トリのマーク 現代美術としての演劇
トリのマーク 現代美術としての演劇(PANPRESS向け原稿)
「現代美術としての演劇」。アサヒビールアートフェスティバル2004に参加してのトリのマークの公演「花と庭の記憶-向島-」にはそんな言葉を贈りたくなった。「場所から発想する演劇」として、既存の演劇の枠組みを超えて外部へと出ていこうというトリのマークの戦略には中ハシ克シゲの「ZEROプロジェクト」や小島剛の「なすび画廊」(現代美術)とかMonochrome Circusの「収穫祭」や伊藤キムの「階段主義」(コンテンポラリーダンス)とかのように劇場・美術館のホワイトキューブに代表される近代主義からの超克としてのポストモダニズムの流れをアートのジャンルを超えて想定するほうが、うまく評価軸を設定できそうだからである。
この企画は向島周辺での3つの公演によって展開されるもので、第1弾が現代美術製作所での「花と庭の記憶-向島-その1 測量士バム、ブシュカル山」(5月23日)。これはギャラリーのホワイトキューブの壁に緑色の粘着テープを貼り付けて風景を描いていくパフォーマンスであった。
現代美術の企画ギャラリーとして運営されているこの空間は元々は現在のオーナーである曽我高明さんの祖父・馬次郎氏が創設、ゴム長靴、手袋などを製造する工場だった。作品を創作するに当たって、作演出の山中正哉が曽我さんやその家族からこの場所にまつわる話を取材し、この公演ではそれを場所の記憶として、パフォーマンスがはじまる前には真っ白であった壁にライブペインティングのようにテープを貼り付けて描いていくことで、葦の繁る川岸の光景、川で泳ぎを楽しむ人、やがて、川には護岸工事がされ、その岸には工場が建つ。川に浮かぶ船、どこかの国にあるゴムの木と描きだしていく。
演劇という見方からすれば一種の無言劇といえなくはないが、ここで提示されるのは一連のビジュアルイメージのみで、物語はなく、ギャラリーの床のそこここに置かれた椅子にすわる観客は壁に描かれていく絵を眺めながら、それぞれにこの場所が生きてきた歴史の記憶に思いをはせることになる。
一方、アサヒ・アート・フェスティバル参加の第2弾「花と庭の記憶-向島-その2 プシュカル山カフェ」(京島@rice+)は墨田区の米屋を改装したカフェ空間rice+でのリーディング公演。こちらは2週間の限定カフェを運営。向島の人たちをはじめカフェに立ち寄ってくれた人に今回の主題である「花と庭の記憶」についてアンケートを書いてもらい、書かれたエピソードをカードにして壁いっぱいに展示するとともにそれを読み上げる朗読を交えた短い芝居をカフェで上演した。これはさらに9月に向島周辺の庭園で行なわれる野外公演「花と庭の記憶-向島-その3」へとゆるやかにつながっていく。
上演場所として劇場以外の空間を使用する集団は東京では最近増えてきているが、トリのマークがユニークなのはその場所での人や歴史との出会いがインタラクティブに作品の創作そのものにかかわってきて、結果としての作品だけでなく、創作過程の作業全体が広い意味では「行為としての作品」みなしうることである。その意味では最終アウトプットには「演劇」「美術」という違いはあっても、行為としての作品としては冒頭に挙げた美術作家らのコンセプトと相通じるものが感じられるのだ。
8月初めには新潟県の松代町(越後妻有)で行なわれる「大地の芸術祭 越後妻有2004夏」にも参加、アーチスト・イン・レジデンスで舞台を制作。10月10、11日の連休には待望の初の京都公演(西陣ファクトリーGarden)も予定されているが、これはぜひ演劇関係者だけでなく、美術や他のアートジャンルの関係者・愛好者にも見てもらいたい。