五反田団「偉大なる生活の冒険」@こまばアゴラ劇場
岸田国士戯曲賞を受賞したばかりの前田司郎(五反田団)の新作である。受賞後第1作となるが、相変わらず「だめ男」を描かせたら日本一という前田らしさを存分に発揮した舞台に仕上がっていて、思わずニヤリとさせられた。芥川賞候補となった自作の小説「グレート生活アドベンチャー」の舞台版ではあるのだが、小説と舞台を比較すると主人公の男の「ダメ」ぶりは一層グレードアップした感がある。小説ではまだ男は外出したりしてるし、物語の最初の方ではカメラの修理をしてそれをネットで販売することなどでそれなりの収入をえているのにこの舞台版ではテレビゲームをしているだけでいっさい働いていない。ころがりこんでるのも小説では一応、彼女の部屋なのだが、舞台版では元カノ(内田慈)という設定にはなってるけけれど、もはやなんでもない存在であったりする。ただ、「でていけ」とか面と向かって言ったりはしているけれど、この女性が男を本気で追い出しにかからないで、猫でも飼っているような状態しているのはどうもおかしい、不自然とは思うのだけれど、見ているうちにそういうことも次第に気にならなくなるのは主演の前田の憎めない「ダメ」キャラゆえであろうか。
部屋の中に万年床が敷いてあって、そこに男がひとり寝転がっているという風景はどこかで見たことがある。まるでデジャヴじゃないのだろうか、というぐらい「ふたりいる景色」*1とそっくりである。「ニート」「セカイ系」「引きこもり」「エヴァ症候群」といった現代の病症とこの物語に登場する男は明らかに問題群を共有している。そこにこの舞台の現代性がある。−−こういう風にその時のレビューで書いたのだが、こうした点においてこの2つの作品はモチーフを同じくしている。
もっとも、「ふたりいる景色」が自分の部屋のなかに引きこもったまま、外に出ずにゴマと自分の尿だけを摂取して即身仏になることを目指す男の物語。それに対して、「偉大なる生活の冒険」は元カノの部屋に引きこもったまま、外に出ずにRPGのゲームで魔王を倒すことだけに注力しながら、のんべんだらりとただ生き続けている男の物語。そう言いきることに若干の躊躇はあるのだが、即身仏=死ねこと、と一応考えると、このふたつの物語は片方は死への憧憬、片方は生への執着とまったく正反対の志向を扱っていながらも、どちらが生き方として前向きかというと一見、生>死のように思われながらも、前者はまだ積極的に死に向かってすすんでいく意志が感じられるのに対して、今回の生き続ける男は逆に積極的にはなにもしない後ろ向きさがあって、この2本を続けて見る時に死ぬことも、生きることもどちらがどうとは言い切れない。だから、ただ、生きるだけということも「偉大な生活=グレートアドベンチャー」なのだというが今回の作品に託した思いなのだろう。
- 作者: 前田司郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/09
- メディア: 単行本
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