SPAC・宮城聰演出「ハムレット」@静岡芸術劇場
SPAC・宮城聰演出「ハムレット」(静岡芸術劇場)を観劇。
音楽・演奏 棚川寛子
仮面デザイン 緒方規矩子
仮面制作 遠藤啄郎
衣装 竹田徹・伊藤美沙・諏訪有美
照明 川島幸子
美術 彦坂玲子出演 ハムレット 武石守正
クローディアス 高橋等
ボローニアス 牧山祐大
ガートルード 瀧井美紀
ホレーシオ 植田大介
オフェーリア 布施安寿香
レアティーズ 野口俊丞 ほか
SPACの芸術監督に宮城聰が就任してこれが3本目の作品。初演出作品「巨匠」*1は見たが、2本目の泉鏡花「夜叉が池」は見逃す。これが3本目の演出作品となるが、ようやく態勢が整ったか、棚川寛子によるパーカッション演奏による下座音楽に東南アジア風の衣装と新天地でも初めて存分に宮城節(ク・ナウカ調)を存分に楽しむことができた。もっとも、全体として演技は言行一致体であり、ク・ナウカ特有のムーバー/スピーカーが分かれての二人一役の形式はとっていないが、作中の旅役者による劇中劇の部分だけはク・ナウカ風の二人一役演技を相当にコミカルに戯画化された形で取り入れていて、そういう遊びも楽しかった。
なんといっても特筆すべきは「語りの演劇」としての完成度の高さである。もちろん、前任の鈴木忠志時代からのスズキ・メソッドで鍛えられた中心俳優らが「語り」の技術に習熟しているということもあるのはあるが、宮城演出に含まれる諧謔味などより細かいせりふ回しの変化、多様性にハムレット(武石守正)、ボローニアス(牧山祐大)らがうまくキャッチアップできていたことに加え、解釈があいまいになりがちな「ハムレット王の亡霊とはなにか」「ハムレットの狂気は本物か」などの解釈上のエニグマに対し、どちらとも取れるなどとあいまいに逃げることをしていない。宮城の演出ではハムレット王の亡霊はハムレットの心の中にあり彼だけが見えているもので実体はない。復讐のために装っている部分はあるが、完全に理性的というわけではなく、実際にはそこにいない父親の亡霊が彼にだけ見える妄想など狂気に陥っていることは間違いない、というのが宮城のこの問題への答えである。原戯曲ではハムレット王の亡霊はハムレット本人だけでなく、衛兵やホレイショーらも目撃しているのだが、この舞台ではホレイショーには見えておらず、しかもハムレットは明らかに多重人格のもうひとつの人格のように父亡霊のせりふをハムレットがすべてひとりで語るという演出になっていた。若干決めうちすぎではないかと思わせるほど明確に回答を与えていた宮城の演出が小気味がよく、痛快で好感が持てた。
「ハムレット」はシェイクスピア好きの私のなかでも特別な作品で、好きな作品ではあるのだが、やはり代表作である「マクベス」「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」などと比較すると舞台としていい舞台というのは数えるほどしかない。テクスト自体が重層的であり、多様な読み取りが可能であるのに加えて、実際の舞台では原戯曲をそのまま上演すると下手をすると4時間近い上演時間になってしまうという舞台上演上の制約などもあり、多かれ少なかれテキスト解釈と適切なテキストレジストが必要となり、上演自体が満足すべきものとなることが稀だからからである。
私は未見ではあるが、宮城自身もク・ナウカの旗揚げ公演でこの「ハムレット」に挑戦して、無残に失敗したという苦い経験があるということは以前にも本人から何度か直接聞いたこともあり、今回の当日パンフにもそれに類したことが書かれていた。宮城にとっても満を持してのリベンジ(再挑戦)であったとも思われるが、今回は相当に説得力があり、しかも上演時間も2時間弱ときわめてコンパクトにまとめた上演であり、私のこの舞台での期待度を見事に上回る出来栄えであったため、これまで見た「ハムレット」上演のなかでも上位に属するものであり、宮城演出作品のなかでも「天守物語」「エレクトラ」といったク・ナウカ時代の傑作群と比べてもそれほど遜色のない好舞台であった。