコに入れるような形で宙づりにするようなどちらかというとコンセプチャルなアプローチで、その「女性性」がフェティッシュな表現として具現化されてきたきらいがあったのだが、この作品ではムーブメントにおいてフェティッシュというよりはフェミニンということを感じさせる表現になっている。もっとも、CRUSTACEAの場合はそうした側面が生の形で出てきているわけではなく、あくまでアスレチックな運動性のなかから垣間見えるためにこの作品のようにかなり情緒性の強い作品においてもある種のモダンダンスのようなウェットな感じはなく、乾いた感覚が保持されているのはここのよさといえるだろう。
昨年の「スナッキー」からこの作品へと方向性は異なっても作品としては面白くなってきているだけにこの作品がここだけの単発で終わってしまうのは非常に惜しまれる。できるだけ早い機会に再演してほしいし、公演を自力で打つにはいまのままでは制作力などに難があって難しいという現状は分かるものの、もうそろそろ関西でいえば扇町ミュージアムスクエアぐらいの小屋で単独公演を企画してもらいたい。
東京と比べれば関西の状況が苦しいのは分かるのだが、作品の内容自体はイデビアン・クルーや珍しいキノコ舞踊団、レニ・バッソといった東京の若手ダンスカンパニーと比較しても遜色ないだけに若手でやり手の制作者が出てきてこのカンパニーを引き受けてくれないだろうか。
一方、この日に上演された他の2本の作品はちょっと見ていて困ってしまった。今貂子の作品は以前にアルティブヨウフェスで見たことがあってその時は勘弁してほしいと思ったほど悪趣味でついていけなかったのだけれど、この日の作品はそれと比べれば小鬼のような若いダンサーらの群舞などがちょっと維新派や少年王者館などを思わせるところがあり面白かった。しかし、問題はそれが表情をゆがめたりするようなグロテスクな舞踏の表現が入ってきてしまうと私なんかにはちょっと待ってくれと思ってしまうところで、おそらく本人の踊っている部分から考えても、私に取って待ってほしいというところがむしろこの人の本来の方向性なんだろうなあというのがなんとなく感じられるのが、困ってしまうのだ。
若本佳子の作品はいわゆるモダンダンスという言葉で連想されるある種のステレオタイプを脱しきれてないように思われた。こういう種類のものとしてはレベルは低くないのかもしれないが、ムーブメントに独自性を感じることができないとこの手のソロは私に取ってはちょっと苦しい。
5月20日 山崎広太rosy.CO「Cholon」(3時〜、シアターコクーン)、ジャブジャブサーキット「高野の七福神」(7時半〜、下北沢ザ・スズナリ)を観劇。
山崎広太の新作「Cholon」は新国立劇場で見た前作がイマイチの出来だったので、東京までわざわざ足を運ぶ価値があるんだろうかと迷った末の観劇だった。しかし、見に行った甲斐はあったのである。バレエ系のダンサーを中心にした出演者のダンサーとしてのレベルが高く、さらに山崎特有のムーブメントがそのダンサーらによってよく咀嚼され、作品としても完成度の高さを感じさせるもので、今年見たダンスの公演として屈指というだけでなく、これまで見た彼の作品としての1、2を争う出来栄えに仕上がっていたからだ。
簡単に概要を紹介すると 振付・構成:山崎広太 美術:伊東豊雄
照明:足立恒 作曲:美術協力:菅谷昌弘 選曲:山崎広太 音響:江澤千香子
美術協力:ヨコミゾマコト チューブ製作:イノウエインダストリイズ
映像協力:エンドウユタカ プロダクションマネージャー:小林清孝
舞台監督:金谷健司 衣装プラン:KASH CO., 企画制作:カッシュ
出演:島田衣子、平山素子、嘉納由香子、小渕博美、大久保裕子、佐々木想美、井口裕之、水内宏之、石橋シゲ、小見亨、島地保武、Sadira、山崎広太
作品は3つのパートからなる。途中に休憩15分が入り、25分〜15分〜35分という構成はちょっとまどろっこしい感じもあるが、美術の入れ換え、衣装の着替えの関係で仕方ないのかもしれない。主要キャストが前回公演と重なる部分が多く、美術を引き続き建築家の伊藤豊雄が担当したため、同じ作品の作り替えか? と見る前には疑ったのだが、全くの新作である。
美術は舞台奥の壁一面にアルミ製と思われる壁がしつらえられそれに折り目がついたものとなっている。第1部はモーツァルトのアリアなどクラシック系の音楽を多用。振付はデュオ、トリオなどを組みあわせたものだが。中途に何度かこのカンパニーでは看板的存在となっている井上バレエ団のプリマ、島田衣子や今回、初めての参加である平山素子のソロ的なダンスが挟み込まれる。特に島田のダンスはダンスクラシックにはあまりないようなくねくねとしながら時に胴の後ろの方にまで巻き込まれていくような腕の動きに特徴があり、それがとってつけたようでなく、明確に自分の身体言語として咀嚼されたなめらかさに魅力を感じる。ソロ的と書いたのは正確にいえば舞台には他のダンサーも同時に存在しているので、ソロダンスとはいえないのだが、舞台上に7、8人のダンサーが共存している時においても、例えばフォーサイスのように脱中心的な構造というよりもソロ/他のダンサーの対比を意識して構成されている色彩を強く感じさせるものとなっていたことである。しかも、この作品のもうひとつの特徴はこれまではそういうシーンがあってもその場合にソロを担当するのは山崎広太自身だったのが、第1部では山崎は舞台には登場せずに男女を含め、数人のダンサーがそれぞれソロ的なダンスを披露する場面をリレー的につないで構成していたことである。
さらに山崎の振付の志向性は基本的には抽象ダンスなのだが、このシーンでは背広姿の色男(?)に扮したダンサーが登場して、軽快な歌曲にのせて、恋のかけひきを彷彿とさせる諧謔的な場面も挿入されるなど、適度にコミカルな場面を入れ込むことで抽象的ムーブメントだけでは飽きが来てしまうのを回避していたことにも好感が持てた。
第2部では音楽が一転して速いビートを刻む打ち込みのコンピューター音楽風に変わり、全体として暗めの照明でスタートする。スモークがたかれる中、舞台の背面壁には白文字で数字と思われる文字が右から左に動きながら写しだされる。冒頭の後ろ向きで激しいソロダンスを踊る女性ダンサーのよく動く身体にはっとさせられたが、惜しむらくは舞台が暗くて、ダンサーがシンプルな黒の衣装をつけているため全てがシルエット様にしか見えないためダンサーの個別識別がつかない。中盤、男性ダンサーのソロがあった後、島田とのデュオ。
第3部はそれまでの背景美術に加えて、舞台上に白い布で作られたチューブが林立。この空間にバラバラに配置されるダンサーの身体はそのものがオブジェ的な色彩を帯びて感じられるが、ゆらゆらと揺れる様は熱帯のジャングルや海の底といったイメージも想起させる。
もっともダンサー全員に白のレオタード姿(じゃなかったのかもしれないがそれに近い服装)でユニゾン的に踊られるとどこか停滞感を感じて「これって創作舞踊」という印象を受けてちょっと白けてしまうところもなくもなかった。山崎広太が明確にソロとして登場し、山崎特有のハードエッジなダンスを披露してやっとそうした雰囲気が打ち破られるのだが、こうしたダンスを踊らせるとやはり他のダンサーとは周囲の空気の色を変えてしまうようなインパクトを持っていることが分かる。他のダンサーではやはり島田衣子の存在感が光るが、挑発で短いスカートの女性ダンサー(このあたり個別識別がしにくくなっていたのだが、ひょっとしたら平山素子?)も島田ほどの動きの繊細さは感じられなかったものの切れのいい鋭い動きには目が引き付けられた。